『黒き剣士と妖精』






プロローグ





何処ともしれない深い森の中。
誰も知らない深き谷の底。
訪れるものさえなき暗き洞窟の中。
光さえ辿り着く事のない奥深き闇の底。
ただそこに漂うは小さく、弱い意志。
意志と呼べる程の強さもないが、何らかの想いが漂う。
いや、かつては漂いし場所。
今では何もなく、ただ闇が広がり、闇に飲み込まれる儚き想いが彷徨う。

【……■■、……■■】

言葉にすらならないソレは、今にも消えよとうしていた。
応えるものもなく、誰に見られる事もなく、初めからなかった事のように無へと。
それでも、最後の力を振り絞るように、ソレは何かを伝えんとする。
ここに居ない、何かへ。
自分の存在を感じ取ってくれる何かへ届けとばかりに。
力なく、存在に意味もなく、知られる事さえもない運命に抗わんと。
こんな自分でも受け入れてくれる、いや、自分だからこそ受け入れてくれるというものを探し、
ただ力の限りに叫ぶ。
だが、その叫びは声にならず、誰かの元へと届かす力もなく、ただただ埋もれていくだけ。
ただ消え去るのをこのまま待つだけ…。
不要と思われることもなく、その存在を認識されぬままに。





 § §





「……?」

不意に足を止めて後ろを振り返った兄、高町恭也へと一緒に歩いていた美由希は怪訝そうな顔を見せる。

「恭ちゃん、どうかしたの?」

「いや、誰かに呼ばれたような気がしたんだが」

「そう?」

恭也の言葉に美由希も周囲を見てみるが、目に付く範囲に知り合いの姿はない。
他の通行人は何人か居るが、彼彼女らは何事もなかったかのように歩いている。

「気のせいじゃないの」

「みたいだな」

美由希の言葉に同意し、恭也は再び足を動かす。
隣に並んで歩きながら、美由希は恭也へと話し掛ける。
それから数歩と話しながら歩くうちに、
恭也の脳裏からも美由希からもさっきの出来事など記憶の中に埋もれて行く。
それが当たり前のこと。
そう、普段なら家に着く頃には忘れていても可笑しくはないような何でもない事である。
だが、妙に恭也はさっきの声が気になって仕方がなかった。
男性か女性かすら分からず、何を言っているのかも分からない。
ただ、自分を呼んだとだけ分かる声。
気のせいだと思うには、やけにはっきりと聞こえた気がしてならなかったのだ。
確認した所でその声を発したと思われる人物は居なかった。
だから、気になりつつも忘れようとする。
だが、忘れようとするという事は、それを覚えているという事。
気にしているという事である。
だからか、あの後夕食を取り、深夜の鍛錬を終え、布団にこうして入った今になっても気になって仕方がないのは。
恭也は眠りに着く寸前まで、あの弱々しく儚い、それでいて、何か強い意志を感じた声が気になっていた。

それが何を意味するのか。
この時の恭也にそれが分かるはずもなく、ようやく訪れた微睡みに身を任せるのだった。





つづく







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