『天に星 風に歌 そして天使は舞い降りる 25』
テレビの天気予報が例年よりも冷え込む事を告げる中、何となしにそれを眺めていた恭也はお茶を一口啜り、
「例年より暖かいというのをここ数年は聞いていないが、家の中では文明の利器の恩恵によりその辺は問題ないから別に良いか。
とは言え、外出する際にはそれなりの格好をしないとお前でも風邪を引くぞ、美由希」
「恭ちゃん、何を言ってるの?」
首を傾げるまだ幼い小学校低学年の妹、美由希の言葉に恭也はふーと溜め息を吐いて何も答えない。
代わりという訳ではないのだろうが、末っ子のなのはを寝かしつけた桃子が半分笑いながら美由希に話し掛ける。
「恭也は外は寒いから外出する時は暖かい格好をするように言ってるのよ」
「だったら、そう言ってくれれば良いのに」
少し拗ねたように頬を膨らませるも、すぐに笑みを見せると恭也にじゃれ付くように抱き付く。
兄が心配してくれたという事が分かり、甘えてくる美由希に対し、恭也は憮然としながらも引き離そうとする。
が、美由希も慣れたように恭也の手を掻い潜って抱き付く腕に力を込める。
本気で引き離そうとすれば出来なくもないが、まあ今日ぐらいは良いかと好きにさせる事にする。
そんな恭也の思いを理解したのか、更に笑みを深める美由希へと最後の抵抗とばかりに湯飲みを手にしつつ顔を僅かに背け、
「まあ、人間カイロと思えば良いか」
そう呟くも、照れ隠しなのは桃子から見ても明らかである。
尤もそれを口にすれば、強引にでも美由希を引き離すかもしれないので口に出すような事はしないが。
そんな兄妹のじゃれ合いを眺めつつ、桃子は淹れたばかりのお茶を口に含み、小さく溜め息を吐く。
本当に小さく、またお茶を飲んだ直後だというのに敏感に感じ取ったのか、恭也が顔を向けてくる。
心配するような瞳に笑みを見せつつ、特に言っても大丈夫と判断したのか口を開く。
「別に大した事じゃないんだけれどね。今度の新作でちょっと悩んでいるのよ」
「新作というと、ケーキの?」
「ケーキもあるけれど、他にもフルーツを使ったデザートなんかもね。
幾つか試作してある程度は絞れたんだけれど、それでもまだちょっと多いのよね」
そう言ってお茶を口へと運び、今思い出したと恭也の方を見る。
「そう言えば、恭也の舌はかなり正確だったわね」
「そうでもないと思うが」
桃子の言葉に恭也はそう返すも、桃子は以前に試食してもらった事を思い出す。
「それは間違いないわよ。今あるメニューはオープン前に恭也が試食して意見を言ってくれたお蔭でより良くなったし、
この間の新作も最後は恭也の意見が決め手だったしね」
「しかし、俺の意見ばかりでは……」
「大丈夫よ。かなり正確なのは私が保証するし、何も恭也の意見をそのまま採用って事じゃないもの。
あくまでも参考にしたいのよ。今の所、私も松っちゃんの意見も横並びに近いから。
恭也の意見で改良点や比較がよりし易くなるの。お願い、手伝って」
どうしても嫌なら諦めるとまで言われ、恭也は分かったと頷いて答える。
それを聞いて桃子は恭也に抱き付き礼を言うのだが、恭也は顔を若干赤らめて桃子を引き離す。
「うー、美由希は良いのにお母さんは駄目なの」
「お兄ちゃん、おかーさんを苛めたら駄目だよ」
「……はぁ」
恭也の溜め息には大いに諦めの色が加わっており、意味が分からずに首を傾げる美由希を恨めしげに見下ろす。
一方の桃子は恭也の諦めと美由希の言葉に二人纏めて抱き締める。
「美由希は本当に良い子ね。勿論、恭也もね」
「えへへ、あ、おかーさん。私もケーキ食べたい」
「勿論よ。美由希も試食してどうか教えてね」
「はーい」
純粋にケーキを食べれる事に喜びを現しながら手を上げる美由希と、完全に達観したような眼で二人を見る恭也。
対照的とも取れる二人を抱き締めながら、桃子はニコニコといつまでも笑っていた。
そんな話があった翌日。学校から帰った恭也と美由希を待っていたのは満面の笑みを浮かべた桃子であった。
その腕の中ではなのはが寝息を立てている。
「待ってたわよ、二人とも。早速だけれど、昨日言ってた試食を頼むわ」
喜ぶなのはと変わらない恭也へと手を洗うように促し、桃子は寝ているなのはをそっと下ろす。
「さざなみになのはを迎えに行ったのか?」
「ええ。序という訳ではないけれど、今回はさざなみの皆にも試食を頼んだのよ。
悪いんだけれど、試食が終わったら店に戻るからなのはをお願いね」
「ああ、それは全然構わないよ」
恭也と桃子がそんな風に話をしていると、手を洗い終えた美由希が椅子に座りケーキが出てくるのを期待した目で待つ。
その様子に笑みを見せつつ、桃子は試作品を取り出し恭也にも手を洗ってくるように告げる。
恭也が戻って来るまでの間に皿へと盛り付け、美由希と恭也の席に置く。
そこにはショートケーキが二種類と果物を使ったタルトにパイ。後はクリームをふんだんに使ったシフォンケーキがあった。
「流石に全部食べると多いから、まずは少しずつ食べて感想をお願い。
美由希もお願いね」
「全部食べれるよ」
「全部食べたら、夕食が食べれなくなるだろう。残りは食後か明日にしろ」
「うー、分かった」
恭也の言葉に素直に頷くと、美由希は頂きますと手を合わせるなりフォークを手に持ち食べ始める。
同じく手を合わせた後、恭也は一口サイズに切り取ったケーキを口に運ぶ。
その様子をじっと見ていた桃子は気になる感想を待つ。
それに対し、恭也は自分が思った事を告げていく。
真剣な顔でそれらの意見を聞き終えると、桃子はぶつぶつと呟き、やがて顔を上げる。
「うん、ありがとう。結構、参考になったわ。後はさざなみの皆さんの意見を聞いて、最終的に松っちゃんと相談ね」
美味しい、美味しいと食べる美由希の頭を軽く撫でながら、桃子は二人に礼を言う。
その上でどれを平らげるか悩んでいる美由希へと一つのケーキを指差す。
「これはクリームがたっぷりだから、早めに食べた方が良いわよ。
後のはそれなりに時間が経っても大丈夫だから夕食の後か、明日にしましょう」
桃子の言葉に素直に返事をすると美由希はそれを食べ出す。
一方で恭也は中々手を付けようとしておらず、桃子は思わず美味しくないのか聞いてしまう。
「いや、そうではないが。いや、では頂こう」
言って桃子が美由希に言った通りにシフォンケーキを口にする。
恭也は試食で正確な味を見るためにそれなりの量を既に食べていた。
それでも、元々が結構食べる上にこの後も鍛錬するという事もあり、まだまだ余裕だろうと桃子は思っていたのだ。
現にあっという間にシフォンケーキを平らげ、何事もなかったかのようにごちそうさまと手を合わせる。
そして、新しく飲み物を淹れようと席を立ち、
「恭也!?」
そのまま綺麗に直立した態勢で倒れた。
これに慌てたのは桃子である。始めは自分の作った物にあたったのかと思ったが、同じ物を食べている美由希には別段何もない。
それに食べ物にあたったというよりも、気を失ったといった感じである。
慌てながらも恭也の傍に屈みこみ、苦しげながらも呼吸がある事にまずは胸を撫で下ろす。
美由希などは食べていたケーキを放り出して恭也の傍に座り泣きそうな顔で恭也の名を呼んでいる。
とりあえずは救急車でもと桃子が立ち上がろうとしたその時、恭也が目を覚ましたのか苦しげながらも話し掛けてくる。
「だ、大丈夫だから」
「大丈夫って、あり得ない倒れ方したのよ。もう少し自分の身体を大事にして……」
「そうじゃなくて、別に何処かが悪いとかじゃないから。
単に気分が悪くなって意識が一瞬遠のいただけだから」
落ち着かせるように、いつものような静かな口調で話しかけつつ、涙目になっている美由希にも落ち着かせるように頭を撫でてやる。
その様子に落ち着きを取り戻したのか、桃子は再び恭也の傍で屈みこむと嘘は許さないという目でもう一度尋ねる。
「本当に大丈夫なのね」
「ああ。原因も検討が付いている」
「そう」
恭也の言葉を聞き、また先程まで青かった顔に血の気が戻りつつあるのを見て、桃子は安堵の吐息を零す。
「本当に驚かさないでよ。何が起こったのかと思ったわ。
でも、原因って何なの?」
桃子の言葉に恭也は顔を逸らすが、すぐに桃子に頬を挟まれて顔を戻される。
じっと見詰めてくる桃子にばつが悪そうな顔をしつつ、恭也はポツポツと語る。
「単に甘いものが苦手なだけだ」
「…………はい?」
「だから、甘い物があまり得意ではないんだ。
で、試食で色々食べた後にクリームたっぷりのケーキを平らげたから、少し胸焼けしただけで」
思わず尋ね返した桃子に更に詳しく説明していきながら、恭也は若干恥ずかしそうに身を捩る。
「あのねぇ、それならそうと言ってよ」
「すまん。と言うか、言ってなかったか?」
「好きだと言うのは聞いた事はないけれどね。
もう、本当にびっくりしたんだからね。ほら、いつまでもそんな所に寝てないで」
「ああ」
桃子に促されて恭也もようやく立ち上がると椅子に腰を下ろす。
その様子に安堵する美由希の頭をもう一度だけ撫でてやり、大丈夫だと伝える。
その間に桃子は飲み物を用意して恭也の前に置いてやる。
「それにしても、甘い物が好物で、それで一目惚れしたと言ってきた士郎さんとは違うのね。
当たり前だけれど、似ている所ばっかりじゃないわね」
「そんなに父さんに似ている所がある? 寧ろ、あまり似ていないような気がするんだが」
「そんな事はないわよ。やっぱり親子だなって何度も思うもの。
まあ、それはそれとして今度からは試食を頼むにも気を付けないとね」
「そうだな。甘くない物なら問題ないけれど、そうじゃない場合は出来れば量を減らしてくれると助かる」
お互いに試食をなしにするとは言い出さない。
恭也としては少しでも桃子の手伝いとなるのならという気持ちがあるし、桃子もその辺りは察している。
勿論、それ以外にも恭也の舌が正確だというのもあるのだろうが。
ともあれ、倒れた恭也に問題がないと分かり、桃子はもう一度安堵の吐息を零す。
その対面では恭也が自分の隣でにこにこと笑いながらケーキを食べている美由希を見詰めている。
「なに、お兄ちゃん?」
「いや、別に何もない。美味しいか、美由希」
「うん」
美由希の返答にそうかとだけ返し、コーヒーを口に運ぶ。
とんだ失態だったと口止めを考えていたなど言えるはずもなく、恭也は何も言わなかった。
これが後にからかわれるネタとして度々出てくる事になると分かっていれば、恭也の考えも違ったであろうが。
今はただ、嬉しそうな妹を見て満足する恭也であった。
つづく
<あとがき>
いや、本当にいつぶりかの更新です。
美姫 「本当よね」
うっ、ま、まあまあ。
今回は甘いものが苦手として語られるエピソードを。
美姫 「この作品はアンタの他の作品と違って、美由希も酷い目にあわずに」
まあ、まだ剣術始めてないしな。
美姫 「それ故に口止めもされずに」
さて、今回はこのぐらいで。
美姫 「それでは、また次回で」
ではでは。
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