掃除を粗方終えた恭也の耳に聞こえてきた悲鳴は──、
なのはの声だった。
「今の声はなのはだな。何かあったのか?」
恭也は声の主が誰だか分かると、すぐさま声のした所へと向う。
階段を駆け登り、なのはが掃除をしているであろう納戸へと差し掛かった所、
前方で何やら驚愕の表情のまま固まっているなのはを見つけ駆け寄る。
その肩に手を置き、ゆっくりと揺する。
「なのは、何かあったのか?」
「え、あ、うん。あっ!お、お兄ちゃん!な、何でもないよ。ええ、本当に何にもございません」
「そうか、ならいいんだが……」
どこか可笑しな様子のなのはに首を傾げながらも、頷く恭也。
と、そこへなのはの声を聞いた他の者たちも駆けつけてくる。
それらに何でもないことを告げると、皆それぞれの持ち場へと戻っていく。
「何かあったら言うんだぞ」
「うん」
恭也も最後になのはに声を掛け、持ち場へと戻った。
全員がその場から立ち去ったのを確認したなのはは後ろ手に隠していたものを目の前に持ってくる。
それこそが、なのはが大声を上げた原因のものだった。
それはごく普通のノートで、あえて特徴を挙げるとするなら角の所が少し傷んでおり、少し古い感じを受けるぐらいである。
なのはは辺りを慎重に見渡し、再度誰もいない事を確認するとそのノートをゆっくりと開く。
そこに書かれている内容を何度も確認し、見間違いじゃない事を確かめる。
やがて、そこに書かれている事に変わりがない事が分かると、大きな溜め息をそっと漏らす。
「はぁ〜、まさかお兄ちゃんが………」
力なくその場に座り込むなのはの手からノートが床へと落ちる。
そのノートの表紙に書かれていた文字は、
『士郎の秘密ノート。開ける事厳禁!恭也、見たら殺す!』
と書いてあった。
なのははこのノートに恭也開けるなと書いてあった為、自分は良いと思い中を見てしまったのだった。
なのははノートを拾い、立ち上がるとノートを胸に抱えたまま部屋へと入る。
「これは後で隠すとして、今はここで良いよね」
そう言って机の上へと置く。
今は全員が大掃除をしているため、既に掃除の終わったなのはの部屋に入る者は誰もいないだろう。
そう考え、なのはは自分の机の上に無造作に置くと廊下へと出、大掃除に戻るのだった。
なのはが出て行った後の部屋に、開けられていた窓から一陣の風が吹く。
その風に押されるようにノートが独りでに捲られていき、丁度なのはが見ていたページで止まった。
そこには、士郎の字で、
『○月X日 道端で捨てられている赤子を拾う。とりあえず家に連れて帰る』
『○月X日 お袋の言葉で拾った赤子を俺が育てる事となり、恭也と名付ける。大きくなったら御神流を学ばそう』
と書かれていた。
◇ ◇ ◇
その夜、大掃除を終えた一同は夕食も終え、ゆっくりと寛いでいた。
ただ、一名を除いては。
なのはは食事の時からどこかそわそわして、恭也の方をちらちらと眺めていた。
恭也もそれに気付き、始めのうちは何度か聞いてみたが、返ってくる答えはいつも同じだった。
曰く、
「別に何でもないです」
そのため、恭也もなのはから言ってくるまで待つことにした。
やがて、なのはは就寝し、恭也は今年最後の深夜鍛練へと出て行った。
一方でなのははノートの内容が頭から離れず、ベッドに入っても眠れずにいた。
(う〜〜〜〜。別にお兄ちゃんと本当の兄妹じゃなくても、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよね……。
今までと何も変わらないはずなのに……。なのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう)
何度も寝返りをうちながら、なのはは胸がもやもやする事に悩んでいた。
(晶ちゃんやレンちゃんとも血が繋がっていないけど、家族だと思えるのに。それに、お姉ちゃんやフィアッセさんだって……。
なのに、何でお兄ちゃんだとこんなに苦しいの。分からない、分からないよ〜)
なのはは一度大きく深呼吸すると、仰向けになり天井を見詰める。
(別に本当の兄妹じゃなくても、お兄ちゃんの事は嫌いにはならないはずだし……。
……………うん、お兄ちゃんの事、嫌いじゃない。今までと同じで好き…………)
そこまで考えた所でなのはは何かに気付いたのか目を見開く。
(は、はにゃにゃにゃにゃ。お兄ちゃんの事、好きだけど今までは兄妹で……。
でも、本当は兄妹じゃないって事は………………。はにゃにゃにゃ)
そこまで考えた所で、なのはの顔は自分でも分かる位に熱くなり、赤く染まる。
(お、落ち着いて……。つ、つまりなのははお兄ちゃんの事が好きだたけど……。
その好きが兄妹としてじゃなくて…………。で、お父さんのノートを見て、その問題がなくなったから………)
「え、えぇぇぇ〜〜〜」
なのはは思わず大声で叫びそうになったのを両手で口を塞ぎ押さえる。
(つ、つまり……そういう事なんだ。よし!お兄ちゃんに言うかどうかは明日考えよう。
今日はもう寝ないと、明日辛くなるから……)
なのはは納得すると、そっと目を瞑った。
そして、先程とは違い、安らかに眠りに落ちていくのを感じながら、その睡魔に身を委ねた。
◇ ◇ ◇
明けて翌日の大晦日。
やはりなのははどこか落ち着きがないように見え、家族たちが代わる代わるに尋ねるのだが、何も言わなかった。
昼過ぎ、恭也は桃子に呼ばれなのはの様子が可笑しいのを何とかするように言われる。
「何とかしろと言われてもな。なのはが何も言わない以上、どうする事もできないだろ」
恭也とて、なのはに何があったのかは心配しているのだが、肝心のなのはが何も言わない以上どうしようもない。
しかし、桃子はそれを許さなかった。
「それじゃダメよ。いい、恭也。なのはは明らかにあなたの方を見ているわ。ううん、意識していると言ってもいいわ。
つまり、あなたがなのはに何かしたって事よ」
「ちょっと待ってくれ。俺はなのはに何もしていないぞ」
「無意識でしたのかもしれないでしょ。いい、夕方には戻ってくるはずだから、ちゃんと事情を聞くのよ」
「………ああ、分かった」
恭也は憮然としながらも納得し、頷くと自分の部屋へと向った。
その後ろ姿を眺めながら、桃子はなのはの様子に思い当たる節があるのか少し目を閉じ、考え込む。
(なのはのあの態度………まさか、ね。
でも、あの子の恭也を見る目は兄を見る目というよりも、むしろ好きな男性を見る目だったと思うけど……)
「あははは、まさかね。幾らなんでも考えすぎよね。それに、もしそうだとしても半分とはいえ、血が繋がった兄妹だしね」
桃子は自分の考えを笑い飛ばすと、台所で作業をしている晶、レンの元へと向った。
◇ ◇ ◇
夕方過ぎに戻って来たなのはに事情を聞くため、恭也はなのはの部屋へと向う。
部屋へと入る前にノックする。
「にゃ、だ、誰ですか?」
「兄だが、入ってもいいか」
「あ、は、はい、どうぞ」
どこか上擦った声を不思議に思いながら、恭也は部屋へと踏み入る。
「で、どういった御用なんでしょうか」
「どうしたんだ、なのは?」
どこか緊張した様子のなのはを不振に思い、恭也は尋ねる。
「ど、どうもしないよ」
「そうか」
それっきり二人は黙ってしまう。
やがて、恭也は意を決しなのはを見ると口を開く。
「なのは、俺はなのはに何かしたのだろうか?」
「ど、どうしたの突然」
「昨日からなのはの様子が少し可笑しいかっただろ。それにどうも俺が関係あるみたいだったからな」
恭也の言葉になのはは驚いた表情になる。
そのどうして分かったのという顔を見た恭也は自分の言った事が正しかった事を確信し、
同時に嘘の付けないなのはに苦笑を浮かべる。
「で、俺が何かしたのか?」
「ち、違うの!」
「じゃあ、どうしたんだ?」
何故か言いよどむなのはを恭也は急かしたりせず、根気良く待つ事にする。
やがて、覚悟を決めたのかなのはは机の引出しを開け、その一番奥に厳重に隠してあった一冊のノートを恭也へと差し出す。
「これ」
「これは、父さんの」
恭也は表紙に書かれた文字に顔を顰めながら、そのノートを開く。
そして、なのはの示したページを開き、そこに書かれている文字を読む。
「……………………そうか」
「うん」
申し訳なさそうな顔をするなのはの頭に優しく手を置き、そっと撫でる。
なのはは少し気持ち良さ気に目を細め、されるがままになる。
やがて、恭也は優しい口調で語り出す。
「そうか、それで悩んでいたんだな。でも、大丈夫だ。今までと何も変わらないさ」
その言葉になのはが声を上げる。
「違うの!そうじゃないの、お兄ちゃん!……ううん、恭也さん」
「なのは?」
なのはが突然、大声を出した事と呼び方を変えた事に驚き、溜め息を吐く。
「そうか、やっぱりもう兄と呼んでくれないか」
どこか寂しそうに笑う恭也になのははしがみ付く。
それに驚いた恭也が何か言うよりも早く、なのはは言葉を紡ぐ。
「そうじゃないよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんがそう呼んで欲しいって言うんなら呼ぶよ。
別にお兄ちゃんの事が嫌いになったんじゃないよ。今でも好きだよ。
ううん、お兄ちゃんとして好きなんじゃないの」
そこまで言うとなのはは恭也からそっと離れる。
「それは、どういう……」
恭也が意味を尋ねようとするのを目で制し、恭也が座っているため、見上げずとも見つめる事が出来るその瞳を見据える。
そして、
「私、高町なのはは一人の女の子として、一人の男性である高町恭也が好きなんです」
突然の事に茫然とする恭也の唇に自らのそれを押し付ける。
時間にして2、3秒の時間だったが、恭也にはとてつもなく長く感じられた。
「恭也さんはどうですか?」
「お、俺は………」
なのはを見ると、その身体は小刻みに震えていた。
が、しかし、その目にはどんな答えでも受け止めようとする決意が見られた。
それを見て恭也は下手な誤魔化しを止める。
「なのは、俺は正直嬉しいよ。でも、 突然の事だったから戸惑っている。
今まで、なのはは妹として見てきたからな。
だから、時間をくれないか?これからはなのはを一人の女性として見るから。
正式な返事はそれから、では駄目か?」
「……ううん、それで良いよ」
「そうか」
恭也は自分の胸に飛び込んでくるなのはを抱き止め、そっと頭を撫でてあげる。
「ただ、皆には当分内緒だ。だから、誰かがいる時は今まで通りに呼んでくれ」
「うん、分かったよ。それに、そこっちの方が呼び慣れてるしね、お兄ちゃん。
でも、二人の時は……」
「ああ、分かっている」
「うん!これから、宜しくね」
そう言うと、恭也の返事を待たずにその唇を再び塞ぐ。
そんな二人を窓から差し込む夕陽が照らす。
真紅に染まる部屋の中、部屋の中央に落ちる影はいつまでも一つに重なっていた。
〜〜後日談〜〜
新年が明け、しばらく経ってから、なのはと恭也の様子が少し変わっている事に気付いたのは桃子だった。
最も、具体的な事まで分からず、とても仲が良い兄妹としか映らなかったが。
ただ、美由希や他の女性たちが恭也と二人で出掛けようとする度に、なのはも付いて行くようになり、
恭也もそれを拒まなかった。
そんな毎日が数年続き、いつまでも兄、妹離れをしない二人に呆れつつも、その状況に周りが完全になれた頃、
桃子は改まった顔をした恭也となのはを前に、一冊のノートを手渡され、全ての事情を知る事となる。
それから、更に数年後──
とある教会で、多くの人たちに祝福される二人の姿があった。
純白のドレスに身を包み、満面の笑みを浮かべるなのはと、
その横にはどこか仏頂面の恭也が、これまた白いタキシード姿で寄り添っていた。
ただ、二人の顔はどちらもとても幸せそうだった。
Happy END and A new life starts.