『天に星 風に歌 そして天使は舞い降りる』






あの一件以来、恭也は度々さざなみ寮を訪れるようになり、数ヶ月が過ぎた。
その間に恭也はさざなみの人たちとも仲良くなっていった。
そんな夏のある日、恭也、耕介、薫、知佳、美緒、ゆうひは海へと繰り出していた。
他の者たちは、仕事があったり他の予定があったりで来れなかった。
恭也と耕介の男性陣は先に着替えが終わり、場所を確保すると女性陣の到着をいまや遅しと待っていた。
と、手持ち無沙汰になった耕介が恭也へと話し掛ける。

「恭也君、そんな格好で暑くないかい?」

「ええ、暑いです」

耕介の言う恭也の格好とは、下は長ズボン、上は黒の長袖で見るからに暑苦しい格好だった。
恭也自身、額には薄っすらと汗を掻いている。

「まあ、色々と事情がありまして………」

「ふ〜ん、そうなんだ。恭也君も大変だねー。でも、よりによって黒とは……。別に黒じゃなくても……」

「……好きなんですよ、黒が」

そんな会話を交わしているうちに、女性たちがやって来る。

「恭也、こーすけ、お待たせなのだー」

「恭也くん、お兄ちゃんお待たせー」

知佳と美緒が恭也たちの元へとやって来る。
知佳は二人の数歩前まで来ると、少しはにかみながら尋ねる。

「どうかな?」

「???」

「ああ、可愛いぞ知佳」

知佳の質問に意味が分からず不思議そうな顔をする恭也と頭を撫でながら誉める耕介。
知佳は少し笑みを浮かべ、恭也を見る。

「恭也くんはどう思う?」

再度聞かれ、前のやり取りで理解した恭也は微かに微笑みながら、

「ええ、とても可愛いですよ」

と答える。
その滅多に見る事の出来ない笑みに知佳は思わず見惚れ、美緒は少し難しい表情をする。

「わたしは、わたしはどうなのだ」

「え、えっと美緒さんも似合っていますよ」

「にはははははは」

そんなやり取りを微笑ましく見ていた耕介は会話が途切れた頃を見計らい、気になる事を聞く。

「所で、ゆうひと薫はどうしたんだ?姿が見えないけど」

「あ、あはははは。あの二人なら……」

「多分、あれがそうだと思うのだ」

苦笑いを浮かべる知佳の言葉に続き、美緒が人だかりを指差す。
しばらく眺めていると、その人だかりは恭也たちの所へと向って来る。
やがて、その人並が二つに分かれ、そこから薫とゆうひが現われる。

「ゆうひ、これは一体?」

耕介の問いかけに苦笑しながら手を振るゆうひ。
薫の方は心底疲れたような、それでいてどこか怒っているような雰囲気を纏い、ただ押し黙っている。
ゆうひは耕介の横に来ると、おもむろにその腕を取り、腕を組む。
そして、未だ集まっている群衆に笑顔で、

「ほらな。ちゃんと連れがおったやろ。嘘とちゃうやろ。そーゆー訳やから、バイバイな」

突っ慳貪に言うゆうひ。
耕介も事情を理解し、何も言わずに黙って立っている。
それで諦めたのか、男達の殆どがその場から立ち去って行く。
が、まだ何名かの男達はその場に残り、薫の方を見ていた。

「…………」

無言で佇む薫に男達は可能性があると思ったのか、近づいて来る。
それを制するようにゆうひが薫に話し掛ける。

「薫ちゃん、早くこっち来んな。恭也くんが待ちくたびれてるで」

ゆうひの台詞で、先程のやり取りを見ていた恭也と薫は、ゆうひの言わんとする所をすぐさま理解する。
薫は恭也の横に来ると、

「う、うちも連れがいますので。これで失礼します」

男達は薫と恭也を見比べ、不思議そうな顔をする。
恭也は薫より年下に見えるのだが、落ち着いた雰囲気を持っており、それが嘘だと断定できないでいた。
やがて、男達は諦めたのかその場を立ち去って行く。
そんな中で、一人だけが立ち去らずに恭也へと視線を向ける。

「おい、お前。本当にそっちの女の子の彼氏なのか?」

男の失礼な物言いに薫が何かを言う前に、恭也は手で制し言葉を紡ぐ。

「そうですが。それが何か?」

恭也の台詞に薫は自分の顔が少し赤くなっていくのを感じ、少し俯く。
恭也は未だ睨みつけてくる男の視線を正面から平然と受け止める。
しばらく無言で睨み合っていたが、男は恭也の視線に耐えられなくなり、先に目を晒すと舌打ちを一つ鳴らし、

「ちっ!なんだ、堅そうに見えて、実際は軽い奴だったのか」

この男の言葉に薫は俯いていた顔をあげるが、何も言わず悔しそうに口を噤む。
これを見た恭也は男に殺気をぶつける。
一応、手加減はしていたが、普通の一般人が突然殺気をぶつけられた為、男は怯え動けなくなる。

「な、何だよ」

虚勢を張るが、声は震え、身体も硬直しているのが傍で見ていても分かるぐらいだった。
そんな男を恭也は一瞥すると、酷く覚めた声で告げる。

「薫さんに対する侮辱は許せないな」

「ゆ、許せないなら、ど、どうするってんだ」

「どうして欲しいんだ」

「うぅぅ」

男は既に逃げ腰になっており、口をパクパクとさせる。
恭也はその男を睨みつけたまま、一歩男の方へと踏み出す。
たったそれだけで男はその場に尻餅を着く。
そこで横から恭也に声が掛けられた。

「恭也くん。それ以上は」

薫の言葉と共に恭也は殺気を消し、男から視線を逸らす。
その途端、男は背を向けると振り返る事もなく、この場から逃げていった。
それを見ることもなく、恭也は薫の方に向き直ると頭を下げる。

「ご迷惑をお掛けして、すいません」

「め、迷惑なんて。そ、その恭也くんもうちの事を思ってやってくれたんやし。
 それ自体は別に迷惑でも何でもなか。でも、素人相手に殺気までぶつけるのはちょっとやり過ぎやと思うよ」

「はい、反省してます。つい、やってしまいました」

「じゃあ、今回の件はここでお終いという事で」

「はい」

二人はそう言うと微笑み合う。
一段落着いた頃を見計らい、耕介が話しを切り出す。

「さて、じゃあ遊びますか」

「遊ぶのだー!」

耕介の台詞に美緒は追随する形で叫ぶと海へと走り出す。

「こら、陣内。水に入る前に準備運動をせんね!」

薫の言葉を聞かず、美緒は海へと入って行く。
それを耕介たちは苦笑しながら見詰め、後に続いていく。
ひとしきり泳いだりして遊んだ後、恭也と薫は浜辺で休息を取っていた。
耕介はゆうひと二人で食べ物を買いに行き、知佳と美緒は少し離れた所で遊んでいる。

「恭也くんは何で服を脱がんと?」

「まあ、色々とありまして」

「武器を隠しているとか?」

薫は話したくない事情があるのだろうと思い、話を逸らすために慣れない冗談などを口にする。
それに対し、恭也は少し驚いたような顔をした後、苦笑を浮かべる。
それを見て薫は、

「まさか、本当に」

「えーと。まあ、それもありますけど……」

恭也はばつが悪そう鼻の頭を掻きながら言う。

「武器を持っているようには見えんけど……」

「まあ、そんなに大きなものは持っていませんからね。せいぜい、鋼糸と飛針が数本だけですから」
 どうも何も持たないのは落ち着かなくて」

恭也は言い訳するように言う。

「はははは。まあ、分からないでもないかな」

そう言いながら、薫は足を抱えるようにし、膝に頭を乗せて下から恭也を覗き込む。

「恭也くん、さっきはありがとう」

「さっき?……ああ」

薫が何のことを指して言っているのか分かり、恭也は頷く。

「どうしたんですか、急に」

「いや、別に……。ただ、さっきの件でお礼をまだ言ってなかったと気付いたから」

「別に構いませんよ。俺が勝手にやった事ですし」

その恭也の言葉に薫は微笑を見せ、

「恭也くんらしいね」

「そ、そうですか」

恭也は恥ずかしさから薫から視線を逸らし、海の方を見る。
と、恭也の顔つきが急に変わる。
薫は不思議に思い、恭也に声をかけようとするが、それよりも早く恭也は立ち上がると海へと向って駆け出す。

「恭也くん」

突然の事に、一瞬茫然となるが恭也の走って行く先、先程まで見ていたであろう場所を見て、薫もまた立ち上がり走り出す。
そこには、小さな子供が溺れていた。
しかも、運が悪い事に周りには誰もおらず、恭也と薫以外気付いている者はいなかった。
いや、後二人程気付いた者もいたのだが…。
恭也は海に飛び込むと、その男の子目指して泳ぎ出す。
が、男の子は力尽きたのか、海面へと沈んでしまう。

(くそっ、このままじゃ間に合わない)

恭也は水を掻く手に力を込めるが、思ったように早くは泳げない。
それでも諦めずに泳ぐ恭也の目の前に、空から一枚の白い羽が舞い落ちてきた。







時間を少し遡り、知佳と美緒は二人で砂遊びをしていた。

「美緒ちゃん、そっちもっと砂を固めて」

「分かったのだ!」

美緒は知佳に言われた個所に砂を積み、海水で固める。
徐々に城の形を取っていくそれを眺めながら、知佳の意識は常にある一ヶ所を気にしていた。
美緒が砂を固めている間、知佳はそちら──恭也と薫のいる場所をちらちらと窺う。
離れているため、ここまで二人の会話は聞こえてこないが、何やら楽しげに話す二人を見て、胸に痛みを覚える。

(何か楽しそうだな、あの二人。薫さんも滅多に笑わないのに、恭也くんの前でだとよく笑ってるし……。
 うー、何かすっきりしないなー)

そんな知佳の胸中を余所に、二人は会話を続け、美緒はぺたぺたと砂を固めている。
と、美緒がその手を止め、知佳に声をかける。

「知佳ぼー、どうしたのだ?」

「え、あ、う、ううん、何でもないよ、何でも」

「そうなのか?それなら良いのだ。で、こっちは出来たのだー!次は?」

「えっと、次は……」

知佳は美緒と二人で先程とは逆の位置を固めていく。
その作業の途中でも、知佳はチラチラと二人の方を見る。
それに気付いた美緒が、知佳の視線の先を辿っていく。

「お、あれは恭也に薫なのだ」

突然上がったその名に、知佳は自分の胸が跳ね上がるのを感じる。

「そ、そうだね」

「よし、これが完成したら二人にも見せてやるのだ!
 にゃんがにゃんがにゃー♪ にゃーらりっぱらっぱらっぱらにゃーにゃ♪」

美緒は嬉しそうにそう言うと、よく分からない歌を歌いながら手を再び動かし始める。
どこか先程よりも嬉しそうに作業をする美緒に、知佳は思わず尋ねてみる。

「美緒ちゃん、どうしたの?急に張り切りだして」

「うむ。これを見せたら恭也はきっと喜んでくれるのだ!だから、頑張って作らなければ」

(美緒ちゃん、まさか恭也くんの事……)

流石にそれを聞くのは躊躇われ、他の言い方を探す。

「え、えーと、美緒ちゃん、珍しいね」

「何がなのだ?」

「だって、恭也くんは男の子だよ?いつもの美緒ちゃんなら……」

「恭也は特別なのだ!」

「と、ととととと特別って、何が!」

「恭也は父さんと同じぐらい優しいのだ。前に猫にミルクや餌をあげていたのを見たのだ。
 それに、恭也の手は暖かくて気持ち良いのだ。撫でられると、ほわ〜んとなるのだ。
 だから、頑張ってお城を作って、また撫でてもらうのだ」

「ふ、ふーん、そうなんだ。じゃあ、頑張らないとね」

「任せるのだ!」

そう言うと美緒はさらに作業に没頭していく。
そんな美緒を見詰めながら、知佳は複雑そうな顔をする。

(やっぱり恭也くんって優しいんだ。美緒ちゃんも恭也くんの事……。
 うーん、どっちなんだろう。ただ、お兄ちゃんとして好きなのか、男の人として好きなのか、どっちなんだろう。
 多分、美緒ちゃん自身も分かってないよね。はぁ〜)

知佳は美緒に悟られないよう、心の中でそっと溜め息を吐き、美緒の手伝いを始める。
が、その動きはどこか緩慢で、何か考え事をしているのは一目瞭然だったが、
幸い、目の前にいる美緒は城を作る事に夢中で全く気付いていなかった。

(…………私、何でこんな事考えてるんだろう。
 そりゃ、恭也くんは強いし、格好良いし、優しいけど、それは弟みたいな存在で……。
 でも、でも……。う〜〜〜〜。考えるのやめ!考えても分からないし。
 とりあえず、今は楽しまないとね)

知佳は胸の前で小さくガッツポーズをし、気合を入れる。
と、それまで作業に没頭していた美緒が顔を上げ、きょろきょろと周りを見る。

「どうしたの、美緒ちゃん?」

「今、何か声が聞こえたのだ」

「どんな声?」

「よくは聞こえなかったけど、何か必死だったのだ」

普通なら気のせいで済ませる所だが、相手が美緒という事もあり、知佳は周囲を注意深く見渡す。
その視線が海の一点で止まる。

「あっ!」

知佳が見つけるのと同時に、美緒も同じものを見つける。

「大変なのだ!溺れているのだ」

二人が誰かに助けを求めようとした時、二人の視界の隅を見慣れた黒い物体が通り過ぎて行く。
その物体──恭也の向う先を理解し、二人はそれを見守る。
と、後ろから声をかけられる。

「知佳ちゃんに陣内。二人も気付いたと?」

「うん。美緒ちゃんが声を聞いたって」

「そう」

薫は短く答えると、遠ざかっていく恭也の背中を祈るように見詰める。
知佳たちも同じ様に見守っている。
後少しという所で、その男の子が海面に沈み浮かんで来なくなる。
それを見た途端、知佳の背中から白く輝く羽が生える。

「知佳ちゃん!」

「知佳ぼー」

「薫さん、美緒ちゃん。私が行って来るね」

「まっ……」

薫が止める言葉を言う前に、知佳の姿はその場から消える。
薫と美緒は視線を子供が沈んだ場所へと向ける。
海面から数メートルの所に知佳は現われていた。







目の前で沈んでいく子供を見ながら、恭也はただ泳ぎ続ける。

(まだ間に合うはず)

半ば自分に言い聞かせるように胸中で呟きながら、恭也は必死で泳いで行く。
そんな恭也の目の前に、空から一枚の白い羽が舞い落ち、恭也は思わず顔を上げる。
そんな恭也の目の前には、背中から真っ白い羽を出現させ、宙に浮いている知佳がいた。
知佳は恭也と目が合うと、その顔に笑みを浮かべ、

「後は任せて」

知佳はそれだけ告げると目を閉じ、何かに集中するような仕草を見せる。
背中の羽が少し光ったかと思うと、その腕の中にはさっき沈んでいったはずの男の子が抱きかかえられていた。
唖然としている恭也の手を取り、知佳は再度瞳を閉じる。
次に恭也が認識した時には、知佳と男の子と共に浜辺にいた。
すぐ近くにいた薫と美緒が近づいて来る。
同時に、一連の騒動を嗅ぎ付けて、野次馬達が周りに集まって来だす。
耕介やゆうひもこの騒ぎに気付いたが、野次馬の多さに知佳たちの所へと近づけずにいた。
その野次馬達からの好奇の視線や、畏怖の感情が込められた視線を浴びながら、知佳は少年に笑いかける。

「大丈夫だった?」

知佳の言葉に少年は頷きで返す。
そんな知佳の様子を見ながら、恭也もまた野次馬達の視線に気付いていた。
中にはひそひそと声を交わす者たちもいた。
そんな会話の一つが耳に届く。

「さっき、あの子の背中から羽が生えてたわよね」

「ああ。それに突然、ここに現われたぜ」

ひそひそと話す野次馬達に恭也は何か言いかけるが、知佳に迷惑が掛かるのではと思い押し黙る。
恭也は知佳が気になり、そちらの方を見るが、俯いており、その表情までは伺う事が出来なかった。

「本当に人間か……」

誰かが呟いた心ない言葉に知佳の方がビクリと震えるのを、恭也は見逃さなかった。
出来ることなら、そう言った奴を捕まえて知佳に謝らせたいとさえ思ったが、騒ぎをこれ以上大きくしても、
知佳にとって何も良い事がないと思い、恭也は知佳の手を掴むと足早にその場から立ち去ろうとする。

「薫さん、美緒さん、後は頼みます」

それだけを告げ、薫と美緒が頷いたのを確認すると、恭也は知佳を引っ張り、野次馬たちを掻き分けていった。
そのまま誰もいない岩場まで来ると、恭也は掴んでいた手を離す。

「あっ」

知佳はどこか名残惜しげな呟きを漏らすが、恭也には聞こえなかったみたいで、それが分かり安堵のため息を吐く。

「すいません、突然引っ張ったりして。どこか痛いところはありませんか?」

「え、だ、大丈夫だよ」

「そうですか。……………その、さっきの事はあまり気にしない方が良いと思いますよ」

「……大丈夫だよ」

そう言うと知佳は恭也に微笑んでみせる。
が、その微笑みはどこか哀しげで、自虐的であった。

「気にしてないから。皆が皆、あの羽や力を見ても変わらずにいてくれるなんて思ってないから。
 ううん、多分お兄ちゃんや愛おねーちゃん、さざなみの皆の方がむしろ少数なんだと思うよ。
 こんな力がある人間なんておかしいもんね。恭也くんもそう思うでしょ」

「そんな事はありませんよ。難しい事はよく分かりませんが、知佳さんの羽はとても綺麗でしたよ。
 それに、知佳さんの力がなかったら、今頃あの子は……。
 どんな力を持っていたとしても、それは使う人の心次第だと思います」

「でも……」

「もし、今後知佳さんが同じ様な状況に出会ったとき、もう力を使いませんか?」

恭也の問いかけに知佳は首を横に振り、それを否定する。
同じ様な状況になれば、自分はまた、今日のように力を使うだろうと思うから。
その知佳の返答を聞き、恭也は微笑むと、知佳に話し掛ける。

「知佳さんは、あの子を助けるために、その後自分がどう思われるかを分かっていても、力を使ったんですよね。
 そして、今後も同じ事をすると。だったら、それは誇ってもいいことだと思います」

「でも………、こんな羽が生えてる人間なんて………。恭也くんだって怖いと思うでしょ」

「いいえ。知佳さんの羽はとても綺麗ですよ」

「本当に?」

「はい」

「こんな女の子でも嫌いにならない?本当に怖くない?」

それでもまだ、どこか陰のある表情を見せる知佳に、恭也は上着を脱いでみせる。
突然上着を脱いだ恭也に驚くが、そこから現われた身体の至る所にある傷を見て息を呑む。

「驚かれたでしょう。俺のこの傷は剣の修行をしていて出来たものです。
 俺の振るう剣は、いかに相手を倒すか、それだけを追求してきた剣です。
 希に感謝される事はあっても、決して誇れるものではないです。
 この身体は知佳さんの羽とは違い、全然綺麗なものでも、見ていて楽しいものでもありませんし。
 俺の力は、人を傷つけるものですけど、知佳さんの力は、色んな人を助ける事が出来る素敵な力だと思います。
 だから、嫌いになんかなりませんよ。知佳さんは知佳さんです」

そう言い、上着を再び着ようとする恭也を知佳が止める。

「恭也くん、その服濡れてるよ。ちゃんと乾かしてから着ないと……」

「大丈夫ですよ」

「だ〜め。お姉さんのいう事はちゃんと聞きなさい」

そう言うと知佳は恭也の服を取り、それを軽く絞る。
知佳は小さな声で、

「ありがとう、恭也くん」

それだけ言うと、服を恭也に返す。

「乾いてないけど、濡れたままよりはマシだと思うよ」

恭也は礼を言うと、服を身に着ける。

「恭也くんのさっきの傷……。私は別に気にならないよ。
 それに恭也くんの力は人を傷つけるものかもしれないけど、それでも何かを守る事ができるんだよね。
 だったら、私と一緒だよ。私の力だって、人を傷つける事だって出来るから。
 難しくは分からないけど、使う人の気持ち次第なんだと思うよ」

「………ありがとうございます」

「ううん、こちらこそ、だよ」

そう言って二人は微笑み合うと、知佳は恭也の手を取る。

「じゃあ、お兄ちゃんたちの所に戻ろうか」

「そうですね」

二人で耕介たちの待っている場所へと向う。
数歩歩いた所で、恭也は立ち止まり、知佳へと話をする。

「あの、この傷の事は……」

「多分、皆何も言わないと思うけど、恭也くんがそう言うなら、黙っててあげるよ」

「助かります。俺もさざなみの皆さんなら大丈夫とは思いますが、無意味に見せるものでもありませんし」

「そうだね」

知佳は何か言いたそうに恭也を見る。
恭也が首を傾げていると、知佳は本人にとってはさりげなくのつもりで尋ねてみる。

「か、薫さんもその傷の事は知ってるんだよね?」

「……いえ、知りません。家族以外でこれを見せたのは、知佳さんが初めてですから。
 薫さんには、右膝の治療の時に足の傷は見られましたけど、上までは」

「そ、そうなんだ。私が初めてなんだ。うふふふ」

何故、知佳が嬉しそうに微笑むのか分からない恭也だったが、いつもの知佳に戻ったみたいで安心する。

(やっぱり知佳さんは笑っている方が可愛いな。
 ………って、俺は何を考えてるんだ。俺よりも年上の人に向って可愛いなんて。
 でも、やっぱり可愛いよな)

そんな事を考えながら、笑いかけてくる知佳に恭也も笑みを返し、二人は耕介たちの待っている場所へとゆっくりと歩いて行った。







「っっっこっの馬鹿っ!!」

寮に帰り、事情を説明し終えた耕介の襟首を、真雪は突然掴み、大声で叫ぶ。

「何のために、お前を一緒に行かせたと思ってるんだ」

「すいません」

大声を上げる真雪に対し、耕介は申し訳なさそうにただ、謝る。
そんな真雪を知佳が止める。

「やめて、お姉ちゃん。お兄ちゃんは何も悪くないの。私が勝手に力を使っただけ」

真雪はゆっくりと息を吐き出しながら、耕介の襟首を掴んでいた手から力を抜いていく。

「知佳……。あたしはいつも言ってるよな。力を人前で無闇に使うなって」

「で、でも、そうしないとあの子が……」

「でも、じゃない!そいつを助けたお陰で、お前が傷ついたんだぞ。
 何度も言ってるだろうがっ!世の中、耕介や愛みたいな甘ちゃんばかりじゃないんだ!」

「……ってない」

「あん?何だ、よく聞こえないよ」

真雪の問いかけに知佳は真正面から真雪を見ると、

「私は、自分のとった行動が、間違ったなんて思ってない!もし、また同じ様な事があれば、また力を使うよ」

「っっ!それで、お前が傷つくことになるんだぞ!」

「それでも、それでも見捨てるなんて出来ないよ。それに、お兄ちゃんや愛お姉ちゃんは分かってくれる。
 例え、誰から何を言われても、分かってくれる人が少しでもいるから、私は大丈夫だよ」

「それが甘いってんだ!」

お互いに譲らず、睨み合う二人。
そこへ恭也が横から口を出す。

「真雪さん……」

「何だ」

「部外者の俺が、あんまり口を挟む事ではないと思いますけど……」

恭也はそう前置きをし、話し出す。

「あの時、知佳さんがとった行動自体は間違っていないと思います」

真雪が何か言うよりも先に、恭也は言葉を続ける。

「でも、真雪さんの仰っている事も良く分かります。
 真雪さんが、知佳さんをとても大切にしているのは、ここにいる全員が分かっています。
 ですから、もう少し知佳さんを信じてあげてください。
 知佳さんは、ただ守られるだけの弱い人じゃありませんよ」

「ぐっ。そんな事は分かっている!アンタに言われるまでもなくな。
 何年、あいつの姉をやってると思ってるんだ!」

「だったら、知佳さんがああいった状況に出会ったら、どう行動をするのかは分かりますよね。
 それに、その優しさを教えたのはきっと真雪さんですよ」

「……あたしは何も教えちゃいないよ。あたしは優しくなんかないからね」

「そういう事にしておきます」

「けっ、勝手に言ってろ。何か毒気を抜かれた感じだな。耕介、腹減った〜。
 とりあえずは、メシにしようぜ。知佳も今回はもう良い」

「ありがとう」

「別に礼を言われることじゃないさ。だが、次からはよく考えろ。あたしは、何も見捨てろと言ってる訳じゃないんだ。
 ただ、周りに他の奴がいて、そいつらでどうにかできるような事なら……」

「うん、分かってるよ。そんなに無闇に力を使ったりはしないよ」

「そうか……。なら、良い。あたしから言う事はお終いだ」

真雪の言葉に張りつめていた空気が柔らかくなる。
と、真雪は何か思いついたのか、いつもの意地の悪い笑みを浮かべ、知佳の後ろから抱きつく。
突然の事に、悲鳴を上げる知佳を余所に、真雪は面白そうに口を開く。

「恭也が事情を知ってるって事は、お前が説明したんだろうが、誰もいない岩場で何をしてたのかな?」

「な、ななな何もしてないよ。きょ、恭也くんはただ、人目のつかない場所に私を連れて行ってくれただけで」

慌てて喋る知佳を、新しい玩具が手に入った子供の様な瞳で見詰め、

「そうか、そうか。人目のつかない所にね〜」

「だ、だから、そういう事じゃなくて」

「そういう事ってのは何だ?」

「あ、あうぅぅぅぅ〜」

知佳は助けを求めて周りを見るが、全員係わりたくないのか、知佳と目を合わせようとしない。
そのくせ、興味はあるらしく、誰もこの場から離れようとしなかった。
知佳は恨めしそうな視線を耕介に送る。
それを感じ取った耕介は、

「さ〜て、夕飯の支度をしないとな〜」

わざとらしく言い訳をしながら、キッチンへと向う。
その背中に先程異常の視線を注ぐが、耕介が振り返る事はなかった。
そんな時、知佳は恭也を見つけ、そちらを見る。
が、見られている恭也は知佳が何を求めているのかが分からず、困惑の表情を浮かべる。
恭也にとって、目の前の出来事は姉妹同士のスキンシップとして映っているようである。
知佳は諦めにも似た溜め息を吐き出す。

「けけけけけ。何を恭也と見詰め合ってんだ、知佳?目と目で分かり合うってか」

「お、お姉ちゃん!」

「で、実際の所、どうなんだよ?」

「だ、だ〜か〜ら〜」

「あたしに隠し事はいかんぞ。そんな奴は………こうしてやる!」

そう言うや否や、真雪は知佳の脇腹を擽る。

「や、ちょっ、お姉ちゃん……。や、やめ……は、はははははは。そ、そこやめて〜」

「どれどれ。では違う所を……。そうだな、どれぐらい育ったのか見てやろう」

「えっ!い、いいです。や、やめて〜」

真雪のやろうとしている事を悟り、知佳は必死に抵抗するが、その努力も虚しく真雪の手が知佳の胸に回される。

「どれどれ。ふむふむ」

「お、お姉ちゃん、や、やめてってば。そ、そんなに強くしたら、痛い」

「そうか、そうか。知佳は優しくされる方が好きか」

「ちがっ、そう言う意味じゃなくて。この行為自体をやめて……って、あん、や、あ、ああぁぁ」

「なかなか、どうして。結構、成長してるじゃないか」

「はぁー、あっ、やぁぁ………って、いい加減にしなさい!」

知佳の拳骨が真雪の頭に落ちる。

「っつぅぅぅー。一体、何をするかな、この妹は」

「お姉ちゃんが変な事するからでしょ!」

「何だよ。最後の方は結構、知佳も感じて……」

「もう一発欲しいの?」

「いらん」

笑顔で握った拳を見せる知佳に、真雪も手を上げる。
が、近くにいた恭也の後ろから抱きつく。

「恭也〜、乱暴な妹が虐めるんだ〜」

「お姉ちゃん、恭也くんに抱きつかないで!」

知佳の反応を見た真雪はその顔に再び、ニンマリと笑みを浮かべると、恭也を抱く腕に力を込める。

「恭也〜、知佳が怖い〜」

「お姉ちゃん!」

「真雪さん、恭也くんも困っているみたいですし、離してあげた方が」

怒鳴る知佳の横から、薫が真雪にそう言ってくる。
その言葉に知佳も首を縦に振り、同意を示す。
それでも、真雪は恭也を離さず、

「何だ?薫も参戦か?」

「な、ななな何を」

真雪の言葉に、顔を赤くして声を上げる薫。
それを面白そうに眺めながら真雪は、恭也に頬擦りする。

「「「あ〜!」」」

その真雪の行為に三人が声を上げる。
その三人目に目を向け、流石の真雪もしばらく言葉を失う。
そして、やっとの事で口から言葉が出る。

「美緒もなのか?」

恭也は真雪の腕の力が抜けている事に気付き、真雪の束縛から逃れ、そっと距離を取る。
真雪は驚きのあまり、それに対し何も言わず、ただ恭也を見る。
そして、珍しく満面の笑みを浮かべると、

「けけけけけけ。こいつは面白くなりそうだな。頑張れよ、恭也」

「???何をですか?」

「…………………」

可笑しそうに言う真雪に対し、恭也は真顔で聞き返す。
その場にいた全員が心を一つにした。

(こいつ、耕介以上に鈍感か?)

真雪は気を取り直すと、

「ま、まあ、あまり深くは気にするな」

「は、はあ」

それから暫くして、夕飯が出来たと耕介が告げると、皆自分達の席に着いていく。
恭也も食べていく事になり、耕介の横へと座り、耕介の料理に舌鼓を打つ。
その食事中、

(に、しても面白くなりそうだな。
 薫や美緒はまだ自分の気持ちに気付いていないみたいだが、知佳はありゃー気付いてるな。
 何にせよ、知佳が何らかの行動を起こせば、残りの二人も気付くかもな。
 しかも、その後が楽しみだ。最も、知佳はそう簡単にやらないけどな。
 しっかし、うけけけけけけ、いいネタが見つかった。耕介といい、恭也といい、ここはまさにネタの宝庫だな)

一人いろいろと考え、知らずの内に笑みを浮かべる真雪。
ゾクリ。
若干二名ほどは、訳の分からない寒気に襲われる。

「耕介さん、何か嫌な寒気が……」

「奇遇だね。俺もだよ。何か嫌な予感が……」

二人は顔を合わせると、期せずして同じ事を呟く。

「「何も起こらず、平穏な日常が続きますように」」

彼らの願いが天に届き、叶うのかどうかは今はまだ、分からない………。





  つづく



<あとがき>

はい。そういう訳で、BPさんのきりリクで、桜月恋歌の続編です。
美姫 「で、これって続くの?」
多分、続きます。今回、知佳が恭也の事を意識した事で、恭也を巡るトライアングルの2つは完成した訳だ。
美姫 「じゃあ、次は美緒の話?」
う〜ん、どうだろう。知佳は恭也が好きと気付いた、もしくは気付きつつあるけど、薫と美緒はまだだからね。
ちゃんと恭也が好きと認識したのは知佳が最初になるのかな?
美姫 「まあ、後は展開次第よね」
そうです。
美姫 「後は執筆速度ね」
……………頑張ります。努力はしますです。
美姫 「そう言う訳ですので、多分出るであろう続編を待ってて下さい」
ではでは。







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