『An unexpected excuse』

    〜志摩子 再会編〜






天高く登った太陽が、その存在を主張するかのように地面を照りつける。
あまりの気温の高さに、アスファルトから陽炎がゆらゆらと立ち昇る。
耳を劈く蝉の鳴き声も忙しなく、ひっきりなしに続いている。
それは、山へと続く道もまた、例外ではなく同じで、
いや、蝉の声だけで言うのなら、進めば進むほどに五月蝿くなっているような気もする。
そんな中を歩く一人の少年がいた。
少年は一旦足を止めると、額に浮き出た汗を拭うと、再び歩き出す。
何処となく疲れを感じさせるその足取りは、酷くゆっくりとしており、何となく力が入っていないようにも見えた。
少年は手を額に翳し、微かに目を細めて、自分の進路方向へとじっと凝らす。
しかし、そこに特に変わった様子もなく、ただ住宅が立ち並んでいるだけである。
だが、少年は前方の一箇所で目を止めると、もう一度吹き出た汗を拭って、再び歩き始める。
先程、その目で見た場所へと向って。
それから程なくして、少年は先程見ていた場所、公園へと辿り着くと、誰もいないベンチに腰掛ける。
ずっと持っていた荷物を降ろし、背もたれに背を預ける形で空を見上げる。
雨でも降れば、多少はましなのかもしれないが、見渡す限り雨雲は見えず、綺麗に晴れ渡っていた。
遠くの方では、この時期ならではの入道雲も見える。
それらを何とはなしに眺めつつ、少年はただ何もせずに空を見上げていた。
どれぐらいそうしていただろうか、やがて少年は自分の前に気配を感じ、顔を空から前方へと引き戻す。
そこには、少年よりも少し下ぐらいの一人の少女が立っていて、じっと少年の方を眺めていた。
お互いに目が合ったものの、何も言い出さずに目の前の人物を、ただお互いに見詰める。
何故か、懐かしいような、そして、何処かで会った事のあるような感じを受け、言葉も無く見詰め合っていた。

(これが既視感という奴か……)

少年はそう考えていたが、ふと我に返り、無言で見ている自分に恐怖で声が出なくなったのかと思い、
出来る限り優しい声を心掛けながら、声を掛けようとその口を開く。



夏休みに入り、一週間程が経とうとしていた。
だからと言って、藤堂志摩子は夜遅くまで起きて、朝遅くに起きるといった不規則な生活を送る事無く、
普段と変わらずに規則正しい生活を送っている。
いや、普段よりも自由な時間が多い為、家の手伝いをよくしていた。
午前中は学校の宿題をし、昼からは家の手伝い、そして夕方には予習復習をするというのが、夏休みに入ってから、
ここ最近の志摩子の生活リズムだった。
今日も昼からは母の手伝いをし、今も買い忘れていた物を買いに行って来た帰りであった。
昼も大分過ぎ、三時を周ったと言っても、夏の陽射しはとても強く、
志摩子は白いワンピースに鍔広の帽子といった格好で家路に向って歩いていた。
時折、流れてくる汗をハンカチで拭い、
家に帰ったらまず、冷えた麦茶を一杯飲もうと考えながら歩く志摩子の目に、それは飛び込んできた。
普段なら、何気なく通り過ぎるような、近所にある小さな公園。
そのベンチに座る少年の姿が。
何故、その少年が気になったのか。
志摩子はそれすらも分からないまま、何かに導かれるように公園へと踏み入る。
ゆっくりと少年に近づく者の、声を掛けて良いのか、
また、何と言って声を掛ければ良いのか分からず、志摩子はただ少年を見詰める。
ずっと少年を見ているうちに、何か元気がないような気がして、
もしかしたら、体調でも悪いのかと思い、志摩子は一つ決意を固めると声を掛けようと口を開く。
と、それまでずっと空を見上げていた少年が、志摩子へと視線を移す。
丁度、口を開きかけていた志摩子は、少年と目が合うと気恥ずかしげに口を閉じ、ただ目の前の少年を見詰める。
少年の方も、同じように志摩子をじっと見詰めてくる。
その目を見返しているうちに、志摩子の胸に懐かしさが込み上げてくる。
必死で記憶を辿ろうとし、しかし、そんな事をしなくても、はっきりと思い出すことの出来る大事な思い出。
胸の奥から込み上げてくるものをぐっと堪え、目尻に浮かんでくる雫を拭う事もせず、志摩子の口は自然と言葉を紡ぎ出していた。

「恭くん……」





怖がらせないように、何か声を掛けようとした少年よりも先に、少女──志摩子が呼び掛けてきた。

「恭くん」

その何処かで聞いた事のある懐かしい呼び方に、しかし、少年は少し首を捻る。
それを見て、志摩子は人違いだと思ったのか、頭を下げる。

「ご、ごめんなさい。知っている子かと思って」

小さい頃の記憶から、成長したら目の前の少年のようになっているだろうと勝手に思い込んで、
その名を呼んだ挙句、人違いだったという事実に、志摩子は恥ずかしそうに顔を染めて俯く。
そんな志摩子を眺めつつ、少年は必死で記憶を探っていた。
今の呼び方、そして目の前で俯く少女の姿に、数年前に出会った少女を思い出す。
その姿と目の前の少女が重なった時、少年──恭也の口から知らず言葉が零れ落ちる。

「志摩子……ちゃん?」

懐かしい呼び掛けに、志摩子は目の前にいる少年が昔、少しの間だけ滞在していた少年だと分かると、顔を上げて笑みを浮かべる。

「お久し振りです、恭くん」

「あ、ああ、うん」

一方、恭也の方は何処か呆然とした面持ちで返す。
そんな恭也を不思議そうに見遣りつつ、志摩子は首を傾げながら尋ねる。

「そういえば、おじさんは何処にいるの?」

志摩子の何気ない言葉に、恭也は少しだけ目を逸らすが、すぐに前を向くと答える。

「父さんは、もういないんだ」

恭也が何気なく言ったいないの意味に気付き、志摩子は涙を零す。
これに慌てたのは、他ならぬ恭也自身だった。
恭也はうろたえながら周りを見渡すが、目の前の志摩子は泣き止む気配が無く、それ所か、徐々に嗚咽が混じり始めていた。
しゃくりあげるように泣く志摩子をどうして良いのか分からず右往左往しているうちに、昔にも似たような事があったのを思い出す。
そして、恭也は昔と同じように、志摩子の頭にそっと手を置き、優しく撫でる。
志摩子が落ち着き、泣き止むまでずっと、恭也はそうしていた。
やがて、志摩子も落ち着き、泣き止むと、恭也に頭を下げる。

「恭くん、ごめんね。本当にごめんなさい。私、知らなかったの」

「別に気にしていないから。それに、もう結構、経つし」

そう言って、恭也は志摩子の頭をもう一度撫でる。
本当に恭也が怒っていないと理解し、志摩子も肩の力を抜く。
それから、どうして恭也がここにいるのかを尋ねた。
それに対し、恭也は少し考えた後、正直にその訳を話す。

「俺が剣の修行をしていたのは覚えている?」

恭也の言葉に、志摩子は黙って頷く。
それを見て、恭也も続ける。

「父さんが亡くなってから、俺は一人でその修行を続けていたんだ。
 で、まあ、色々あって、少し昔みたいに全国を周ってみようと思って」

細かい事を省き、恭也は大まかな経緯だけを話す。
自分と出会った時と同じようなものだと理解し、納得した志摩子は、何かを思い出したように口を開く。

「そ、そうだ。恭くん、気分が悪いの!?」

「いや、別にそんな事はないが」

「ほ、本当に」

「ああ」

「よ、良かった〜」

自分の懸念が外れていた事に安堵した所へ、お腹の虫が鳴る。
志摩子は慌てて自分の腹を押さえるが、どうも自分の腹が鳴ったのではないと分かると、目の前の恭也へと視線を向ける。
視線を向けられた恭也は、罰が悪そうな顔をして、少しばかり視線を逸らしていた。
そんな恭也の顔を見上げつつ、志摩子は再び笑みを浮かべると、その手を取る。

「恭くん、お腹が空いてるんでしょう。じゃあ、家においでよ。
 恭くんだったら、お父さんもお母さんも大歓迎だから」

「し、しかし……」

「良いから。それとも、何か用事でもあるの」

「いや、特には」

「それだったら……」

必死で訴えかけてくる志摩子に、恭也は頷く。
それを見て、志摩子は今まで最高の笑みを見せると、歩き始める。
繋がれた手とは逆の手で、急いで荷物を拾い上げると、そのまま志摩子が持っていた荷物も取る。
小さく声を上げる志摩子を制し、志摩子の荷物も持つと、恭也は志摩子と並んで歩き出す。
繋がった手を嬉しそうに眺める志摩子を不思議そうに見詰める恭也。
そんな恭也に気付き、志摩子が口を開く。

「どうかしたの、恭くん」

「いや、何でもないよ、志摩子ちゃん」

無邪気に尋ねてくる志摩子に、恭也はそう言って首を振るが、志摩子は剥れたような顔をして頬を膨らませる。

「恭くん、ちゃんと私の名前を呼んで」

「え、呼んだじゃないか」

「違うの! ほら、お別れした時みたいに」

志摩子の言わんとしている事を悟り、恭也は苦笑しつつも言い直す。

「志摩子、これで良いか?」

「うん」

志摩子は嬉しそうに頷くと、繋いだ手を大きく振るのだった。



  ◇◇◇



志摩子の家である小寓寺までやって来た恭也は、少しの間、玄関先で待つ。
それから暫らくして、すぐに志摩子の母、真奈美が現われるなり、目を見開いて嬉しそうな声を上げる。

「本当に恭也くんね。大きくなったわね」

「お久し振りです。その節は、大変お世話になりまして……」

恭也の挨拶もそこそこに、真奈美は恭也を家へと上げる。

「今すぐ、何か作るから居間の方で待ってて頂戴。志摩子、恭也くんを案内してあげて」

母の言葉に頷き、志摩子は恭也の手を取って居間へと案内する。
案内された居間で待つ事、暫し。
程なくして、テーブルには幾つかの料理が並ぶ。

「夕飯までそんなに時間が無いから、簡単な物だけれど……」

そう言う真奈美に、恭也は感謝しつつ、手を合わせると「頂きます」と断わってから、箸を手にする。
手近にあった一品を口へと運ぶ。

「……ん、美味い。これは、銀杏ですか」

「ええ、そうですよ。
 銀杏を擦ってペースト状にしたものに塩を少々加えて、焼き海苔で巻いたものに軽く火を通した、銀杏の磯部揚げよ」

「銀杏の独特の香りが、海苔の香りで少し変化してますね。うん、美味しいです」

恭也はそう言うと、今度は違うものに手を伸ばす。
そんな恭也を見ながら、真奈美は嬉しそうに微笑んでいた。

やがて、恭也が食べえ終えた後の片付けを済ませると、真奈美は再び居間へとやって来る。
そこには、志摩子の父である修治も一緒だった。
二人は、恭也から今までの話を簡単に聞き、二、三日滞在するように恭也へと勧めた。
最初は断わった恭也だったが、最後には二人の提案を受け入れる事となり、数日間だけ滞在する事にした。
これに一番喜んだのは、志摩子だった。
こうして、恭也は再び小寓寺でお世話になる事となったのであった。

最初は嬉しそうに、始終恭也に引っ付いていた志摩子だったが、
時折、何か悩んでいるように顔を翳らせている所を恭也は度々、目撃していた。
三日ほど経ったある日、恭也は志摩子を誘って、昔、恭也が鍛練に使っていた場所へと来ていた。
手ごろな大きさの石を見つけ、二人は腰を降ろす。
と、早速、恭也が志摩子へと尋ねる。

「志摩子、何か悩んでない」

「え、べ、別に何にも悩んでないよ」

そう答える志摩子をじっと見詰め、それが嘘だと見破ると、恭也はゆっくりと言い聞かせるように告げる。

「それは、俺にも言えないような事か」

別段、責めるでもない静かな恭也の声に、志摩子は考えてから、ゆっくりと首を横に振る。
それを見て、恭也はただ黙って志摩子の隣で、志摩子が話し出すのを辛抱強く待つ。
やがて、志摩子はぽつりぽつりと話し出した。

「実は、私、リリアンに進みたいんです。でも、家がお寺だから……」

恭也は志摩子にリリアンについて尋ね、それを聞くとゆっくりと頷く。

「成る程な。それで悩んでたのか。でも、おじさんとおばさんだったら、別に反対しないと思うけど」

恭也の言葉に、しかし、志摩子は首を激しく振る。

「確かに、お父さんもお母さんも反対はしないと思うけど。
 でも、私みたいなのが、リリアンに通って良いはずがないんです」

志摩子の言葉に、恭也は少し困ったような顔をした後、そっと志摩子の頭に手を置く。
優しく撫でながら、恭也は自分の考えを口にする。

「そんなに気にするような事じゃないと思うけれど、どうしても気になるというのなら、止めたら良い。
 ただ、志摩子自身は本当はどうしたいんだ。
 周りの事なんて一切関係なく、ただ志摩子一人の思いとして、リリアンに行きたいという思いと諦めるという思い。
 どっちが大きいんだ。まず、そこだと思うけれど。後の事は、その時にでも考えれば良い。
 まあ、俺自身の事じゃないから、こんな事が言えるんだけどな」

恭也の言葉を、志摩子は小さく繰り返し、やがて決心したのかゆっくりと顔をあげる。
志摩子は恭也に礼を言うと、すぐさま家の方へと走り出す。
その背中を眺めつつ、少しらしくなかったかもなと呟きながら、微かに苦笑を浮かべるのだった。

その夜、与えられた客室にいた恭也の元へ、寝巻き姿の志摩子が話があるとやって来た。
中へと志摩子を招き、恭也は志摩子の話を待つ。

「恭くん、私リリアンを受けることにしたから。お父さんたちも良いって」

そう話す志摩子の顔は、まだ不安そうではあるものの、幾分晴れていた。

「そうか、頑張ってな」

恭也の言葉に、志摩子は大きく頷くと、上目がちに恭也を見る。
何処かソワソワした様子で、どう切り出そうか迷っている感じだった。
恭也は、話は終ったんじゃないのかと思っていたが、何か言いたそうにしている志摩子の手前、暫し黙って待つ。
やがて、両手を組みながら、志摩子はその口を開く。

「恭くん、約束覚えてる?」

「約束……?」

尋ね返す恭也の様子に、志摩子は悲しげな顔を一瞬だけ見せると、すぐに頭を振って何でもないと言う。
そんな志摩子の様子が気になった恭也は、必死に記憶を辿り、別れ際の約束を思い出す。

「あ、ああ、覚えてるよ」

顔を赤くしつつ、そう告げた恭也に、志摩子は嬉しそうな顔を見せると、

「ちゃんと覚えててくれたんだ」

何処か決まりが悪そうな顔を浮かべるものの、恭也は頷く。

「覚えていたと言うか、思い出した」

「……忘れてたの」

「いや、そうじゃなくて。あ、いや、確かに忘れていたんだが、ほ、ほら色々あったから」

必死で言い繕う恭也の様子に、最初は悲しそうな顔をしていた志摩子だったが、いつしか笑い顔になっていた。

「うん、思い出してくれただけでも充分だよ」

「そ、そうか」

ほっと胸を撫で下ろした恭也だったが、続く志摩子の言葉に咽そうになる。

「あの約束、ちゃんと守ってくれる?」

「えっと、そのどっちの約束だ。二つしたと思ったんだが」

質問に質問で返した恭也だったが、志摩子は無邪気な笑顔を見せると、

「勿論、両方だよ」

その答えに、恭也は暫らく無言だったが、やがて頷く。

「ああ、勿論。志摩子が嫌だと言わない限りは」

「私は言わないよ、そんな事」

「そうか。だったら、もう少し大人になってからな」

「うん」

恭也はそう言うと、そろそろ寝た方が良いと志摩子に部屋に戻るように告げる。
しかし、ここでも志摩子は予想外の行動に出る。
既に敷かれていた布団へと潜り込んだのだった。
慌てて声を上げる恭也に、志摩子は布団から目だけを出して言う。

「昔みたいに、一緒に寝ても良いでしょう」

そんな志摩子を見て、恭也は諦めたように肩を竦めると、志摩子の横で床に着くのだった。



  ◇◇◇



あれから数日後の朝。
恭也は志摩子たちに見送られる形で門の所まで来ていた。

「本当にお世話になりました」

「恭也くん、何かあれば、いつでも来なさい」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、また来ます」

「恭也くん、あまり無理はしないようにね」

「はい、気をつけます」

修治、真奈美と挨拶を済ませると、志摩子の前へと立つ。

「それじゃあ、俺はもう行くよ」

「うん。また来てね」

「ああ、来年のこの日にまた」

「うん」

「じゃあ、元気でな」

「うん、恭くん……、恭也さんもお元気で」

言い直した志摩子に少し驚きの顔をしつつ、恭也はすぐに笑みを見せると、短くそれに答えて背を向ける。
ゆっくりと階段を降りていく背中を見詰めつつ、志摩子は呼び止めそうになるのを何とか堪える。
来年また、と約束をしたから。
それを信じて。
そんな志摩子の様子を背中越しに感じたのか、恭也は一度だけ立ち止まって振り返ると、しっかり言葉を届ける。

「また来年、絶対に会いに来るから」

「はい、待ってます」

恭也の言葉に、しっかりと頷く志摩子を最後まで見届ける事無く、恭也は再び階段を降り始めていた。
それ以上の言葉はなかったけれど、二人の間にはしっかりとした絆が出来ていたから。
だから、二人は一時の別れを済ませる。
それが、次に再会する為のものだと確信しているから。





<おわり>




<あとがき>

や、やっと出来た。
美姫 「お、遅すぎるわよ!」
うぐぅ。
美姫 「いや、あんたがやっても可愛くないし」
いや〜、しかし随分と時間が掛かったな〜。
書く、書くとは言っていた再会編、ようやく完成〜。
美姫 「単に、アンタが書いてなかっただけだけどね」
うぅぅ。と、とりあえず、ようやく完成です〜。
美姫 「さて、それじゃあ、次は誰かな〜」
……分っかりません!
美姫 「はぁ〜。とりあえず、今回はこの辺で」
ではでは〜。







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