『天に星 風に歌 そして天使は舞い降りる 26』
学生たちが冬休みへと入り浮かれる中、深刻に悩む一人の少女が居た。
室外でもなく暖房器具が壊れているとかでもなく、少女の居る室内は適温に保たれている。
それにも関わらず、身を小さく震わせ、手に持った紙袋の中身をじっと見詰めている。
「な、なな、何を考えているんですか、仁村さん!」
思わず叫ぶほどに動揺を顕わにしたのは、ここ翠屋でこれからバイトのシフトに入る神咲薫その人であった。
とりあえず、一人しかいない更衣室で思ったよりも自分の声が響いたのか、叫んだ事に気付くと顔を赤らめて紙袋を仕舞う。
落ち着けと自分に言い聞かせて深呼吸を数度繰り返し、平常心に戻った所で着替えを再開させる。
それでもまだ怒りが治まらないのか、ぶつぶつを文句を溢しながらも動作事態はてきぱきと着替えを済ませる。
軽く鏡で服装に乱れがないかチェックを済ませると、思ったよりも強張っていた顔を軽く手で揉み解して笑みを浮かべる。
「うん」
接客をする以上、あまり憮然としている訳にもいかないが、これぐらいで大丈夫だろう。
解れた表情を見て納得すると更衣室を後にする。
「桃子さん、おはようございます」
「おはよう、薫ちゃん。早速で申し訳ないけれど、フロアの方お願いするわ。
イブだからか、ちょっと遠くから来てくれている人も居るみたいで、いつもより忙しいと思うけれど」
「分かりました」
桃子に挨拶をし、すぐにフロアへと向かう。
そこには既に恭也ともう一人のバイトが忙しそうに動き回っており、見れば美由希もレジ打ちを手伝っている。
幼い上に人見知りの気がある美由希も借り出す程に店は混雑しているようで、雑誌で紹介された時以上かもしれなかった。
会計に少し列ができて居るが、幼い美由希が懸命にレジ打ちする姿は好評のようで、意外にも文句は出ていないみたいだ。
ならばあちらは大丈夫だろうと判断し、薫は空いている席から食器などを片付け始める。
薫の作業を見て、恭也は待っていた次のお客さんを席へと案内する。
暫くは薫も喋る暇もなく働いていたが、十数分程でとりあえずの落ち着きを見せる。
「おはようございます、薫さん」
「ああ、おはよう、恭也くん。思っとった以上に忙しいんじゃねぇ」
「前に雑誌で紹介された事とイブという事で結構、来店してもらえているみたいです。
あ、今の内に説明しておきますね」
言ってカウンターの中へと薫を連れて行き、そこから更に後ろへと入る。
「予約されているケーキはここに全部あります。
それぞれに予約した人の名前がこのように貼ってありますので、受け取りに来た人に名前を聞いてここから出して渡してください。
それと、もう少ししたら知佳さんも来ると思います。そしたら、クリスマスケーキの販売の方を二人にお願いします」
「うん、分かったよ」
説明を終えると、恭也たちは再び仕事に戻る。
それから数分して、知佳がやって来る。
知佳は恭也たちに挨拶すると、着替える為に更衣室へと行く前に桃子の所に顔を出す。
それを見送り、恭也はクリスマスケーキ販売の為の準備を始める。
まずはテーブルを店の前に出す。
「恭也くん、うちも手伝うよ」
「では、お願いします」
薫と二人で店の外へと必要な物を運んでいく。
美由希も接客はまだ出来ないので恭也の手伝いをする。
「お兄ちゃん、これは?」
「それは重いから後で俺がやるから、美由希はこれをテーブルの上に置いてくれ。
中はお釣り用の小銭だから、転んでぶちまけない様に注意してくれ」
「はーい」
恭也の言葉に元気に返事を返し、両手にしっかりと小さな箱状の金庫を持ってゆっくりゆっくりと進む。
それほど距離がある訳でもないのですぐに辿り着くと、慎重にテーブルの上にそれを置き、
「ふー」
一仕事終えたように額を腕で拭う仕草を見せる。
その美由希の様子に思わず目を細めて表情を和らげる薫に気付き、美由希は何と首を傾げて見上げてくる。
「何でもなかよ。それにしても美由希ちゃんはえらかね」
言って美由希の頭を撫でてやる。
嬉しそうに微笑む美由希を見て和みながら、薫は恭也の持ってきたケーキをテーブルに並べていく。
三人で協力している内にあらかたの準備を終え、一旦、店へと戻る。
丁度、着替え終えた知佳が奥から姿を見せるのだが、それを見た男性の客から何ともいえない声が漏れる。
それを気にも留めず、恭也を見つけた知佳は三人に近付く。
「じゃーん、これどう?」
言って恭也たちの前でくるりと回ってみせる。
それに対するそれぞれの対応は、美由希は目を輝かせ、
「わー、知佳お姉ちゃん、サンタさんみたい」
美由希の言葉が示すように、知佳の格好は普段の翠屋のバイト時の服装ではなく、サンタクロースの格好をしていた。
とは言っても、実際にイメージされるサンタの服とは所々変わっており、女性用にアレンジされており、下もスカートになっている。
回った弾みで傾いた帽子を戻しながら、知佳は美由希に礼を言い、残る二人の反応を窺う。
「知佳ちゃん、どげんしたと、その服は? それに勝手にそんな格好したら……」
「大丈夫だよ。桃子さんにこれを着ても良いか聞いたら、寧ろ着てって言われたの。
で、これは今日、翠屋でバイトだって言ったら理恵ちゃんが終業式の日にくれたの」
薫に説明して、知佳は何を期待するように恭也の方を見る。
見られた恭也は少し考え込み、知佳の背後からこっそりと桃子が顔を出して手で何か合図しているのを見つける。
身振り手振りで何かを伝えようとしている桃子を見て、恭也は分かっていると頷き返すと、
「似合っていると思いますよ。とても可愛らしいです」
「本当!? ありがとう、恭也くん」
恭也の言葉に満面の笑みを見せる知佳に思わず照れる恭也だったが、すぐにもう一つの視線に気付いてそちらを見る。
そこにはよくやったと大きく頷く桃子がおり、恭也はこれぐらいは出来ると桃子に視線を飛ばす。
その視線の先で、桃子は奥から出てきた松尾に襟首を掴まれて引き摺られていくが、それはまあ自業自得だと放っておく。
恭也の様子をその隣で見ていた薫は少し考え込み、
「恭也くん、ちょっと席を外すけれど良い?」
「ええ、もう準備は終わりましたし大丈夫ですよ」
恭也の返答を聞くなり、薫は奥へと急ぎ足で向かう。
その背中を見ながら、トイレなら方向がと思ったが口には出さない程度のデリカシーは持っていた。
ともあれ、薫が抜けた代わりに知佳がやって来たので外での営業用に用意した暖房器具を入れ、先に始める事にする。
やる事はケーキの販売で、そういった意味では知佳の格好は可笑しい所か合っていた。
「翠屋特性クリスマスケーキはどうですかー」
美由希も恥ずかしがりながらも声を出しており、恭也はそんな美由希に用意しておいた帽子を被せてやる。
「寒いからな。これで耳まで覆えば少しはましだろう。
後、無理はしないで寒いと思ったら中に戻るんだぞ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
恭也の言葉に頷きつつ、美由希ははりきるように声を上げる。
そんな兄妹の様子を微笑ましく見ていた知佳と視線が合い、恭也は気恥ずかしくなって視線を逸らす。
その仕草がまた微笑ましいのだが、知佳は指摘はせずにただ、
「優しいお兄ちゃんだね」
そう声を掛ける。
「風邪でもひかれると後々、面倒ですから」
照れ隠しだと分かる言葉に小さく笑みを溢せば、恭也はむぅと小さく唸る。
そんな様子が益々可笑しいのだが、知佳は謝るとケーキ販売の仕事へと戻る。
そこへ席を外していた薫が戻ってくる。
「ごめん、ちょっと遅くなって」
「いえ、そんなに時間は経ってませんから……、薫さん?」
「う、や、やっぱり変?」
恭也の言葉が途中で確認するかのように変わり、それを聞いていた知佳も後ろを振り返る。
「へ? 薫さん、それ……」
非常に珍しい物でも見たのか、知佳も思わず言葉を詰まらせる。
対する美由希は知佳の時同様、今の現状を一言で言い表してくれた。
「薫お姉ちゃんもサンタさんだ!」
「うぅぅ」
美由希の言うように薫もまたサンタの格好に着替えており、知佳のより短いスカートの裾を気にするように掴んで下ろそうとする。
それでもちらちらと恭也の様子を窺い、何かを期待するように見詰める。
「まさか、かーさんが」
しかし、薫を見た恭也からは期待するような言葉ではなく、真っ先に桃子の仕業と決め付ける言葉が出てくる。
流石に冤罪で桃子が咎められるのは可哀相なので、複雑な胸中を隠して否定しておく。
「違うよ。これは、その昨日真雪さんから渡されたんじゃよ。
最も、ここに来て着替える前に開けるように言われてたから、うちも知らんかったんじゃけれど。
多分だけれど、悪戯のつもりだったんかもしれへんけれど」
「お姉ちゃん……」
薫の言葉に呆れたような頭が痛いような顔でこめかみを揉む知佳。
対する薫は居た堪れなくなったのか、踵を返し、
「うちのこんな格好なんてやっぱり可笑しかね。
や、やっぱりもう一度着替えてくる」
逃げるようにその場を立ち去ろうとする薫の手を恭也が素早く掴む。
「可笑しくないですよ。とっても可愛いですよ。
それに知佳さんも同じ格好ですし、その方が良いと思いますよ」
「ほ、本当に可笑しくなか?」
「はい」
「うぅぅ、な、なら、恥ずかしいけれどこのままで……」
恭也の言葉に顔を赤くしながらも薫はその場に留まる。
見詰めてくる恭也と握られた手から感じる温もりに更に頬を上気させる薫。
そこへ知佳の声が掛かる。
「話も纏まったのなら、とりあえずお仕事に集中して欲しいかな〜、なんて思うんだけれど」
見れば、いつの間にか人が集まってきており、慌てて二人も仕事に戻る。
同じく仕事をしながら、知佳は真雪へと恨み言を小さく呟く。
それと同じ頃、連日の徹夜作業を昨日に終え、ようやく起き出していた真雪が小さくくしゃみをする。
「風邪ですか、真雪さん」
「あー、違うな」
真雪に頼まれて軽い物を作っている耕介の言葉に真雪はちらりと時計を見て否定の言葉を出す。
ついで少し意地悪な顔を覗かせ、それを見た耕介は嫌な予感がしてそれ以上は何も言わず、聞かずとばかりに調理に集中する。
が、当然ながらそんな事など知るかとばかりに真雪はビール片手にくっくっくと意地悪い笑みを見せる。
「なーに、ちょいと昨夜うちの愚妹がだらしなく頬を緩めながらある物を用意していたんでな。
丁度、少し前にやったクリスマス進行で資料として同じような物を貰ったんで、神咲にプレゼントしただけだよ。
恐らくは、それ関係で知佳の奴があたしに文句の一つでも言ってるんだろうよ」
聞くつもりはないのに聞かされた耕介としては、何とも言えずに沈黙するしかない。
とは言え、本当に沈黙したままではなく、苦笑を混ぜながらも真雪の相手をする。
「くしゃみ一つでやけに具体的ですね」
「まあな。まあ、実際の所はどうなるやら。
神咲が素直にあたしの思ったような行動に出るかどうかはな」
「一体、何をどうしたんですか」
「けっけっけ。詳しくは言えないな。
まあ、でもあれを有効に使ってくれりゃあ、間違っても知……コホン。
まあ、神咲の奮闘に期待だな」
思わず出しかけた名前に耕介も大体の検討を付ける。
その詳細までは分からないまでも、弟分として可愛がっている少年に関係する事だろうと。
だが、ここで耕介は不思議そうに聞く。
「真雪さん、前に恭也くんなら良いみたいな事を言ってませんでしたか?」
「バカか、お前は。それはそれ、これはこれだよ」
「複雑な姉心といった所ですか」
「そんなんじゃないさ。ただ、良いと言っても私の仁村妹人生設計表恋愛編は守ってもらわんとな」
「……今、さらりととんでもない物の存在を聞いた気がするんですが」
「良いか、耕介。この事はお前とあたしだけの秘密だぞ。他の誰かに喋ったりしたら……」
「ゴク。も、もし喋ったら?」
「くっくくく、聞きたいか?」
「え、遠慮します! 男、槙原耕介、この秘密は墓場まで!」
「そうそう、それで良いんだよ。で、つまみはまだか」
「もうすぐ出来ますよ」
さざなみ寮でそんな会話がなされているとは知るはずもなく、知佳は真雪への文句を吐き出してすっきりしたのか仕事に精を出し、
薫は薫で素直に真雪へと感謝の言葉をそっと呟く。
その間に挟まれた高町兄妹は二人の格好をしたいと言う美由希に対し、
「それはまた来年だな。後でかーさんに言っておけば良い」
「うん」
「それじゃあ、頑張って売るぞ」
「おー!」
兄妹仲良くこちらもまた仕事に集中するのだった。
つづく
<あとがき>
今回は薫と知佳で。
美姫 「イブのバイトね」
おう。で、次回はさざなみの他のメンバーで。
美姫 「それじゃあ、今回はこの辺で」
また次回で!
美姫 「早めの更新を期待するわ」
…………。
美姫 「返事しなさいよね!」
ぶべらっ!
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