『ごちゃまぜ9』






『高町家の非日常的日常』

「あはははは」

「ふふふふふ」

夕暮れの中、二つの高笑いと共に響くのは金属音。
途切れる事無く打ち合わされる刃は、時にピタリとその音を途絶えさせ、代わりに静かな風切り音がする。
その間も続く笑い声は、男と女のもの。
二人はその顔に笑みを浮かべ、狂気を周囲に振りまきながら凶器を振るう。
小太刀と呼ばれる刀の一種を互いに相手へと振るい、互いに止まる事無く動き続ける。

「あはははは、楽しいな美由希」

「ふふふふふ、本当に楽しいね、恭ちゃん」

笑い声と刃のぶつかり合う音を響かせ、恭也と美由希は楽しそうに死の演舞を行う。
小太刀を時にニ刀使い、飛針を飛ばし、鋼糸を操り。
ただただ二人は狂ったかのように笑いながら止まる事を忘れた玩具のように。
異様なこの光景に、しかし口を挟む者はいない。
一体いつから繰り広げられているのか、両者共に軽く呼吸を乱している。
それでも、笑いを、攻撃の手を止める事無く、ただただ繰り返し繰り返し。



「……で、何をやっているの、あなたたちは」

何処までも続くかと思われた狂宴は、しかし唐突に終わりを告げる。
帰宅した桃子の当然とも言える疑問の言葉によって。
ピタリと息を揃えたように動きを止めた二人は、互いに顔を見合わせて、

「鍛錬だが」

「鍛錬だよ」

「いや、そうじゃなくて……」

あまりにも恭也と美由希が普通に言うので、桃子は思わず言葉を無くし、それでも何とか伝えようと試みる。

「さっきの怪しげな笑い声はなに?」

「ああ、あれか」

「ほら、昨日かーさんが言ったんじゃない」

「私、何か言ったかしら」

息子と娘の奇行に自分の発言が関係していると言われ、考える桃子。
だが、全く記憶には浮かんでこず、困ったように二人を見れば、

「少しは年相応に笑えと」

「あと、私たちの趣味を土いじりと言って、他に楽しい事はないのかって聞いたじゃない」

「故に二人で出した結論として、土いじり以外に楽める趣味として鍛錬があるぞと証明しただけだ」

「ちゃんと楽しいと言う証拠に年相応に笑ってたでしょう」

「…………あー、あの笑いはちょっとどうかと思うけれど」

真顔で言う二人に桃子は笑顔を引き攣らせつつ、
趣味である盆栽やガーデニングを土いじりと称した事を根に持っているなと考える。
つまる所、これは意趣返しといった所なのだろう。

「えっと……ご近所さんから変に見られるから」

「安心しろ」

「私たちは気にしないから」

「私が気にするのよ! と言うか、なのはたちは!?」

自分が帰宅する前に止めてくれそうな住人たちを思い出して尋ねるも、
二人からは簡潔に出掛けているというありがたい言葉を頂く。

「さあ、美由希続きをしようか」

「うん、恭ちゃん。土いじりよりも楽しいよね」

「そうだな。あっははははははー。そらそらそら! 我が刃の錆びになれ!」

「ふふふふふ。甘い、甘いよ恭ちゃん、寧ろ返り討ちにしてあげるよ!」

「…………」

再び始まった二人の鍛錬に桃子は何を言っても無駄だと悟り背を向ける。
ちょっと出掛けてくると告げ、二度と、二人の趣味には口を出さないでおこうと固く決心する。
そんな何でもない高町家の非日常のひとコマであったとさ。



   §§



それは突然の出来事であった。
学校から帰宅し、さて何をするかと思っていた所で同じように時間を持て余していた美由希と視線が合い、
軽く体を動かそうと自然と決まった所でその準備に取り掛かろうとした、まさにその時であった。
恭也と美由希の目の前に、二人の身長よりも少しだけ高く、幅はこれまた恭也が自然に立っているよりも広い、
表面は水面のように透き通り、けれども向こう側見えない、鏡にも見えるソレが出現したのは。
まるで、早く飛び込めと言わんばかりに目の前に広がる厚さだけは一ミリもない程の鏡もどき。
好奇心が刺激されたのか、美由希が思わず手を出そうとした所で恭也はその手を掴んで止める。

「無闇に触ろうとするな。何か可笑しな現象だったらどうするんだ」

「う、ごめん。でも、何かくぐれって言われているみたいで落ち着かないんだけれど」

二人が多少移動しようとも、鏡はその表面に変化も見せず、ただ佇んでいる。
暫し眺めた後、恭也は庭へ降りると手ごろの石を手にして再び戻って来ると、躊躇わずにその石を投げ入れる。
それで満足したのか、二人の前に浮かんでいた鏡モドキはす〜っと音も立てず、まるで幻覚だったかのように消える。
まるで白昼夢でも見ていたかのようにその光景を眺めていた二人であったが、
周囲に異常も見られない事からすぐに気持ちを持ち直し、二人が言う所の軽い運動の準備に取り掛かるのであった。



小さな爆発が起こり、その余波で煙が生み出される。
僅かに発生した煙は、そこが屋外という事もあってか数秒であっという間に晴れ、見通しがすぐに利くようになる。
その現象を起こした張本人、ピンクがかった髪の少女は何かを期待するように目を皿のようにして周囲を見渡し、
思うような効果がなかったのか、悔しげに眉を顰める。
が、確かに手応えを感じていたのか、可笑しいとぶつくさ呟く。
そのすぐ隣に一人の中年の男性が立つなり、何か言いたそうにするも結局は気まずそうに顔を俯ける。
そんな少女――ルイズに対して近付いた中年男であるコルベールは何も言わずにしゃがみ込むと、
一つの石をその手に掴み、持ち上げる。

「どうやら、この石が呼び出されたようですね」

コルベールの言葉に周囲にいたルイズと同じ年頃の少年少女たちからからかいの言葉が飛び、
ルイズは怒りを堪えつつ、コルベールへと食って掛かる。

「そんな無機物が召喚されるなんて聞いた事はありません。
 もう一度、もう一度お願いします!」

「落ち着いてください、ミス・ヴァリエール。
 無機物が自分の意思で召喚に応じるはずがないのは分かっています。
 恐らく、今回はちゃんと召喚できる所だったのでしょう。
 ですが、何らかの事態が向こう側で起こり、召喚の扉を潜る前に石が飲み込まれたんでしょう」

「で、ではもう一度」

「そうですね、確認の為にも今一度行う事を許可しましょう」

コルベールはそう告げると、召喚された石を地面に放り投げる。
見渡す限りに他に石など見えない事を確認し、やはりあの石が召喚先から転がり出てきたのは間違いないようである。
改めて確認するコルベールの前で、ルイズは今一度大げさとも取れる宣誓をして再び召喚に挑戦を始める。



恭也と美由希の二人が軽いランニングを終え、いざ家の道場で打ち合おうと庭に入ったその時、
またしても先程と同じ鏡モドキが姿を見せる。

「恭ちゃん、また出てきたよ」

「ふむ、さっきの石だけでは足りなかったのか」

「流石は妖怪石おくれだね」

「ああ。もしくは、先程のとは違う個体かもしれないがな」

二人の中では、既に先程の、いや、目の前の鏡モドキは妖怪という事になっていた。
故に二人は危害を加えるでもなく、ただ目の前に居るだけの妖怪のために親切心を出し、
庭にあった小石などを素早く集めてやる。

「これぐらいあれば充分だろう」

両手を合わせ、そこにこんもりと盛られた石を見て満足そうに頷く恭也。
美由希の手にも同じ量だけの石があり、二人は息を合わせると妖怪石おくれへと投げ込む。
無数の石を飲み込み、満足したのかまたしても姿を消す妖怪。
それをこちらも満足そうな顔で見遣り、恭也と美由希は道場へと入って行く。



今度は爆発は起こらなかった。
その代わりとでも言うように、その目の前にバラバラと大量の小石が落ちてきた。
バラバラに落ちてくる石が小さな音を立て、まるで自分をバカにしているようにも聞こえる。
完全な被害妄想だとは分かっている。分かってはいるが、周りからはバカにする笑い声が響き、
足元には大量の小石が散らばっている。
そんな光景の中に居て、爆発しないような大人しい性格ではないのだ。
故にルイズは周りをきっと睨み付け、苛立ちも顕わにしたまま、
コルベールの言葉を聞くよりも先に再び呪文を唱える。
声を掛けようとしたコルベールは、そのタイミングを外されて仕方なく沈黙するしかできなかった。



「またか。随分と図々しい奴だな」

「もしかして、下手に餌をあげたらいけなかったのかな」

「む、やはり素人が勝手にするものではなかったか」

「那美さんに聞いてからすれば良かったね、恭ちゃん」

美由希の言葉に頷き返しながらも、恭也は他に何かないかと道場内を見る。
が、道場の中には木刀以外に物など初めから置いておらず、恭也は仕方ないと再び庭へと向かう。
一分もしない内に道場へと戻ってきた恭也の手には、石ではなく枝が握られていた。

「枝も食べるのかな」

「いや、そもそも石じゃなかった可能性があるからな」

「だとして、枝でもなかったら怒らないかな」

「大丈夫だろう。こちらは親切でやっている事だしな。
 まあ、それを向こうが理解してくれるかは分からないが、敵意は感じられないしな」

言いつつ恭也は手にした枝を放り込む。
するとまたしても妖怪は姿を消す。

「ふむ、やはり枝でも良かったのか」

「もしかして、何でも食べるのかな」

「雑食と言う奴か。まあ良いさ。流石に四度も食事を貰いには来ないだろう。
 それよりも始めるぞ」

「はい、師範代!」

二人は小太刀サイズの木刀を手に持ち対峙する。




「きー! なななな、なんなのよ! 一体、何なの!
 そんなに私に召喚されるのが嫌だとでも言うの!」

三度行った魔法により出現した一本の貧相な枝。
その枝を怒りに任せてぽきりと折ると、ルイズはバックに炎さえ見えるような気迫で四度目となる呪文を唱える。
一方、ルイズが手にした枝が珍しかったのか、よく見せてもらおうと思った矢先にそれを折られ、
それでも捨てられた枝を拾おうと近付いたコルベールであったが、
ルイズが魔法を唱えるために集中し出したのを見て、邪魔しないように元の位置に戻る。
それでも枝が気になるのか、ちらちらとルイズの足元を眺め、後で拾おうと心の中にメモするのだった。



「いい加減にして欲しいんだがな」

「言葉が通じていないのかな」

「その可能性もあるが、もしかして肉食なのかもな。仕方ない、美由希」

「い、嫌だよ! 恭ちゃんの事だから私に飛び込めとか言うんでしょう!」

「お前な。幾ら俺でもそんな冗談は言わないぞ」

呆れつつ返す恭也に美由希もそれもそうかと思い直す。
確かに意地悪な所も充分にある恭也だが、家族や友人と言った者は大事にしているのだ。
尤も冗談でなら言う可能性はまだ捨てきれない美由希ではあったが。

「で、何をあげるつもりだったの」

「冷蔵庫の中に肉があったと思うんだが」

「うーん、勝手に使って良いのかな」

「む、少しぐらいなら良いかと思うが食材に関しては勝手にはできないな」

ここ高町家の食を握るのは三人で、平日は主に二人が担当している。
言えば分けてもらえるであろうが、生憎今は誰も居ない。
あの二人ならば後から報告しても許してくれそうではあるが、何を作るつもりなのかも分からない以上、
少しとは言え勝手に使うのも忍びないと恭也は冷蔵庫の中の物は諦める。

「となると、何を与えるかだが」

「あ、キッチンのゴミ箱にあった生ゴミは?」

「お前、中々凄い事を口にするな」

「いや、だって野菜の皮とか切れ端があるじゃない。
 それに妖怪だし、それぐらいなら食べるかなと」

「まあものは試しだな。もし、怒りを買った時はお前一人の責任という事で」

「ちょ、何気に酷いよ恭ちゃん。
 寧ろ恭ちゃんの方が乗り気なのに!」

文句を言いつつ恭也の後を追う美由希。
暫くして戻ってきた二人の手には、ビニール袋に入れられた野菜の皮や切れ端。
後は魚の骨に皮といったものであった。

「流石にビニールはまずいだろうな」

「だね」

二人はビニール袋の口を広げ、起用に中身だけを妖怪へと放り投げる。
すると、満足したのかすぐに消える妖怪。
それを確認し、二人は再び鍛錬へと戻るのであった。



「ふ、ふふふふ。これはあれね、うん。私に対する挑戦と見たわ」

前に垂れていた自慢の髪の手で払い除け、ルイズは完全に据わった目で居ない筈の、
召喚様の扉の向こうに居るであろう相手に怒りをぶつける。
頭から生ゴミを被ったルイズに、先程までからかっていた者たちの数人が同情したような視線を向けてくるが、
それすら気付かず怒りを顕わに眦を吊り上げるルイズ。
その光景にからかいの声を掛けようとしていた者も何かを感じ取ったのか、静かに口を紡ぐ。
今だの何かの皮が頭の天辺に乗っている状態なのだが、あまりの迫力に誰も注意する事さえしない。
こうして、ルイズはもう一度とばかりに呪文を唱えようとして、

「今日はここまでにしておきましょう」

「っ! 待ってください! 次、次こそは必ず」

儀式の中止を提案した教師であるコルベールに縋るルイズ。
だが、コルベールは首を横に振る。

「状況から考えて、何らかの事態というのが落ち着いていない可能性が考えられます。
 一旦時間を空けた方が上手くいくと思いますよ。
 今回に限り、ミス・ヴァリエールの召喚の儀に関しては延期という形を認めましょう」

使い魔を呼び出せなければ留年。
それが保留とされ、後日にやり直しとなる事は単純に喜べる事だろう。
だが、昨日眠るまでどんな使い魔を呼び出せるのか、凄い使い魔を召喚して、
今までバカにしてきたクラスメイトたちに自分の本当に力を見せてやるんだという意気込み、
そういった諸々の感情は中々収まりを見せない。そこに加え、ご主人様となるべき自分に石や枝、
あまつさえ、生ゴミを頭に降らすなどとしたまだ見ぬ使い魔に対する怒りが一番収まらない。
とは言え、コルベールの言う事も確かだと思う。
ただ潜るだけなのにそれも出来ないような事情があるのかもしれない。
だとすれば、今回ばかりは主人である自分の方が妥協しようではないか。
その代わり、呼び出した暁にはしっかりと教育が必要ね、と今後の予定を勝手に考え、
乗馬用の鞭を何処にしまったのか記憶を手繰りながら、ルイズは見るものが思わず引くような笑みを浮かべる。
その笑みにやや引きつつも、教師であるコルベールは今日の事を学院長に報告しておくからとルイズを安心させ、
他の生徒たちにも聞こえるように、学院へと戻るように指示を出すのであった。

後日、ルイズが再び召喚に挑戦するも、
その先では完全に妖怪――それも何でも食べる――と思われている事などルイズが知るはずもなく、
恭也と美由希だけでなく、高町家にも認識されてしまった為、
寧ろ前にも増して生ゴミが送られてくる事になるのだが、それはまた別のお話。
果たして、ルイズは無事に召喚を終える事が出来るのか。



ルイズ、召喚挑戦記



   §§



四月の初旬。春の様相をはっきりと見せる若々しい木々に囲まれた川のほとり。
まさに大自然と言わしめるその光景の中に僅かばかり景観を損なう異物があった。
その異物は足場の悪さをものともせず動き回り、時折甲高い物音を上げる。
幾度と繰り返された音に混じり、一際大きな音がしたかと思えば、今度は急に静寂が辺りを包み込む。
それに合わせたかのように動いていた者たちも動きを止め、

「今日はここまで」

「はぁ〜、ありがとうございます師範代」

恭也と美由希は互いに手にしていた得物――小太刀を鞘に納めると美由希はその場に座り込む。
そんな美由希へとタオルを投げながら体を冷やさないようにと注意の言葉を掛け、自分もまたタオルで汗を拭う。
最早恒例となった春の合宿。その丁度、折り返しに来た所で恭也はざっと今日までの出来上がりを思い浮かべ、
一人満足そうに頷く。そんな恭也を横目で窺いながら、美由希は言われたように汗を拭い、軽く柔軟を行う。

「大分、良い感じで仕上がってきたな」

「本当? でも、まだ貫の感覚がちょっと掴めないんだよね」

「まあ、それは追々感覚で覚えていくとして、斬に関しては問題ないだろう。
 徹に関しても小太刀で使用する分にはもう自在に操れているな」

「うん。でも、まだ素手だと偶に上手くいかなかったりするんだよね。
 足とかだと更に下がるし。まだまだ恭ちゃんみたいにはいかないね」

「そう簡単に追いつかれてたまるか」

何処か嬉しそうに語る美由希にはっきりとそう返しつつ、恭也は美由希の出来上がりには内心で満足していた。
少し習得に時間が掛かっている所もあるが、全体で見れば順調に育っている。
本人の才能もさることながら、努力を惜しまずに取り組んでいるからでもある。
自身の才のなさを更に痛感させられつつも、順調に自分を超えるべく成長している美由希を恭也は嬉しく思う。
勿論、それを口には愚か表情からも悟らせないようにし、恭也は朝食の準備を始めるのだった。



いつもと変わらない長期休みを利用した山篭り。
日付を勘違いして予定よりも遅れての帰宅と言う事態は起こったものの、
やはり変わらない日常が続くかのように思われた。
だがこの春、恭也たちは様々な出会いをする事となる。
同時にそれは二人を戦いの場へと導く事にもなるなど、この時には思いもしなかった。



「っ、この私が、自動人形の最終形態にして最高傑作のこの私がただの人間に恐怖を抱いた?
 ありえない、そんな事は絶対に認めない! 貴様を倒して私の方が強いという事を証明してやる!」

「……貴女は確かに強い。でも、私はもっと強い人を知っている。
 どんなに強くても、貴女の強さは予想の範囲内。
 恭ちゃんを知り、恭ちゃんに鍛えられた私には、貴女の力は届かない」

淡々と、ただ事実を告げるかのように述べる美由希の言葉にイレインは更に怒りを抱く。
それは既に憎悪とさえ呼べる程に苛烈なものとなっており、
美由希の背後に立つ忍は自分に直接向けられた訳でもないのに思わず後退ってしまう。
だが、それに直接晒されているはずの美由希は至って涼しい顔でそれを受け流し、揺るぎもせずにそこに立つ。
互いに交差する視線。最初に仕掛けたのはイレインだった。



「これが祟り……」

「美由希さん、危ないから下がってください!」

久遠から引き離さた祟りと呼ばれる存在。その異様な力を前に立ち尽くしていた美由希だったが、
その手に小太刀を握ると止める那美の言葉も聞かずに踏み出す。
どういう理屈なのか、目の前に存在する霧のような、靄のようなものには物理的な攻撃が通じる。
それは先程、久遠をあれから引き離す際に確認済みである。
ならば戦える美由希は小太刀を持つ手に力を込める。

「これぐらい切り伏せれなければ、あの背中に追い付く事なんて出来ない!」

祟りへと後数メートルの距離で、美由希は覚えたばかりの神速の世界へと飛び込む。
世界が色を失う中、ゆっくりとした速度で祟りへと接近し、手にした刃を振り下ろす。



「ようこそ、高町……いや、御神美由希。
 御神最後の、そして正当なる後継者よ!」

「貴女が永全に連なる者たちに試練を与えるという……」

「その通り! 長い歴史の中で既に名さえも忘れ去られた、過去の幻影。
 そして、此度の試練を与える者。見事、試練を乗り越えて真なる御神となるか、それともここで朽ち果てるか」

「あの人と並び歩くためならば、試練だろうと何だろうと食い破るまで!」

「くっくっく、いい、実に良い殺気だ。とても心地良いよ、御神。
 流石はあの男の弟子。人としての外れ方までよく似ている。だが、まだまだと言わざるを得ないな。
 その程度の歪みではあの男のいる高みには辿り着けないぞ! もっと狂え、強さを求めよ!
 我はその為の試練を汝に課そうではないか!
 見せろ、見せてくれ、人でありながらその根本を歪め、踏み外し、ただ高みへと上っていくその姿を!
 そう、あの不破のように!」

洞窟と呼ぶのがもっとも相応しい、岩肌も露出した閉鎖された空間内。
今、そこに二人が発する禍々しい気が膨れ上がり、互いを飲み込まんとばかりに荒れ狂う。
正常な者ならばその気に触れただけでも狂いそうなそんな中にあってなお、美由希は目の前の相手のみを映し、
相手もただ楽しそうに高笑するのみ。禍々しい空間で二人の剣士がぶつかり合う。



「って言うのはどうかな?」

「どうかなって、忍さん、これ私なんですか」

昼下がりの穏やかな午後。
高町家のリビングで突然にそんな事を口にする忍。
その手には先程まで美由希たちが読んでいた脚本が握られている。

「これじゃあ、まるで私が化け物じゃないですか」

「大丈夫、大丈夫。恭也はそれ以上の化け物って事になるから」

「でも、恭也さんの出番は最初以外にはないんですよね」

「まあね。そもそも、最初は恭也でやるつもりだったんだけれど、本人がどうしても嫌だって言ってきかなくてね」

「だからって、どうして私がやらないといけないんですか!?
 って言うか、普通に御神とか出したら駄目だし!」

叫びそのままテーブルに突っ伏す美由希に那美はただ乾いた笑みを浮かべる。
一方、晶やレンは台本に目をやりつつ、

「自主映画は良いとしても、こんなの撮れるのか?」

「うちはアクションシーンは問題ないような気がするけれどな」

「ああ、それは確かに。っていうか、忍さん、俺が亀に負けるシーンしかないんですが……」

「のほほほほ、それが現実というものですよ、晶くん」

「んだと!」

「やるか?」

「映画と一緒の結果になると思うなよ!」

「面白い事を言いますな〜」

喧嘩を始める二人を無視し、美由希は顎を着いたまま恨めしそうに忍を見上げる。

「第一、恭ちゃんが賛成するはずないですよ」

「あ、許可なら貰ったわよ。他の人たちの許可を取り付けて、その上で実名じゃなければって。
 あと、裏方なら手伝うけれど役者はパスという事で、恭也の役は赤星君に頼もうって思っているんだけれど」

「あのー、私に拒否権は?」

「うふふふ」

忍の顔を見て、美由希は言うだけ無駄だったかとまた顔を突っ伏せる。
そんな美由希の疲れた様子など気にもせず、忍は拳を握り締めて更に声高に叫ぶ。

「同時公開、高町さん家のフェイにゃんも宜しくね!」



   §§



「うーん、どうしようかな〜」

そう頭を抱えて悩んでいるのは海鳴市は藤見町に在住している高町美由希、その人である。
珍しくと言うと失礼かもしれないが、それほどまでに深刻な表情をして一人、美由希は住宅街を歩いていた。
が、ふとその足を止めたかと思うと、キョロキョロと周囲を見渡しだし、

「ここ、どこ?」

自分のいる場所に全く見覚えがないという事態に陥るのであった。
数回、再度自分の周囲を見渡してみるも、やはり見覚えのある光景は何一つなく、
そこまで考え込んでいたかなと自嘲してみせるも、まだまだ余裕の表情で懐へと手を忍ばせる。
昨今の技術に感謝しつつ、自分の居場所を調べようとする美由希。
が、その手がピタリと止まる。
自分はそこまで文明の利器を上手に利用できただろうか、という当たり前の事実に気付き、
分からなければそういう方面では我が家一詳しい末っ子に尋ねれば良いやと再度手を動かす。
動かす、動かす、動かす、のだが肝心の携帯電話が見つからない。
まさかと思いつつも自分の覚えている限りの行動を思い返せば、

「ああ! 机の上に忘れた!」

見事に携帯電話を忘れていると言う事実へと行き当たり、美由希は肩を落として落ち込む。
が、このままではいけないと思い立ち、改めて周囲を見渡して住所の書かれた標識を見つける。

「あ、何だ隣町だ」

見覚えのある町名に胸を撫で下ろし、空を見上げて太陽の位置を確認する。

「家を出たのがお昼を食べた後……、だとすると体の疲労感から今の時間は……で、太陽の位置があそこ。
 今の季節から考えるに、北はあっちになるから……、うん、こっちに行けば帰れる」

と来た方を指差す。
が、その事に突っ込む者は誰もおらず、当の本人は本気で安堵の吐息を漏らしている。
意気揚々とまではいかないものの、これで恭也にバカにされずに済むと幾分か安心した表情で歩き出すのだが、
やはり数歩も行かない内にまた悩み出す。

「うーん、今月は色々と使っちゃったからな」

自身の懐の寒さを嘆きつつ、もう一週間とちょっとと迫った恭也の誕生日に思いを寄せる。

「やっぱりバイトしよう、うん」

何であれ心からのプレゼントであれば喜ぶであろう事は理解しているが、
やはりそれでも更に喜んで欲しいと思うのが恋する乙女心というものよ、と自分で口にする。
それに対して、だったらその相手の誕生日を忘れるか、などという無粋な突っ込みは当然ながらない。
バイトを決めた美由希は帰る足も速く来た道を戻って行く。

「でも、当日まで知られないようにしないといけないし。
 あ、その日までにバイト代がもらえるかどうかの交渉もしないと……」

実は意外と人見知りの気が少々ある美由希さん。
そこまで考えるに至り、徐々に声も覇気も小さくなっていく。
うんうんと頭を捻っている所へ狙ったかのように美由希の足元へと絡む一枚の紙。
特に考えるでもなく足を退けようとして、そこに書かれたバイト募集の文字にそれを拾い上げる。

『バイト募集。体力に自信身のある方求む!
 我こそはと思う方は来る土曜日、午後3時に下記場所まで』

その下に地図と仕事の簡単な内容が書かれていたりするのだが、
美由希の視線はそこまで行かずにある一点に釘付けとなる。

『初回バイト代、希望者には前払い』

この一文を目にした美由希は、自身の体内時計から時間がまだ大丈夫な事を確信し、
次いで場所をすぐさま確認すれば運良くここのすぐ近く。更には履歴書も不要となっている。
ならばとばかりに美由希は駆け足でその場所を目指して走り出す。
これがどこかの店や家なら迷っている現在、辿り着けるのかどうかは怪しかったが、
幸いにしてその場所は美由希も場所だけは知っている。
故に大体の方角も分かっており、それが正しいとばかりに前方に目立つ屋根が見えてきた。
こうして、美由希はバイトの面接に挑む事となる。
集められたのは周囲の家々と比べても広い敷地を持ち、
まるで何かの研究所にも見える球形の天井をした建物を庭に持つ一件の住宅、小石川家。
もしくは小石川研究所。この施設のお蔭で場所もすぐに分かり、
美由希は既に集まっているらしき者たちに混じって集合場所とされていた庭に並ぶ。
それなりに、というよりも五十人近くいる人たちをざっと見渡せば、男性の方が多い。
やはり体力絡みとなると仕方ないかと思いつつ、美由希も体力には自信がある。
負けないとばかりに背筋を伸ばし、面接が始まるのを待つ。
やがて、研究所らしき建物の扉が開き、中から一人の男性が姿を見せる。
年は二十代後半で白衣を身に付けた男性はマイクを手に集まった者たちへと面接の内容を説明する。

「えー、本日はお集まり頂きましてありがとうございます。
 今から皆さんにはある試験を受けて頂きます。ルールは至って簡単。
 あちらにある入り口から入り、ゴールである面接会場まで辿り着いてください。
 それだけです」

白衣の男が指し示す先に、確かに入り口らしきものが見える。
どうやら地下へと続いているらしく、その先は暗くてここからではよく見えない。
試験の内容に首を傾げる者も多くいる中、スタートの合図がされる。
これ以上の説明はもらえないと分かったのか、こぞって入り口へと殺到する者たちの後を眺めながら、
美由希もまた首を傾げつつゆっくりとした足取りで続く。
既に他の人たちの姿が見えなくなった頃、美由希はようやく入り口に辿り着く。
そこには張り紙が貼られており、

『中は迷路になっています。迷った方は試験が終了後に回収しますのでご安心を。
 また中には幾つかの罠も用意していますので、体力、気力、根性で潜り抜けてください。
 ささやかながら、幾つかの武器も至急いたします。この中から一つ、お好きな物をお取りください』

それを呼んで美由希が改めて周囲を見れば、確かに武器らしき物が置かれている。
大分して銃と剣。
勿論、どちらも本物ではなく銃の方はペイント弾なのか、それとも他の何かなのか。
剣の方は剣と言ったが槍であったりチェーンであったりとかなり多岐に渡り用意されている。
その中から美由希は木刀を手に取ると、早速三つに分かれている通路を取りあえず左に進むのだった。



「……っ!」

罠らしき自分の身長よりも大きな玉を脇の通路に入ってやり過ごし、突如空いた床を咄嗟にジャンプして回避し、
先がゴムになっているとは言え、それなりの速さで放たれた矢を木刀で打ち払う。
数々の罠を突破しながら、美由希は呆れたような溜め息を吐く。

「一体、何の試験なんだろう」

前半は複雑に絡まっていた迷路も、後半は殆ど一本道か、最後には合流しているという形になってきており、
寧ろ罠の数がぐんと増えてきた。
ここまで来た者たちも殆どが罠の餌食となったようで、落とし穴の中からこちらを見てくる者や、
体力を使い果たして座り込んでいる者などが見られる。
そんな中を美由希は多少疲労感を感じつつも、足取りに翳りは見えず、黙々と歩いていく。
時折、発動する罠も躱し、木刀で弾きを繰り返し対処していく。

「恭ちゃんの罠よりは結構楽だし、恭ちゃんの地獄のお仕置き用鍛錬コースよりも温いよね。
 ……って言うか、自分で口にして少し悲しくなったのは何でだろう」

何となく出てきたように感じられる――実際は出てきていない――涙をそっと手の甲で拭い、
美由希はゴールを目指して進んでいく。
どうやらもうすぐゴールらしく、人の気配が感じ取れる。
美由希の予想は間違っておらず、それから数分と掛からずに美由希は面接会場へと足を踏み入れる。
その頭上でくす玉が割れ、おめでとうという垂れ幕が落ちて来る。

「えっと……」

「おめでとうございます! 合格です」

「え、でも面接とかは……」

「いやー、貴女の他は皆さん、既にリタイアしていまして」

照れたように笑いながら白衣の男は頭を掻きながらそう言うと、美由希へと手を差し出す。
その手を戸惑いながら握り返し、美由希は改めて尋ねる。

「所で、これって何のバイトなんでしょうか?」

美由希の言葉に男はキョトンとした顔を見せるも、すぐに破顔して寧ろ言いたかったとばかりに拳を握る。

「昨今、数多く起こる犯罪事件。しかし、警察の手も完全とは言い切れない。
 そこで警察に変わって悪を懲らしめる正義の味方が必要なのです!」

言って美由希の顔に突き出される一枚の紙。
そこには赤く大きな文字で、『正義の味方、募集中!』と書かれていた。

「初めはこれを貼るつもりだったんですよ、
 諸々の事情から普通にバイト募集の張り紙になってしまいましたが」

男はそこで一つコホンと咳払いをし、改めて美由希に手を差し出し、胸を張って声高らかに口にする。

「ようこそ、正義の味方のアルバイトへ!」

「……はい?」

そんな男とは打って変わって、美由希は未だによく分からないといった表情で首を傾げるのである。
だが、これこそが後に出現する悪の秘密組織と戦う事となる、アルバイトの正義の味方誕生の瞬間であった。



小娘ソードマスター 〜正義の味方は時給500円〜



「うぅ、このパワード・スーツのデザイン、どうにかなりませんか、のぼるさん」

そんなぼやきもどこ吹く風、開発者たる小石川のぼるは今日も今日とて正義の味方を出動させる。

「うぅぅ、絶対にバイトを間違えた……」

これはそんな一人の少女が正義の為に、時給500円分頑張る物語。

「絶対に時給が割りにあってない!」



   §§



それは偶然が齎した一つの出会い。
けれど、それは一つの運命が大きく変わる可能性を含んでいた。

「高町なのはです」

「こりゃあ、ご丁寧にどうも。うちは八神はやて言います」

「はやてちゃん、で良い?」

「ええよ。うちもなのはちゃんって呼んでも良い?」

同じ年頃の二人の少女が向かい合い、やや遠慮がちに名乗り合う。
それが済むと、もう友達だとばかりに笑い合いながら話し出す二人を見ていた周りの者たちが胸を撫で下ろす。
外では蝉が忙しなく鳴いており、冷房の効いた部屋からでも外の暑さが窺えるぐらい、
庭の草木から陽炎のようなものが立ち昇っている。
楽しそうに笑うはやてを嬉しそうに眺めながら、ポニーテールの女性が隣に座っていた青年、恭也へと話し掛ける。

「恭也、感謝する。主はやてが本当に楽しそうだ」

「そうか、なら良かった。うちの妹も新しい友達が出来て喜んでいるみたいだしな。
 こちらこそ感謝するシグナム」

大人二人がそんな風に話している、なのはとはやての会話に髪をみつあみにした、
これまたなのはたちと同じ年ぐらいの少女ヴィータが加わっていた。
その足元では大型犬が昼寝でもしているのか、目を閉じて丸まっている。
何処にでもありそうな光景に目を細め、今この家にいる最後の一人が恭也とシグナムの前に冷えた麦茶を置く。

「本当に楽しそうですね、はやてちゃん」

「ああ、本当に喜ばしい」

新たに現れたショートカットの女性手には盆があり、そこにはグラスに入った、こちらはジュースが乗っていた。
それがはやてたちの分である事はすぐに察しが付き、

「シャマル、主はやてたちにも早く飲み物を。
 ああ、ただし慌てすぎて転ぶなよ」

シグナムの言葉に拗ねたような、怒ったような返事をしてシャマルと呼ばれた女性ははやてたちの元へと向かう。
その途中、あまりにも足元を気にしすぎて持っていた盆を少し傾けてしまうというハプニングはあったものの、
何とか無事にはやてたちに飲み物を届け、胸を撫で下ろして恭也たちの元へとやってくる。
その顔がどこかばつが悪そうなのは、呆れたような眼差しを向けてくるシグナムが居るからだろうか。
すっかり仲良くなったなのはたちを見守るように見詰めながら、恭也は何となしに思い返す。
自分とはやてが出会った日の事を。



その日、恭也は桃子の命令となのはの懇願により渋々ながらも病院へと向かっていた。
ここ最近、顔を出していない事が主治医のフィリスからレンに伝わり、そこから家族全員の知る所となったからだ。
別段、病院が嫌いなのではない。
自身が抱える膝の問題もよく理解しているし、行かなければいけない事も承知している。
だが、自分が通う病院はかなり大きな病院で、市内だけでなく遠くからわざわざやって来る人がいるぐらいなのだ。
当然、その規模に応じるかのように、それなりの時間待つ必要が出てくる。
その待ち時間を勿体無いと感じてしまうのである。
そんな時間があれば、ここ最近、急に力を付けつつある美由希の為にも少しでも鍛錬をしたいと思ってしまうのだ。
結果として長期休みに入ったにも関わらず、鍛錬漬けの毎日となり、病院からは足が遠のいていた。
医者の立場からすれば、それこそ何を考えているのかと言いたくなるだろう。
爆弾を抱えているが故に、口を酸っぱくして通院を勧めているというのに、
その負担になるような鍛錬ばかりに掛かり切りになっているのだから。
そういう訳で、フィリスとしては最終手段を取るべく、レンから桃子、なのはにも伝わるように手配したのだ。
その効果は言うまでもないだろう。
恭也が大きな怪我をしていないにも関わらず、誰かに引っ張られる事無く自分で病院へと来たのだから。
恭也は桃子となのはに言い包められた事を思い返しつつ、
そのやり切れない気持ちを弟子へと八つ当たりするべく鍛錬メニューに思案しながら病院の敷地に足を踏み入れる。
少し歩いていくと正面に病棟が見え、そこで恭也は一人の少女が困っているのを見掛けた。

「うーん、どうしよう。シグナムは石田先生に呼ばれておれへんし、うちがここにおる事も知らんやろうし」

「どうかされましたか?」

「へ?」

恭也が声を掛けると、驚いたように車椅子に座った少女が振り返る。
それが八神はやてと高町恭也の最初の出会いであった。
話を聞けば連れと一緒に来たらしく、その連れが今は主治医と話をしているらしい。
本来は病院の中で待っていたのだが、冷房の効きの良さから少し外へと出たらしい。
そして、そろそろ戻ろうかと思って車椅子を押してここまで来た所で途方に暮れてしまったという訳だ。
はやての目の前、車椅子用に設置されている緩やかなスロープ。
だが、その途中に恐らく子供が遊んでいたのか、それなりの太さのある木の棒が捨てられたいた。

「なるほど。ちょっと失礼」

状況を理解し、恭也はそう断りを入れるとはやての背後に立って車椅子に手を置く。

「ああ、ええですええです。そんなご迷惑……」

「迷惑なんて事はありませんよ。
 それに俺も病院に用があって来ているので、言葉は悪いですが次いでのようなものです」

「ありがとうございます。なら、お言葉に甘えさせて頂きます」

居候の一人と同じ訛りで話す少女に再度気にするなと返し、恭也は棒を退けて車椅子を押す。

「それにしても、子供がやったにしろ大人が注意しないといけないだろうに」

「あははは、子供は元気なんが一番やから。
 それにそのお蔭でこうして親切な人にも出会えたし」

朗らかに笑う少女に恭也も自然と温かな気持ちになりながら、病院の中に入っても車椅子を押す。
はやてがもう良いというのを押し退け、恭也ははやてが諦めて口にした場所まで押して行く。
と、その途中で慌てた様子でこちらへと掛けて来る女性を見掛け、

「もしかして、知り合いの人だったりしますか?」

「ああ、シグナムや。シグナム〜」

「主はやて! ご無事でしたか!」

明らかにほっとした様子で近付き、警戒した様子で恭也を見遣る。
当然の反応だなと恭也は思うのだが、はやてはそうではなかったらしく、軽く嗜めるように言う。

「あかんよ、シグナム。そんなに睨んだら。
 この人は親切に困ってたうちを助けてくれたんやから」

「すみません、主はやて。そちらの御仁も申し訳ない」

「いえ、気にしてませんよ。
 話を聞くに何も言わずに居なくなった家族の安否を気にする側としては当然の反応でしょうし」

「重ね重ねかたじけない。それと、主はやてが世話になったようで感謝する」

「大した事はしてませんけれどね。それじゃあ、俺はここで」

「ありがとうございます。えっと……。ああ、ごめんなさい。
 助けてもらっときながら、名前をまだ聞いてませんでした。
 うちは八神はやて言います。で、こっちが……」

「シグナムだ」

「高町恭也です」

「恭也さん、ありがとうございました」

礼を言いなおすはやてと無言ながらも頭を下げるシグナムに軽く言葉を返し、恭也は踵を返す。
恭也にして見れば大した事のない行動であり、特にどうよいう事のない出来事だったのだが、
その数日後、駅前で偶然にもシャマルと一緒にいたはやてと出会う事となり、向こうから声を掛けられたのだ。
改めてまた礼を言ってくる二人にやや照れつつも返し、
偶然にも行き先が同じ駅ビルの本屋という事もあって一緒に向かったのが切欠となり、

「盆栽? 恭也さんは盆栽してはるん」

「ああ。可笑しいか?」

「うーん、どうやろう。恭也さんの年齢で盆栽は珍しいとは思うけれど。
 と言うか、月刊盆栽の友って何やねん!
 あかん、うちも色んな本を読んできたけれど、まさかそんなもんがあるとは」

「ふっ、書籍の世界ははやてちゃんが思っているよりも広いんですよ」

「そうかー、うちもまだまだやな〜。って、恭也さんが威張る事と違うやん!」

などと言う会話を始めとして、その日の内にそれなりに親しくなったのである。
家もそんなに離れていない事もあり、時々街中でもはやてと会う事もあってすっかり仲良くなったのである。
その中ではやての現状を知り、同年代の友達が居ないと聞いた恭也は今日、なのはを連れて八神家を訪れたのだ。
持参したアイスが良かったのか、すっかりヴィータとなのはも仲良くやっているようである。
まあ、どちらかと言うと突っ掛かっていくヴィータをなのはが受け流しているようにも見えなくもないが。

「あ、そうや。恭也さん、今日は夕飯うちで食べていってくれるんやろう」

「ああ、図々しいがはやてちゃんの申し出を受けてそのつもりだが」

「そうか、そうか。なら良かった。予定が変わったとか言われたらどうしようかと思ったわ。
 結構な量、買い込んだからな。期待しててや」

「凄いね、はやてちゃん料理できるんだ」

「ああ、はやての料理はギガうまだぞ! 驚いて腰抜かすなよ」

「どうしてヴィータちゃんが自慢するのかは分からないけれど期待してるね」

「うわー、あかんプレッシャーかけんといてや、なのはちゃん」

「ううん、期待しちゃうよ。シグナムさんやシャマルさんも一緒にお料理するの?」

客が来ると嬉しそうに料理する家の二人を思い出し、特に何も思わずに言ったなのはの言葉に八神家の動きが止まる。

「……高町なのは、正気か?」

「お前、よくそんな怖い事を平然と口に出来るな」

「って、シグナムにヴィータちゃん、二人とも酷くない!?」

「えっと、もしかしてシャマルさんって」

「あ、あははは〜。まあ、シャマルも頑張ってるからな。
 まだ日が浅いだけでいつかきっと、な」

「はやてちゃん……。ありがとうございます。私、頑張りますから」

「うんうん、その意気やで。でも、今日は折角のお客さんやし、うちが一人でやるからな」

「ガーン、はやてちゃんまで……」

「ああ、落ち込まんといてシャマル。ほら、初めてのお客さんやからうちの腕を振るいたいんよ。
 でも、お手伝いは頼むから、な。」

「そういう事ですか。なら喜んで手伝いますね」

続くはやての言葉にすぐに立ち直ったシャマルであったが、目を細めて釘を刺すヴィータ。

「手伝うのは良いけれど、ぜってぇーに味付けはするなよ」

ヴィータの言葉に怯むシャマルに、シグナムは無言のまま頷いてヴィータの味方をする。
それを見て再度肩を落とすシャマルをはやてがフォローするのを見ながら、

「そこまで言うほど酷いんですか?」

「酷いと言うか、最近は見た目はまともなのだが味がな」

「塩と砂糖を間違えたり、微妙にこう変な味付けになるんだよな」

「それぐらいなら問題ないんじゃ」

「バカか、おめぇー」

「ヴィータ、言葉使い」

恭也の言葉に呆れたように呟いたヴィータであったが、はやてに窘められてはやてに謝ると、もう一度言い直す。

「おバカでしょうか、恭の字」

「大して変わっていないような気がするが、その点はまあ良いでしょう。
 で、何がですか」

「シャマルの料理ははっきり言って微妙なんだよ。美味くもないし、かと言って不味いと吐き捨てる程でもない。
 こう、なんて言うかやるせないというか……」

「うぅぅ、はやてちゃん、ヴィータちゃんが虐める」

「ああ、よしよし」

はやての足に縋るシャマルの頭をとりあえず撫でるはやて。
それを見ながら、今度は恭也が言う。

「しかし、食べれるだけましでしょう。勿論、美味しい方が良いにこした事はありませんが。
 聞く限り美由希よりはましみたいですし、上達もしているのでしょう。なあ、なのは」

「あ、あははは。お姉ちゃんも一応、上達しているみたいだけれど」

「あいつの場合、可笑しな方向へと上達しているような気がするんだがな。
 せめて教本どおりに作れるようになってからアレンジして欲しいと思うんだが、どう思う?」

「えっと……」

恭也の言葉になのはははっきりと口にはせず、言葉を濁したまま視線だけをキョロキョロとさ迷わせる。
それを見て、逆に興味を覚えたのかはやてたちが恭也となのを見て、シャマルは期待するような眼差しを向ける。

「ちなみにどれぐらいに腕前なんですか、その美由希さんという方は」

「あー、ここ数年、俺は色々な事に巻き込まれましてね」

突然、料理とは関係のない話にきょとんとするも、全員が恭也の話に耳を傾ける。

「前に簡単に話しましたが、俺は剣術をやってましてその関係でちょっとした事件に遭遇したりしたんです」

「そう言えば、色々とあったね、お兄ちゃん」

「そうだな。それこそ、全身凶器といったモノと闘ったり、
 一撃で黒焦げになるような攻撃を放つモノとやりあったり、つい最近では本当に信じられないような事件にまで」

「にゃ、にゃははは。よく無事だったね」

多少言葉を濁しつつも語られた言葉に、恭也と剣を合わせた事のあるシグナムは特に興味を抱いた様子を見せる。

「幸い、どれも辛うじて大怪我だけは避けれたのは幸いだった」

「聞いていると、本当にとんでもない目にあってたんだな恭の字。
 で、それと料理と何の関係があるんだ?」

詳しく聞きたそうにしていたシグナムを無視し、ヴィータは肝心な事を聞こうとする。
それを受け、恭也も詳しく話をするつもりはなかったのか、あっさりと話を戻す。

「唯一、ここ数年の内で俺が長期、一ヶ月ぐらい入院した事件があってな」

「だから、それが……って、おい、まさか」

「ああ、それが美由希の料理を食べた時だ。
 本当にあれは危なかった」

「突然倒れたと思ったら、顔色が赤くなって、すぐに蒼くなったもんね。
 口から泡も出ていたし。急いで救急車を呼んだよ。
 その後、晶ちゃんとレンちゃんがお姉ちゃんの作った料理を密閉容器に入れて、何重にも袋をして処分してたな〜」

遠い目で語る二人の兄妹は、これまた二人揃ってしみじみとよく生きていたと漏らす。

「それはどんな料理だよ!」

そんな二人に思わずヴィータが突っ込めば、シャマルは自分の料理がそこまで壊滅的じゃない事に胸を撫で下ろす。

「本当にあのバカだけは」

「どうやったら洗剤と油を間違えるんだろうね」

「未だにそれが分からないな。おまけに他にも色々と間違ってくれたみたいだが。
 せめてそれらが食材だったなら、一ヶ月も入院せずに済んだだろうに」

未だに過去を思い出して語る恭也となのはに、
はやてはシャマルはそうならないようにしっかりと教育しようと誓うのだった。



何事もなく平穏に続くかと思われた日常。
だが、いつだって世界は優しいだけではなく、その牙がはやてに剥かれる。

「闇の書からの侵食?」

「それがはやての命を奪うってのかよ!」

「落ち着いてヴィータちゃん」

突然倒れて入院したはやて。原因不明と診察されたものの、シャマル独自の診察でその原因が判明する。
闇の書と呼ばれる、はやてとシグナムたちを出会わせた一つの書物。
それが原因であるという事。そして、このままだとはやての命がなくなるという事も。
治すには書の蒐集という作業が必要となり、それをはやてが認めていないというジレンマに襲われつつ、
シグナムたちは一つの結論を下す。それははやてを救うという彼女たちからすれば当然の答えであった。

「恭也さんは兎も角、なのはちゃんはかなり大きな魔力を持っていたけれど……」

「流石に主はやての友に手を出すのは気が引けるが」

「けっ、別になのはの魔力なんて蒐集しなくてもその分、他で蒐集すれば良いじゃねぇか」

「しかし、彼女たちなら頼めば蒐集させてくれるかもしれないぞ」

「それはいざという時の手段にしておきましょう」

「そうだな。まずは出来る事からしていこう」

四人はデバイスと呼ばれる魔導師の杖を掲げ、その元に宣言をする。
何があろうともはやての命を助けるという一つの誓いを。



リリカル恭也&なのはA's IF 〜もう一つの物語〜



   §§



世は戦国時代。
数多の武将が全国を制覇せんと他国へと侵攻を繰り返していたまさに群雄割拠の時代。
そんな時代の中、陸から少し離れた所にある小さな孤島もまた、その侵攻の対象となっていた。
それは、その所在地があらゆる国へと攻め入るのに重要な拠点として位置していたからである。
当初、その孤島を攻め入った国はすぐにでもその国を落とせると考えていた。
それもそのはずで、その孤島はこれまで、争いに参加した事もなく、また人口も少なかったからである。
しかし、その孤島を治める一人の当主によって、その予想は覆される事になる。
まだ年若いながらも戦略、戦術にかなり優れ、幾度の侵攻も全て退けていた。
いつしかこの当主を中心とした島民達が守るこの孤島は、難攻不落の島と呼ばれようになった。

これから紐解く物語は、そんな孤島の当主の戦いの記録である。



「うぅぅ、もう嫌だー!」

「殿、そのような我侭を仰らないで」

難攻不落と歌われる孤島、当主の名を取り神楽島と呼ばれる島にある城の一角。
そこではこの国の主たる少年が年老いた男を前に駄々を捏ねていた。
年老いた男の名は新羅鉄斎。当主に名は神楽燃煌(ぜんこう)という。
諸国が見れば驚くような光景であろう。
幾度となく強国に攻められては全てを追い払い、政治の手腕においてもその才を遺憾なく発揮する当主が、
まるで幼子のように地面へと座り込んで駄々を捏ねているのだから。
だが、鉄斎は呆れたような表情をしつつもいつもの事と慣れた様子で燃煌が手放した木刀を拾い上げる。
そんな稽古の様子を窺っていた、急死を迎えた先代より仕え、
教育係をも務める高千穂羽宗(たかちほわしゅう)は嘆かわしいと空を仰ぐ。

「先代亡き今、私がしっかりと殿を鍛えねば」

一人、既に何十、何百度目にもなる誓いを新たに殿を嗜めるべく足を踏み出す。
が、それよりも早く燃煌へと近付く影が一つ。見事な黒髪を一つに束ねた少女である。
少女は燃煌へと近付くと懐より手ぬぐいを取り出して燃煌の僅かに汚れた顔を拭う。

「兄上、お顔が」

「ああ、日和ありがとう」

「いえ。それよりも師匠、何故兄上を虐めになるのですか」

「はぁ、日和。いつも言うておるが虐めているのではない。
 これはれっきとした訓練じゃ」

「ですが、兄上が嫌がっているではありませんか!
 兄上は戦場に立つ必要などないのです! 兄上の敵はわたしの敵。
 全ての敵はこれまで同様、このわたしが蹴散らしてみせましょう!」

難攻不落の島、神楽島。
そこには優れた君主に仕える無敗の武将あり。
守護神として島民から崇められ、敵からは戦姫と恐れられる当主の妹にして姫君。
その武は並ぶ者なしと称えられる程で、刀は元より、槍に弓、馬術までと、こと戦闘に関する事は右に出る者なし。
これが、この島が難攻不落と言われる所以であり、当主の力は全く関係ないという事はここに居る者以外誰も知らない。
そう、城の者は元より島民たちでさえも。



「殿、ですから先日の台風の影響で田畑に尋常な被害が出ていると申しているでは……」

「だから、そんな事を言われても分からないよ。千草はどうしたら良いと思う?」

「そうですね。荒れた地をすぐさま元に戻すなどは出来ません。
 幸い、備蓄に関しては以前より城にしっかりと保管しておりますから、これを民に配るという方向で。
 田畑の修繕を急がせる為にも、兵を少し割いてそちらに回しましょう。
 丁度、西の林の開拓も一段落しましたし、その兵をそのまま回せば人員も問題ないかと。
 それとは別に先日同盟を結んだ国に使者を派遣し……」

燃煌に尋ねられた千草が問題の解決法を挙げていく。
それに嬉しそうに頷き、燃煌は千草が全て言い終えると頭を撫でてやる。

「持つべきものは賢い妹だな。ありがとう、千草のお蔭で助かるよ」

「そんな。兄様の役に立てたのなら、わたくしとしても嬉しい限りです」

仲睦まじい兄弟の様子に、羽宗は和むどころか先代へと申し訳ないと呟くばかりである。

内政、外交においても小国でありながら大国とさえ渡りあると言われる神楽島。
そこには優れた君主に仕える優れた智将あり。
智謀に優れ、状況に応じて臨機応変に策を授け、少兵をもって多兵を打ち破る。
その戦術戦略眼は常に何十手先をも見通し、先を読む先姫と呼ばれる姫君。
これが、この島が難攻不落と言われる所以であり、当主の力は全く関係ないという事はここに居る者以外誰も知らない。
そう、城の者は元より島民たちでさえも。



「兄君、新たな情報を持って帰って来ました」

「ありがとう、月乃。それは千草に渡しておいて」

「既に。今頃、千草は策を練っているかと思います」

「そうか。流石月乃は仕事が早いね。いつも月乃の情報には助けられているよ」

「そんな事は。あ、あの……」

何か言いたそうにもじもじと見詰めてくる月乃に、燃煌は笑みを見せるとその頭を撫でてやる。
それに相好を崩す月乃を見て、羽宗は人知れず溜め息を吐くのだった。

陸から孤立した小島でありながら、その情報収集能力は大陸の北から南まで網羅するとまで言われる神楽島。
そこには優れた君主に仕える闇に潜みし乱波あり。
決して表に出ることはないがその隠密性、情報収集能力において噂される影の武将。
攪乱や暗殺を得意とし、戦場に置いて気付けば大将の首が討ち取られていたという事もしばしば。
姿を見る事さえないその存在は敵を大いに恐怖へと落とし入れ、いつしか影姫と呼ばれる姫君。
これが、この島が難攻不落と言われる所以であり、当主の力は全く関係ないという事はここに居る者以外誰も知らない。
そう、城の者は元より島民たちでさえも。



兄の為に力を奮う三人の姫君たち。
後にこの事実が判明した際、その出来合いっぷりから三人の名前を元に一つの漢字が作られる異なる。
日、草、月、すなわち『萌』である。が、これはまた後世の話であり、今の三人には頭を抱える問題があった。
それは――



「やはり兄上の身辺が不安だ」

「千草姉様の仰る通りですね。わたくしたちで戦場、内政、外交に情報と担当しても……」

「肝心の兄君に何かあったらどうしよう」

「とは言え、身辺警護出来るほど頼れる武将も少ないしな」

そう、大事な兄であり当主の燃煌の身の安全についてである。
が、これはそう長くない先で解決する事となる。
突然、城に落ちてきた全身黒尽くめの異世界から来たと可笑しな事を言う青年の出現によって。

頭を取れば陥落するのではないかと思われる程に当主の力で持っていると言われる神楽島。
そこには優れた君主を守る護衛あり。
表からも影からも常に君主の傍に居て、その身を守る絶対なる楯の武将。
一度たりとも彼の守護を打ち破る事は出来ず、不破と呼ばれる一人の男。
これが、この島が難攻不落と言われる所以であり、当主の力は全く関係ないという事はここに居る者以外誰も知らない。
そう、城の者は元より島民たちでさえも。



   §§



艦内に五月蝿いほどに鳴り響くブザー音。
警告の為とは言え、そのあまりの大きさに顔を顰め、ブリッジに明滅する赤い色を煩わしそうに睨む。
忙しなく行き交う怒号に既に出せる指示もなく、この艦の艦長クロノは立ち尽くしたまま拳を握り締める。
そんなクロノの元へと一つの通信が飛び込んでくる。

「クロノくん、現状は!?」

よく見知った顔が眼前のスクリーンに映し出され、幾分か落ち着きを取り戻しつつ答える。

「現場にフェイト執務管が赴き、どうにか押さえ込んでいるがそれも時間の問題だ」

幾分焦りつつ返すクロノに援軍として駆けつけたなのはの顔にも焦りの色が浮かぶ。

「既に状況は分かっていると思うが、正体不明の恐らくロストロギアと思われる物が発見され、
 近くを航海していたうちが担当する事になった。別件で居合わせたフェイト執務官に現場に出てもらったんだが」

「ロストロギアが急に動き出した、だよね」

「そうだ。現在、あのロストロギアに関して調べると共に援軍を編成中だ」

本来ならすぐにでもフェイトを離脱させたい所だが、物が何か分からない以上放って置くという事も出来ない。
故に現状、魔力でフェイトが抑えているという状況から動けないでいた。



目の前に浮かぶ掌よりも小さな球体。
そこからは信じられないほどの魔力が噴き出そうとしていた。
それを自分の魔力で抑えつつ、フェイトは目の前のロストロギアが何なのか考える。
魔力が溢れ出た瞬間、目の前の空間が一瞬とは言え歪んで見えた。
そこから推測すると最悪、次元震すら起こし兼ねないと考え、現状こうして抑え込むという形になったのだ。
とは言え、このまま抑え続ける事など出来るはずもなく、フェイトの頬を汗が伝う。
現状、もう少しすれば救援が来るとクロノからは連絡があり、元より逃げるつもりもない。
とは言え、流石に疲れが出始めており、徐々にではあるがフェイトの魔力が弱まっていく。
そんな中、それが起こったのは不運としか言い様がなかった。
フェイトの頭上、天然に出来た洞窟がフェイトとロストロギアの魔力の余波に限界を迎え崩壊する。
洞窟が完全に崩壊する程の規模ではなかったが、
それでも頭上から降ってくる瓦礫は充分な大きさをもってフェイトを押し潰そうとする。
結果、それを避けようと注意が僅かに逸れ、まるでそれを見計らったかのようにロストロギアの魔力が膨れ上がる。
その状況を見ていたクロノたちがフェイトの名を呼ぶが、その声を遠くの方に感じながら視界を白く染められ、
フェイトの意識は闇へと沈んでいった。



遠くで何かが鳴くような声が聞こえ、フェイトの意識は徐々に浮上する。
ゆっくりと明けられていく目に映るのは暗闇。
とは言え、真っ暗という訳ではなく薄暗いと表現するのが相応しい程度で、数メートル先までよく見える。
次いで感じるのは頬に当たる感触。地面にうつ伏せに倒れているのだと理解し、
フェイトはゆっくりと体を回して仰向けになる。
だるく虚脱感を感じる中、空には星が見える事からここがさっきまで居た洞窟の中ではないと分かる。
周囲が薄暗いのは今が夜だからで、真っ暗ではないのは街灯があるから。
つまりここはある程度科学が発達した世界であり、さっきまで居た未開のジャングルが広がる世界とも違うという事。
そこまで理解し、フェイトは転移させられたのではないかと判断する。
まずは何処なのか把握するため、バルディッシュに声を掛けて現在地を割り出そうとする。
同時に管理局へと通信しようとするのだが、こちらは繋がらない。
近くに受信できる艦がなく、ここが管理外世界の可能性を頭に置き、バルディッシュへと声を掛けようとした所で、

「大丈夫ですか?」

不意に背後から掛けられた声にフェイトはバルディッシュへ話しかけるのをやめる。
ここが管理外世界ならば、魔法を知られる訳にはいかないという判断からだ。
しかし、その所為で僅かに間が出来てしまい、声を掛けた主は心配そうに再度声を掛けて来る。
それに何でもないですと返しながら振り返り、フェイトは数度目を瞬かせ、

「高町恭也さん?」

見知った顔に安堵の混じった声が知らず出てくる。
が、相手の反応はフェイトの思ったものとは異なり、怪訝そうな顔をして僅かにだが警戒するような態勢を取る。
そんな恭也の後ろで、これまた見知った顔、親友の姉高町美由希が恭也へと知り合いかと尋ねている。
それに対する恭也の反応は知らないと言うもので、これにはフェイトの方が驚いた顔で恭也と美由希を見る。
が、すぐに違和感を感じてそれが何なのか思考を巡らせる。
一方、恭也と美由希は自分たちを見て驚愕したかと思えば黙り込んだフェイトを前に、知らず警戒を強くする。
無言で佇む三人であったが、不意にフェイトがおずおずといった感じで話し出す。

「あ、あの、高町恭也さんと美由希さんですよね。高町なのはの兄弟の」

「なのはを知っているんですか?」

なのはの名前を出したのは失敗だったかと二人の警戒が強くなったのを見て思いつつ、
フェイトはようやく違和感の正体に気付いていた。二人が自分の知る姿よりも若いのだ。
美由希は自分と同じぐらいの年恰好、丁度、なのはと出会った頃のように。

「ここは海鳴ですよね」

再度の問い掛けに頷く恭也。
さりげなく美由希は後ろに下がり、万が一に備えるように腕を下ろす。
明らかに警戒されているのを感じつつ、フェイトはまさかという思いを抱きつつも尋ねる。

「もしかして、なのはは小学生ですか?」

「そうだが。貴女は一体誰なんですか?」

「……未来から来たと言ったら信じてくれますか?」

少し逡巡したが、嘘はやめた方が良いだろうと判断してそう切り出す。
これで頭を疑われるかとも思ったが仕方ないと。

「俄かには信じられませんね」

「ですよね」

今がいつなのかは分からないが、既に自分となのはが出会った後ならと期待し、

「私の名前はフェイトと言います。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。この名前に聞き覚えはありませんか?」

少し期待して名乗ってみるも、二人は揃って首を横に振る。
だとするなら、まだ出会う前の過去という事になる。
益々自分が怪しくないと証明できなくなり、フェイトも困ったように視線をさ迷わせる。
ここは謝罪の一つでもして逃げる事になるがこの場を去るべきかと悩む。
だが、既に名乗ってしまった事を思い出し、失敗したなと思い悩んでしまう。
見るからに怪しい人物を逃がしてくれるかという問題もあり、最悪、魔法を使うかと少し混乱した頭で考える。
が、それを止めるかのように待機モードに移行していたバルディッシュが声を上げる。
フェイトが止める間もなく、念話ではなく声を出すという行動に出たバルディッシュにフェイトは焦るが、
言われた内容に思わず恭也たちの事も忘れてバルディッシュに詰め寄ってしまった。

「どういうこと!?」

【ですから、管理局との連絡が未だに付きません】

「やっぱり管理外世界だから?」

【いえ、それ所か管理局へと呼びかけているのですが、それが全く届いている気配もありません】

「どういう事?」

【幾ら管理局が把握していない世界とは言え、いえ、寧ろだからこそ、
 管理局へと向けてあらゆる手段で通信を行っても連絡がないのは可笑しいです】

訳が分からないという顔をするフェイトであったが、恭也たちはそれに環を掛けた困惑顔を向けてくる。
それはそうだろう。いきなり宝石が喋ったかと思ったら、自分たちには分からない事を話し合っているのだから。

「って、どうして念話じゃなくて話し掛けてきたの」

今更ながらにそれを思い出してフェイトが問い質せば、

【現状、原因不明で放り出された形となっています。
 ここが過去なのかどうかはこの際置いておくとして、どちらにせよ何らかの打開策を取る必要が出てきます。
 が、その場合、ここにはマスターが頼れる者は誰もいません。
 故に……】

言ってバルディッシュが言葉を止める。
まるで自分たちが見つめられているようなものを感じ、恭也は何となくバルディッシュの考えが読めた気がした。

「未来から来たのが仮に本当だとした場合、元の時代に戻る手段が見つかるまでの衣食住に関する問題か」

【はい、その通りです。我々には他に縋る者も居ないというのが現状です。
 こちら側の事情は、他の者たちに説明はできません。
 ですが、未来において係りになるあなた方になら多少の説明はしても問題ないと独断しました。
 それ故に念話ではなく、こうして音声を出力する形を取った次第です、マスター】

迷惑を掛けるのは良くないと考えるフェイトにとってバルディッシュの発言は居心地が悪いものであった。
自分から言い出した事ではないにしろ、その言い分も一理あると思った事もあり余計に。

「未来から来たのだとして、君たちが今こうして俺や美由希と会った事により既に過去は変わったんじゃないのか」

【その可能性も否定できません。ですが、我々に他の手段がないのも確かです。
 未だに管理局との連絡もつかず、この世界において我々が居るべき場所は何処にもありません】

後の判断は任せると黙り込むバルディッシュに、恭也は小さく嘆息する。

「……未来において知り合っているのだとしたら、俺たち家族の性格もある程度分かっているのだろうな」

【はい。すみません】

素直に答えるバルディッシュを軽く見詰め、恭也は美由希へと視線を向ける。
こちらは既に笑顔を見せており、恭也が何を言うのか分かった上で賛成という事だろう。
恭也は今一度嘆息を漏らすと、

「とりあえず家に来るか? 流石にこんな夜中に女性を一人にするのも何だしな」

「良いんですか?」

「ああ。家族には明日の朝にでも説明するとして、その前にもう少しだけ詳しい話を聞かせてくれ。
 それと確認の為に聞いておくが、俺の家族に危害を加えるような事は」

「絶対にありません!」

思わず声を荒げてしまい恥ずかしげに俯くも、視線は逸らさずに見詰め返す。
暫し無言で見詰め合い、恭也は未だに地面に座り込んでいるフェイトへと手を差し出す。

「なら良い。知っているようだが、俺は高町恭也。そして、向こうに居るのが」

「高町美由希です。フェイトさん、で良いのかな?」

「えっと、その……はい」

未来では自分の方が年が下でちゃん付けで呼ばれていたために何とも言えない表情になるも、
だからと言って自分からちゃんと呼んでくれというのも可笑しな気がして暫く考えるも頷いておく。
恭也の手を借りてどうにか立ち上がり、改めてフェイトは二人に頭を下げるのだった。



高町家へと場所を移したのは良かったのだが、自分の知る高町家とは少し違う内装に思わず部屋を見渡してしまう。
そんなフェイトに苦笑しつつ、恭也と美由希はフェイトの対面に腰を下ろす。
こうしてフェイトの口から語られる事実に、改めて驚きつつ恭也は内心で読み違えた事を後悔する。
いざとなれば自分と美由希で押さえつけるつもりでいたが、フェイトから聞いた魔法の話が本当なら、
そう簡単にはいかないだろうと。もし、家族を傷付けるのが本当の目的だったとしたら、これは完全な失態である。
こうしてある程度話した今だからこそ、そんなつもりは本当にないのだろうと思えるが、
あの時点でもう少し話をしておくべきだったと反省する。
フェイトを見た時、何らかの戦闘訓練を受けているというのは分かったし、
その腕前も相当なものだと感じ取る事は出来た。
だが、それはあくまでも体術のみで魔法などというものを考えもしなかったのだ。
仕方ないとも言えるかもしれないが、目の前でバルディッシュという特殊な物を見ていたのだから、
もっと警戒するべきであったと。勿論、そんな事をおくびにも出さずフェイトの話を聞く。
その過程でフェイトが今の時代を正確に知るためにこちらの事情も話して聞かせたのだが、
それを聞いてフェイトだけでなく、バルディッシュの様子も可笑しくなる。

「士郎さんがいない? え、だって……」

顔色を若干蒼くさせるフェイトに話を聞けば、フェイトの知るなのはには父士郎が居たという事。
逆にこれには恭也たちの方が驚きを隠せず、互いに知っている交友関係を口にする。
結果、こちらとフェイトの知る世界とでは微妙に違いがある事に気付く。
特に恭也はアリサという名前に何とも言えない顔を見せるが、
とりあえずそれを隠すようにバルディッシュに視線を落とし、

「どういう事だと思いますか?」

【あまり考えたくはありませんが、別次元世界という物かと】

「別次元世界? だってそれは存在しないって……」

【ですが、現にこうして存在しています。確かに世界は無数に存在しますが、そこには同一別存在は存在しません。
 同様に同じような歴史を持つ世界もです。故に俗に言われるパラレルワールドはその存在をフィクションとされ、
 誰一人として真剣に研究するような者も居ませんでした。ですが、現状を見る限り……】

「まだ発見されていない管理外世界という可能性は?」

【それはかなり低い確率です。寧ろ、別次元世界だとした方が納得できます。
 こちらの次元では管理局が存在しないからこそ、幾ら通信を投げても返答がない】

「……だとしたら、私たちが戻れる方法は?」

【全く不明です。この世界に次元世界を渡る何らかの方法や道具があるのかどうか。
 可能性としてあげるのならば、あのロストロギアが原因でしょうから、あちら側からの救出待ちです。
 こちらの可能性の方が高いと思います。尤もロストロギアの使用許可が出るのかどうか、という問題もありますが】

はっきりと言うバルディッシュの言葉にフェイトは何とも言えない表情で肩を落とす。
それは傍で見ていても可哀相なぐらいで、美由希は掛ける言葉もなく困ったように恭也を見る。
美由希からの視線に気付きつつ、だからといって掛ける言葉がないのは恭也も同じで、結局は無難な事を口にする。

「とりあえず、家に居てくれて構わないから。
 その間に何か帰れる方法がないか探すというのでどうだろうか。
 後はそうだな、手伝える事があれば手伝おう」

項垂れていたフェイトであるが、自分を心配して言ってくれた言葉に応えるだけの気力はどうにかまだあり、
恭也の提案に何とか礼を述べる事はできた。
とは言え、やはりその顔色は先程よりも悪く、目の力も若干弱々しい。

「とりあえず、今日は美由希の部屋で寝てください。
 まずは体力の回復が第一です。疲れていては良い考えも浮かばないでしょうし。
 とりあえず、シャワーでも浴びてはどうですか? 美由希、後は頼む」

「あ、うん、分かった。えっと着替えは……私ので良いかな?
 下着は確か新しいのがあったと思うし」

力なく座り込むフェイトを気遣い、恭也と美由希は今日の所は休ませる為に動く。
それをぼんやりと眺めながら、フェイトは迷子の幼子のようにただその場に佇むのであった。



迷子のフェイトちゃん



   §§



海鳴市の外れ、郊外とも言えそうな住宅街にある一件の家。
もうすぐ深夜という事もあってか、既に家の中から殆どの明かりが消えており、
テレビの音は愚か話し声さえも聞こえない。
尤もそれが昼間だったとしても、この家から話し声が聞こえてくるような事はなかったが。
そんな住宅の一室で、唯一明かりの灯っている部屋に一人の少女が居た。もうすぐ梅雨を迎える六月の初め。
未だに夜中ともなれば肌寒く感じる事もあるからか、少女は座った足の上にタオルケットを掛け、
静かに読書に勤しんでいる。時折、少女がページを捲る以外に聞こえる音はなく、まさに静寂と呼ぶに相応しい。
そんな中、微かだが何か叩かれるような小さな音がする。
が、あまりにも小さな音の為、時計の音にさえかき消されてしまい少女の耳には届かない。
それが不服という訳でもないだろうが、次第にその音は大きくなっていき、少女の耳がようやく小さな音を拾い上げ、
顔を本から上げる。同時に時計の針が揃って天辺に辿り着き、物音のした方、本棚から小さな光が零れる。
一体何かと顔を向けた、いや物音に気付いて既にそちらを見ていた少女の目の前に、
本棚から独りでに一冊の本が飛び出し、少女の目の前に浮かび上がる。
この怪奇現象に慌てたように少女は遠ざかろうとして、そのまま床に投げ出されてしまう。
見れば、少女が座っていたのは椅子などではなく車椅子で、
少女は倒れた痛みに顔を顰めつつも、自由にならない下半身を引き摺るように腕を使って床を這う。
緩慢な動きで遠ざかろうとする少女の行く手を塞ぐように本が前へと回り込み、一層強い輝きを放つ。
恐怖からか引き攣った声を上げ目を閉じる少女に、敬うような声が届く。

「怖がらせてしまい申し訳ございません、我が主」

「へ?」

その声に目を開け、間の抜けたような声を漏らした少女の目の前には、臣下よろしく膝を着いて頭を垂れる者たち。
事情を飲み込めない少女へと名を問うてくるのは一際鋭い雰囲気の女性である。
その雰囲気に飲まれるように、少女は自らの名を口にすれば、その者たちは改めて頭を下げてくる。

「主はやて、改めまして、我らヴォルケンリッター。
 これより主はやての剣として、盾として、絶対の忠誠をお誓いします」

「えっと……」

少女、はやてはいまいちよく分からないと言う顔をし、
それを受けてヴォルケンリッターと名乗った者たちが説明をしようと顔を上げ、口を開いた所で、

「大事な場面だという事は分かっていますが、そろそろこちらにも気付いてもらえないでしょうか?」

不意に声を掛けられて驚いた顔で自分たちの後ろを見るのは跪いていた四人。
はやてはそれらの反応や直前の言葉から声を掛けた者と掛けられた者が知り合いではないと判断し、
今にも斬りかかろうとしていた女性を止め、改めて事情を求める。
結果、分かった事は跪いていた四人は闇の書の騎士と呼ばれる存在で、
主であるはやての願いを叶える闇の書を完成させる為に現れたとの事。
その際、一緒に説明された魔法などにも驚きはしつつも願いは特になく、
家族になって欲しいと言う願いを口にし、戸惑いつつも四人が受け入れた事でとりあえずは決着した。
問題は、その騎士たちが警戒するようにはやてを守るように位置し見詰める先にあった。
敵意を隠そうともせずに睨みつけてくる騎士たちにうんざりしたような顔をしつつ、
恭也はとりあえず自分が把握している現状について話し出す。
とは言ってもそう多くの事はなく、要約してしまえば気付いたらここに居たというものだったが。

「それをどう信じろと言うのだ」

「はぁ、信じられないかもしれないが嘘は言っていない。これに関しては他に証拠も何もないしな。
 こちらが事実として認識しているのはそうなんだから仕方ない」

いい加減、敵意にさらされて丁寧な物言いも崩れてきつつある恭也の隣で、
騎士たちのリーダーたるシグナムが発する怒気を平然と受け流し、彼の妹である美由希が口を開く。

「魔法があるのに私たちが突然現れた事が信じられないのはどうしてですか?」

「確かに転移の魔法はある。だが、貴様たちが現れた時に魔法は感知しなかった。
 それはここに居るシャマルがはっきりと断言している。どうやって入ってきた?
 それとも我らに感知できないように魔法を使ったのか」

「ですから、私たちは魔法なんて今の今まで知らなかったんですけれど」

美由希の隣で那美がそう言えば、恭也の横に居た忍も頷いてみせる。

「知らないものをどう使えってのよ。
 さっきも説明したけれど、家の地下から古い書物を見つけて皆で開いたら突然、本から光が出たのよ。
 そして気付いたらここに居た。しかも、夜になっているし」

「聞いた話、信じられないが世界は複数存在するのだろう。
 なら、俺たちの元いた世界へどうやったら戻れるのか教えてくれと言っているだけだ」

「そうそう。その子に危害を加えるつもりはないって言ってるじゃない」

恭也と忍の言葉に美由希と那美もうんうんと頷いて同意してみせるも、シグナムは話にならないと肩を竦める。
寧ろ恭也たちの方がそう言いたいと口にするのを堪え、
一言も喋らずにずっとこちらを睨んでくるヴィータという少女を飛び越し、その後ろにいるはやてへと話し掛ける。

「このままでは埒が明かないんで何とかしてもらえないか?」

「そうやね。シグナム、ちょいと黙っててな」

「主はやて、ですがこの者たちの素性も目的もはっきりしません」

「ああ、大丈夫、大丈夫やから。それじゃあ、改めてうちは八神はやて言います」

そう言って頭を下げるはやてに恭也たちも改めて名乗り、はやてに対しては丁寧に挨拶を返す。
いつでも飛びかかれるようにはやての傍に立ち、腰を落とすシグナムを無視し、恭也は改めて現状を話す。
その内、会話の中から海鳴のそれも高町家が割りと近い事が分かり、恭也たちは礼を言うと立ち上がる。
が、出て行こうとした扉の前には唯一の男であるザフィーラが立ち塞がる。

「悪いがまだ身の潔白が証明されていない。ここは管理外世界とは言え、管理局の者ではないと証明されず、
 闇の書の主の情報を漏らされないとはっきりと分からない以上、いかせる訳には……」

ザフィーラの言葉ははやてによって遮られる。
少し怒ったように見てくるはやてに一瞬だけたじろぐも頑として退こうとはしない。
他の者たちも口々にはやてを嗜め、仕方なしにはやては肩を竦めると、

「ほんなら、恭也さんたちを監視する意味も含めて皆で行ったらどうや?
 ただし、そうなると今からは遅いから明日になるけれどな」

はやての言葉に渋々ながらもシグナムたちが頷いたのを見て、はやては申し訳なさそうに恭也たちを見る。
仕方ないとこちらもその意見を受け入れ、こうしてとりあえずは落ち着く事が出来る。
尤も、今度は寝る際に怪しい者たちを一箇所にまとめて監視しておきたいシグナムと、監視は兎も角、
忍たちとは別の部屋にしてくれと主張する恭也の間で揉める事となるのだが。



明けて翌日、朝食までしっかりとご馳走になった後、時間的な問題から翠屋へと向かう事にした恭也たち。
少なくとも桃子に証言してもらえれば、自分たちがこの世界の住人だと証明できるだろうという考えだったのだが、
翠屋へと着き、知らず足が速くなる美由希を恭也が制する。

「ちょっ、恭ちゃん鼻が潰れる!」

「そんなくだらない事は良いから、中を見てみろ。
 ただし、こっそりとだ」

「くだらなくなんてないよ。全く恭ちゃんは……」

ぶつくさと文句を言いつつも恭也の言葉に従い店を覗き、そこで美由希は動きを止める。
そんな様子を見ていた那美と忍も同様にこっそりと中を見て、

「何か可笑しな事でもあった?」

「いえ、特にはありませんけれど。あ、新しい人を雇ったんですかね。
 見慣れない人が居ますけれど。でも、何か誰かに似ていますね」

首を傾げる二人に答える様に、恭也は一度深呼吸をして言う。

「あれは父さんだ」

「……はい?」

「え、だって恭也さんのお父さんは既に亡くなったって……あ、ごめんなさい」

「いえ、気にしないでください、那美さん。
 ですが、あれは間違いなく父さんです。美由希はどう思う」

「私も士郎父さんだと思う。だってかーさんも嬉しそうに笑い掛けてるし」

この会話から流石にシグナムたちも何も言わず、ただじっと待つ。
やがて、恭也たちは今更ながらに日付を聞き出し、

「さて、未来と見るべきか」

「だとしても、亡くなった人が居るのは可笑しいよ」

「とりあえず、家かさざなみ寮を見てみるってのはどう?」

「ですが知り合いに会ったら色々と困りませんか?」

顔を見合わせ、結局の所は他の場所も回る事にする。
それに対してはやては文句を言わず、その提案を受け入れてくれ、主が許可した以上それにシグナムたちも従う。
そうしてさざなみ寮や月村家を見て回った結果、

「さざなみの方は住人の皆さんが留守にしていたので分かりませんでしたが……」

「問題は家ね。まさかノエル以外にも使用人が居るなんて。
 それどころか、対セールス用名目の対恭也訪問時撃退警備システムがないなんて!」

「色々と待て! 聞き捨てならない単語があったぞ!」

「勿論、撃退ってのは冗談よ。ちょっと性能テストしたいから新しく設置した警備システムだから安心して」

「何を安心しろと! つまり、今回は那美さんや美由希が居たから作動しなかったが、
 次にお前の家を訪ねたら攻撃が飛んでくるという事だろう」

「しまったわ。うっかり口を滑らせた。これじゃあ、不意打ちにならないじゃない!」

「反省する所が違うだろう!」

口喧嘩を始める恭也と忍とその内容に何とも言えない顔を見せる騎士たちとは違い、
美由希と那美は慣れた様子で我関せずを貫き、暢気に世間話などをしている。
ひょっとして、これうちが止めた方が良いんやろうか、とはやてが思い始めた頃、
二人は何事もなかったかのように喧嘩を止め、

「とりあえず次は学校を見てみたいんだが良いか」

「えっと、構いませんけれど……」

「ここは確かに俺たちの知っている海鳴と同じなんだが、微妙に違っているみたいでな」

「居るはずのない人が居たり、あるはずの物がなかったりしているのよ。
 で、他にもそういう事があるのか確認したいのと、恭也はもう一人の妹なのはちゃんが気になって仕方ないのよ」

忍の言葉に言い返さず、恭也ははやてに許可を求める。
当然、はやての方に否定はなくこうして一向は次に風芽丘学園へと足を向ける。
なのはの通う聖祥よりもこちらの方が近いからである。
当然、授業中の今関係のない者が入ることなど出来ず、恭也たちもこっそりと見るのを目的としている為、
揃って誰にも見つからないように隠密行動を取る。
結果として、海中の校舎に知った顔を見つける事は出来ず、続けて風校の校舎を見たのだが、

「あ、あれれ、私の目が可笑しくなったかな?」

「……流石、美由希。まさか分裂するという離れ技を使ってまで笑いを取りにいくとは」

「まさに体を使ったギャグね。いまいち面白みに欠けるけれど」

「み、皆さん、そのコメントは何か違うと思うんですけれど」

若干混乱しそうな頭を冷やし、四人は揃って校舎を後にする。
その後ろから付いて来るはやても不思議そうな顔をする中、シグナムたちは気難しい表情を浮かべる。
そちらへと気を使う余裕もなく、恭也は次に聖祥に行きたいと告げる。
そこで恭也はアリサという少女となのはが笑い合っている姿を目にし、知らず頬を緩めるもやはり驚きは隠せない。
対する忍もなのはの傍に居るもう一人の少女、クラスメイトから呼ばれた月村という名に反応する。
別に同じ苗字の者が居たとしても可笑しくはないのだが、その目は少し鋭く観察するように少女を見詰める。
逆にその辺りで特に不審な点を抱かなかった美由希は、なのはが無事な事に胸を撫で下ろし、

「とりあえず、それだけでも良かったよ。じゃあ、次はどこに行く?
 お昼もかなり過ぎてしまっているけれど、どこかでお昼にしようか?」

現状に不安を抱きつつも腹が減っては何とやら、である。
二人の空気を換えるようにそう提言してみる。
その言葉に恭也は頷きを返し、忍も遅れて頷く。
そうして那美の提案で少し離れた場所で遅めの昼食を取る事となる。
が、その途中、恭也たちは信じられないものを見る事となる。
それは大学の帰りなのか、二人仲良く腕を組んでじゃれているカップルの姿であった。
勿論、それだけなら問題ない事なのだが、如何せんそのカップルが恭也と忍という組み合わせなのが悪かった。
結果、忍はにやけた頬を抑えつつ目の前の光景に身をくねらせ、二人は憎悪や殺意を抱き、
最後の一人はあまりの事態に完全に思考を停止してしまった。
幸い、向こうがこちらに気付かなかったので鉢合わせという事態は避けれたが、
四人が元に戻るまでに実に十分ほどの時間を費やす事となるのである。



結局、一日掛けて歩き回り、もう一度月村家やさざなみ寮、高町家に翠屋と見て周り、
顔の割れていないシグナムやシャマルにはやてが頼み込んで聞きまわった情報なども合わせ、
ここは完全に恭也たちの居た世界とは別の世界であると判明したのである。
場所を八神家へと移し、そうシャマルから告げられた恭也たちは戻る方法も尋ねるのだが、
それに対する答えは無理というあまりにもあまりな答えであった。
恭也たちがはやてに害成す存在ではない事が少なくとも証明された形ではあるが、嬉しくはない結果である。
帰れない理由として色々と説明を受けたが、忍を除いてはあまりよく理解できていないようであった。

「ゼロじゃないんだから、まだ可能性はあるわ。向こうで私の家にあったあの本。
 あれがこの世界にもあれば、それを見つければもしかすれば……」

忍の言葉にどうにか光明を得て、恭也たちはその本を探す事を決意する。
とは言え、月村家にあるかどうかは分からず、気軽に探す事も出来ない。
この世界の二人に成りすます事も考えたが、ノエル相手に何処まで通用するか分からず、
結局の所は深夜に忍び込むという、あまり宜しくない方法を取る事となる。
それ以外、日中などは本屋や図書館を回る事とし、とりあえずの方針を定めたまでは良かったが、
肝心の拠点という問題がここに来て浮上する。
が、これは親切にもはやてが居候する事を言い出してくれ、あっさりと解決する事となる。
こうして、見知らぬ異界へとやって来た恭也たちは、元の世界へと戻るために動き出す。

異世界迷子たちの子守唄



   §§



「じゃじゃーん!」

「で?」

そんなやけに短いやり取り。
最初に言った方はノリが悪いと肩を竦め、言い返した方は呆れたような疲れたような視線を向ける。
向き合うのは二人の美女と言っても差支えがない女性
共に長く伸びた髪を無造作に後ろに流し、けれども綺麗に梳かれている事がよく分かる。
そんな二人の美女が無言で見詰め合う光景だけを見れば、それは美しかったかもしれないが、漂う空気は少し重い。
このままでは先に進まないと感じたのか、部屋の隅に居た第三者が間に入る。

「忍お嬢様、それだけでは分かりませんよ。恭……美影様ももう少しだけお付き合いください」

向かい合う美女のうち、この家の住人たる月村忍の従者ノエルに言われ、恭也改め美影は分かったと続きを促す。
対する忍は咳払いを一つすると美影に背を向け、勢いをつけて振り返る。

「じゃじゃーん!」

「最初からやり直すな!」

思わず突っ込んでしまった美影の手が軽く忍の頭を叩く。
忍は大げさに叩かれた場所を押さえ、わざとらしく涙などを浮かべて美影を見上げ、

「暴力反対。でも、これも愛なのね……って、どうも恭也が女性だと調子が狂うわ」

あっさりと芝居を止めると忍は手に持っていた瓶を近くの台の上に置く。
そして改めて美影へと説明をする。

「この薬は夜の一族の古い書物を紐解いてようやく見つけた秘薬をアレンジしたものなのよ。
 簡単に言うと、美影を恭也に戻す為の薬よ」

忍の言葉に美影の顔に喜色が浮かぶ。
それも当たり前の事で、少し前に受けた護衛の任務で、恭也はその仕事の内容から正真正銘の女性になったのだ。
本来ならすぐにでも戻れるはずが戻る事ができなくなり、護衛任務終了後も未だに美影として過ごす日々。
責任を感じたリスティとさくらが懸命に解決策を探してくれていたのだが、元が古い夜の一族の秘術。
そう簡単に解決策も見つからないという状況だったのだから。
それが不意に電話で呼び出されて月村家へと来てみれば、元に戻れるというのだから美影の喜びは大きい。

「ようやくか」

「私もさっさと戻って欲しかったしね。とは言え、文献に載っていたのはそれそのものじゃないのよね。
 多分、これで問題ないと思うけれど実験も出来ないし」

「本当に大丈夫なんだろうな」

「多分ね。失敗してても害はないわよ……多分」

「おい」

最後にポツリと呟かれた、聞き逃せない一言に美影の視線がきつくなる。
気付いて引き攣った笑みを浮かべるものの、忍としては断言はできないので素直に言う。

「こう言った術絡みに強い人が親戚に居るんだけれど、その人でも今回の術に関しては詳しくは知らなかったのよ。
 存在していたという程度しかね。だから、文献を見て解毒剤を作り出す手法もその人と手探り状態で行ったのよ。
 その人曰く、多分問題ないと思うけれど未知の術に関して絶対とは言えないって。
 文献を読み解き、調合したのは私。そこに魔術的要素からのアプローチと術を組み込んだのはその人。
 エリザと言って前に話した信用できる親戚の一人なんだけれどね。そのエリザでも確証は持てないって。
 ただ現状で出来る事は間違いなくやっているってだけ。不安ならもう少し待っても良いけれど」

その間に他の解決策がないか探したり、その文献を更に解読すると忍は言う。
今現在もさくらはそのエリザと共に世界中を探し回っているらしい。
それを聞いて美影は自分が悪いわけではないが申し訳なく感じつつ、瓶を手に取る。

「で、体にこれ以上の害は本当にないんだろうな」

「流石に毒ではないからそういった意味では飲んだ所で害を及ぼす効果はないのは保証できるんだけれどね」

暫し考え、美影は瓶の蓋を開けるのだが、それを忍が止める。

「飲むんならこっちに立ってもらえる?」

言って忍は自分の後ろを指差す。
今居るのは月村家の地下なのだが、その床には色んなコードが伸び、美影にはガラクタにしか見えないような、
機械部品が雑多に転がっている。それらを踏まないように注意し、忍に言われた所まで来れば、
そこには高さ十センチの一メートル四方の祭壇のような物が置かれており、そこから何本ものコードが伸びている。

「これは?」

「恭也が前に使った薬にはペンダントがセットになっていたでしょう。
 この祭壇がそのペンダントの代わりみたいなものよ。流石にあそこまで小型には出来なかったのよ。
 つまり、恭也はこの祭壇の上でなら前みたいに自由に性別をチェンジできるって訳」

「完全には治るんじゃないのか?」

「ごめん、説明不足だったわね。それはもう少し待って。
 今の段階では壊れたペンダントの機能を再現するのが精一杯だったの。
 その薬は言わば変身の制御をこの祭壇に移す為のようなものだと思って」

美影は忍の説明に納得するともう一度考える。が、答えは既に先ほど決めた通りである。
完全に治る訳ではないが、男に戻れるのなら良いかと。要は女にならなければ良いだけだと。
美影はすぐに結論を出すと祭壇に登り、今度こそ瓶に口を付け、忍を一度見る。
視線を受けて忍が電源を入れると足元から機械音が起こり、ぼんやりと光り出す。
忍が頷いたのを見て、美影は一気に中身を飲み干す。
それを見届けた忍が手元のスイッチをポンと押し込むと、祭壇の光が一層強くなる。

「良いわ、良い調子よ」

徐々に強まる光が美影の足首に及び、更に機械音が大きくなったかと思ったら、
ポスン、と音を立てて急速に音や光が弱まっていく。

「あ、あれ?」

忍の戸惑いの声を聞くまでもなく、これは失敗だと理解できる。
だが忍は意地があるのか、美影にその場の待機を言うとモニターに視線を落とし、手元のキーを叩きまくる。

「あった、ここだわ。単純に出力不足みたいね。用心して出力を抑えていたから。
 だったら出し惜しみなしの全力全開でいくわよ」

「貴女が言うと全壊に聞こえるのは何故なのかしら」

嫌な予感、不吉さを感じて零す美影の言葉に耳を貸さず、忍はぱぱっと設定を変更して再びスイッチを入れる。
途端、先ほどの続きだとばかりに輝き音を発する祭壇。
その強さは先ほどの比ではなく、あっという間に美影の足首は愚か下半身にまで光が立ち上る。
時折、バチという音が聞こえるような気もするが、これは美影の心の不安が聞かせた幻聴なのか。
見る限りに置いて可笑しな箇所はない。光が胸元にまで迫ると、祭壇上に不可思議な幾何学模様が浮かび上がる。

「あれ?」

「って、おい!」

思わずといった感じで零れ落ちた忍の声に不吉感をMAXにして美影がそちらを見れば、

「いや、恭也の足元に出る陣がちょっと予想していたのと違うから……」

言い終わる前に光が更に強くなり、今度は焦った声が上がる。

「ちょっ、何でここで更に出力が上がるの!?
 まずい気がするから中断するわよ!」

許可も拒否の声も上げる間もなく、忍は素早く手付きでキーを弄り出す。
それに抵抗するかのように光と音が強さを増し、あまりの眩しさに美影は目を閉じる。
瞬間、ポンとやけに軽い音を耳にする。
次いで浮遊感を感じ、すぐさま軽くジャンプした時のように地面に足が着く感触が伝わる。
風が前髪を揺らし、空気に地下独特の匂いではなく木々の香りが混じる。
何が起こったのかと目を開ければ、見事にそこは外であった。

「……失敗という事だろうな」

いつもの事と肩を竦め、ある意味感心さえする。
何をどう失敗したのかは知らないが、まさか一瞬で移動させられるとは。
思いつつ裸足なのが困ったと足元を見下ろし、そこに最近では見慣れた邪魔な物体がない事に気付く。
恐る恐る自分の胸へと手を当てれば、

「平らになっている。という事は、元に戻れたのか」

嬉しさ混じりの声が零れるのだが、髪の長さだけはそのままだったようで少し面倒だが後で切ろうと考える。

「いや、待て。何故、服がぶかぶかなんだ」

よく見れば、自分の手が服の袖に埋もれてしまっている。
嫌な予感を胸に抱きながら、美影は足元をよく見る。

「ズボンもぶかぶかな上に地面までの距離が短い」

確認を終え、それでも信じたくない思いに近くの木へと近寄りそこに自分の身長に合わせた傷を小刀で付ける。

「……さて、どのようなお仕置きがお好みかしらね。
 まさか男の姿に戻れない所か、小さくされて何処かに転移させられるなんて、もう笑うしかないわ」

実際には笑ってなどいられないのだが、美影はその幼い外見に不釣合いなほどに怪しげな笑みを見せると、
空を見て大体の時間と方位を計算する。

「北はあっちか。なら……って、ここが何処か分からない以上、どうしようもないじゃない」

やはり気が動転しているのかと自分を落ち着かせ、とりあえずは人の居そうな場所へと歩く事にする。
具体的には山のような場所なので麓と思われる方向へ、というあまりにも確証のないスタートではあったが。
が、どうやら美影の勘もそうそう捨てた物ではなかったようで、
もしくはあまりにも不憫に思った神様がこれぐらいはと運をくれたのか、
どちらにせよ、暫く歩いた所で人の気配を感じることが出来た。
美影はそちらに向かって駆ける様に歩き出す。
大きすぎる服を裾で折り畳んでいるため、走ったりするとずれてくるのだ。
それでも自然と足は速まっていくのは抑えられず、徐々に走るようになっていく。
が、気配に近付くと何やら不穏な物を感じ、美影は今までの経験からか気配を消してそっと近付く事にする。
大きな大木の陰に隠れ、こっそりと覗き見れば、

「こっちに来るなよ」

「うわ、こっちに来た」

五人程の男の子が一人の少女を囲み、棒で叩いたり蹴ったりと繰り返していた。
虐めにしてはあまりにもその力は強く、少女の着ている服は所々破れ、血が滲んでいる。
少年たちが少しでも動く度に少女は怯え、自分の体を守るように抱いて謝る。
が、それでも少年たちの手は止まらず、少女が泣くのを面白がっている。
好きな子を虐めて楽しんでいるというのでもなく、正真正銘の虐め。それもかなり悪質なものである。
まるで異物を排除するかのようであり、聞こえてくる話し声からするにそれは少年だけでなく、
周りの大人たちも日常的に同様の事をしていると窺わせた。
何故こんな事をと美影が疑問を抱くも、すぐに答えは見つかる。
少女の背中に生えた一対の白い翼。原因は間違いなくあれであろう。

「HGSか」

遺伝子の病気で中には超能力と呼ばれる不可思議な力を与える事もある。
その特徴として背中に生える翼や羽がある。
見た目は勿論、この病気自体が実はあまり世間に知られていないという事もあり、
時としてこのような虐めが発生する事もあると聞いた事がある。
自分とは違うものを排除しようとする悲しい性と言ってしまえばそれまでなのだが、
美影にはとてもではないが看過できる状況ではない。
故に当然の行動として美影は隠れていた木の陰から飛び出し少女の前に立ち塞がる。

「な、何だこいつ」

「お前、なんのつもりだよ」

突然現れ、少女を庇うように経つ美影に少年たちから誰何の声が上がる。
それだけでも恐怖心を抱くのか、少女が更に縮こまる。
そんな少女を背中に庇いつつ、美影は目の前に居る少年たちに告げる。

「一人の女の子を相手に男の子が数人で虐めるなんて恥ずかしいと思わないのかしら?」

それで止めるのなら最初からこのような事はしないだろうと思いつつ、まずは注意してみる。
が案の定少年たちは口々に少女が悪いと言いだし、終いには自分たちが正しいと言い切る。
その目に迷いも何もなく、本当にそう思っていると伝わってくる。
それ所か邪魔する美影の方が悪いと少年たちは美影も含めて襲い掛かってくる。
その理屈に小さく嘆息しつつ、美影は向かってきた少年の内、正面から来る少年の顎を打ち抜く。
脳震盪を起こした少年の体を足と手で捌き、右側へと放り投げる。
これで右から来る二人の少年の足を止めさせ、左二人へと向かい合う。
体が幼くなり間合いなどに戸惑ったものの、割とあっさりと倒せた事にほっと息を吐く。
思ったよりも少年たちの動きが早く、油断してくれたお蔭で楽だったと。
思ったよりもタフなのか、少年たちはノロノロとした動きではあるものの起き出してこちらを見てくるのだが、
既にその目に戦意は見られない。
かと言って、大人しく引き下がるのはプライドが邪魔するのか、立ち去ろうともしない。
下手な刺激一つで再び向かって来る可能性もあり、美影は多少大人気ないと思いつつも少しだけ殺気を向ける。
それにより、少年たちはその場から立ち去る事を選び、こちらを睨み付けつつも去って行く。
本当にこれで安堵できると肩から力を抜き、やり取りをじっと見詰めていた少女に向き直り近付くと、
ビクリと身体を震わせて怯えたように後退る。
しかし、半歩後退るだけでそれ以上は下がろうとはしない。
美影を信用したというよりは、下手に逃げてもっと酷い事をされると怯えているようで、
安心させる為に美影は何とか笑みを浮かべて少女の傍に屈みこむ。
それでも少女は美影の行動一つ一つに怯えたように身体を震わせる。

「もう大丈夫だから」

「…………あ、あぅ」

何か言いたいのだが言って虐められる事に怯えるように喉を引き攣らせ、視線をさ迷わせる。
そんな少女に美影は笑みを浮かべたままゆっくりと手を伸ばし、恐怖に引き攣る顔に構わず頭に手を置く。
ビクリと震えた少女は、しかし次の瞬間にゆっくりと撫でられた事にポカンとした顔で美影を見上げる。
目が合えばまた怯えたように俯くのだが、美影が撫で続けるとゆっくりと視線を上げる。
数度、視線を上げては下げを繰り返し、美影が虐めないのではと思い始めたのか、少女は徐に口を開く。

「い、虐めないの」

「虐めないわよ。そんな理由もないもの」

「だって、うちの羽……」

「羽? ええ、白くて綺麗な羽ね」

「綺麗?」

「ええ」

美影の言葉を聞いた途端、少女は泣き出してしまう。
それを宥めるように頭を撫でるのだが、益々泣き声は大きくなる。
美影は少し考えた後、少女をそっと抱き締めてあやすように背中を叩いてやる。
更に声を上げて泣く少女であったが、その手を美影の胸元に伸ばしてぎゅっと握り締める。
少女が落ち着くまでに数分を要する事になるが、その間美影は何も言わず、ただ少女の頭と背中を撫でてやった。
ようやく落ち着いた少女からここが京都だと知らされ、帰る手段を考える。
そんな美影の服の裾をぎゅっと掴み、少女は未だ少し怖がりつつもじっと美影を見詰める。

「とりあえず、家まで送るけれど家はどこ?」

「…………」

明らかに帰りたくないと態度が示しており、親に知られたくないのかと考える。
とは言え、このままにしておく訳にいかず、美影がもう一度尋ねると、少女はようやく口にする。

「あっちです」

既に身に付いた習慣なのか丁寧に話す少女にその原因を考えると何とも言えない顔になる。
が、それを勘違いしたのか少女は怯えたように謝りだす。

「何も謝るような事はしていないでしょう。そんなに怖がらないで。
 私は貴女を虐めないから、ね」

「ほ、本当ですか?」

「本当よ。ほら、もっと楽に話しても良いのよ」

「で、でも……」

躊躇う少女にまだそこまでは無理かと考え、とりあえず少女を立たせると少女が指差した先に歩き出す。
その道中、少女は口を閉ざしたまま重い足取りで美影の後に付いて来る。
その手がずっと裾を掴んでいる事には触れず、怖がらせないように色々と尋ねるのだが少女の口数は少ない。
やがて前方のかなり古びた小屋が見えて来る。
山小屋かと思った美影であったが、少女にここが家だと告げられて驚く。
壁にも屋根にも所々穴が開いており、扉には鍵なども付いていない。

「本当にここなの?」

「うん」

どうにか口調は多少砕けてきたようだが、やはりまだ警戒しているのか恐々と頷く。
そんな少女を気遣いつつ、親はと尋ねたのだがこれは失敗だったとすぐに悟る。
少女の顔が泣きそうなほどに歪み、何かを堪えるように俯いてしまう。
既に亡くなったのか、もしくは親さえもこの子を捨てたのか。
恐らくは後者だろうとあたりを付けつつ、美影はどうしたものかと頭を悩ます。

「とりあえず、お邪魔しても良いかしら?」

「はい」

美影の言葉に頷いたのを見て、美影は家の中へと入る。
中は表から想像した通り、こちらはかなりガタがきており、床の一部には穴が開いている。
家具なども本当に必要最低限という感じでしかなく、電灯などは見当たらない。
とりあえず部屋の中央に座り、同じように付いて来た少女を隣に座らせる。

「……もし行く宛てがないのなら一緒に来る?」

考えた末、美影はそう口にしてみる。恐らく桃子なら了承してくれるだろう。
流石にこの状況に少女を置いて行く事に躊躇いを覚えたためだ。
自分はお人好しという訳でもないし、それこそ世界中を探せば少女と同じような子は他にも居るかもしれない。
それでもこうして知り合い、ましてや助けに入った以上は無視する事も出来ない。
誰にでも手を差し伸ばす事はできない以上、これを偽善と言われるかもしれないが、これも何かの縁だと割り切る。
そう考えて口にした言葉であったのだが、言われた少女は意味が理解できずに美影を見てくるのみ。
もう一度口にしてみるが、少女は戸惑いの方が大きく何も言えないようである。
好意に触れたことがなく、どうして良いのか分からないのだろう。

「でも、こんなんだし……」

「羽の事は気にしなくても良いわよ。私の知り合いでそれで虐める人は居ないから。
 勿論、無理矢理連れて行く事もしないわ。貴女が思うようにするのが一番よ」

少女はかなり悩んだ後、ゆっくりと頷き、小さな声で言う。

「い、一緒に行っても良いん?」

「駄目なら始めから言わないわ。大丈夫、これからは私が守ってあげるわ」

あまりにも傷付き過ぎた少女に、美影は自然とそう口にして優しく抱き締めてやる。
少女は声もなく涙を流し、美影にしがみ付く。
小さな嗚咽を胸の中に閉じ込めるように抱き締める力に少し力を込め、美影は優しく少女の髪を撫でてやる。
ようやく少女が落ち着きを取り戻すと、美影は今更ながらに思い出す。

「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私は高町美影よ。貴女の名前は?」

「刹那。烏族の刹那」

これが美影と刹那の出会いであり、後に知る事となる異世界で最初に出来た友である。



「海鳴市が存在しない? まさか、異世界?
 は、はははは……忍、恨むわよ」

「美影お嬢様は私がお守りします! お嬢様が元の世界へと戻ると仰るのなら、私も付いて行くまでです!」

――こうして奇妙な縁を作った美影は、元の世界への手掛かりを探し、

「麻帆良学園? そこには魔法使いが多く集まっているの?」

「はい。それだけではなく、そこにある図書館島にはありとあらゆる書物があると言われています。
 もしかすると……」

「帰る手段が見つかるかもしれないわね」

――二人は麻帆良学園へと入学する。



とらいあんぐるがみてる X ネギま!

美影と刹那



   §§



それは遙か古より伝えられし一つの物語。
語り継ぐ者は絶え、伝えるべき物も失われ、伝承さえも朽ち果ててしまえど、それは静かに時を越える。
嘗て八つに引き裂かれ、八つの地に封じられし太古の化生、名も姿さえも忘却の果てへと追いやられるも、
その危険だけは伝えられるはずであったはずの存在。
封じた地に建つ社も、そこに奉納された封印の要たる刀の存在も既に記憶の中にさえもない物語。
嘗ては伝承を伝え、封印を守る一族も既に耐え幾年。
忘れられた封印がゆっくりと解かれ始める。



「……また随分と古い巻物だな。父さんの持ち物か?」

朝から大掃除に取り掛かった高町家の面々の中で、主に力仕事をこなしていた恭也は、
がらくたをただ放り込んでいる状態と化していた物入れの中身を引っ張り出し、それらを整理していた。
そんな中、一番奥から風呂敷に包まれた横二十センチ、縦四十センチ程の物を見つけ出した。
かなり放置されていたのか、うっすらと積もった埃を吹き飛ばし、包みを解けば中には立派な装飾の箱が。
その蓋も開けてみれば、中に入っていたのは一本の巻物。
掛け軸かとも思ったが、所々損傷しており、既に価値は半減の上に父にそんな趣味があったかと首を傾げる。
ともあれ、中身が気になり慎重に紐を解けば、そこには絵などなく文字が並んでいた。

「恭ちゃん、どうしたの? って、なに、それ」

自室の掃除を終えた美由希が恭也の元を訪れ、手元を覗き込む。
が、書かれている文字の達筆さからか、僅かに顔を顰める。

「えっと、これは候? 何か言い回しがかなり古い上にかなり昔の言葉で書かれているみたいだね」

「ああ。所々、分かる字もあるが何が書かれているのかは読めないな」

「それ、もしかして士郎父さんの?」

「だと思うが……」

言いながら巻物を捲っていき、一メートル半程広げた所でようやく終わる。

「こっちの半分は字じゃなくて地図みたいだね。これは日本だよね」

「一体、何なんだろうな」

二人して首を捻るも、恭也はその巻物の一番最後に押された印に気が付き、

「これは御神家に伝わる物みたいだな」

「え、それって」

美由希が驚いたように恭也の手元を見て、前に教えてもらった印を目にする。

「どうして士郎父さんが持っているんだろう」

「これだけは無事だったので形見として持ち出したのか?
 もしくは美沙斗さん経由で父さんに渡ったか。どちらにせよ、これの処分は勝手にするのはまずいかもな」

言って恭也は巻物を巻き直すと元の箱に収め、風呂敷に包んで元の通りに戻す。

「こんな物があるなんて聞いた事はないから、今度美沙斗さんに聞いてみよう」

「そうだね。でも、一体何が書いてあったんだろう。日本地図みたいだったし、赤い印もあったから……。
 もしかして、御神の隠し財産だったりして」

「そんな夢物語を。仮に隠し財産だったとしても、巻物から見るにかなり昔だろう。
 既に掘り返されているか、価値がないかもな」

「分からないよ。昔の銭は価値があるし、金とかかも」

美由希の言葉に肩を竦め、恭也は整理を再開させる。
その背中に夢がないな、とぼやきつつ美由希もまた掃除に戻るのであった。



――かつて化生を封じたるは八の人に刀に地。
  この封を守るべく、八つの地に散りし者たちを総じて、永きに渡りその地を動く事なかれの意を込め、
  永全不動と呼んだ。――



掃除を終え、気持ちよく夕飯も頂き終えて各々に寛いでいた時、不意に地面が揺れる。
大きな揺れではなかったからか、特に倒れたり転ぶような者もおらず桃子は胸を撫で下ろす。

「また地震みたいね」

「この頃、小さいとはいえ多いな」

テレビで速報が流れるのを待ちながら、恭也は桃子の言葉に頷き返す。
その言葉には他の者たちも同意らしく、口々に最近、頻繁に起こる地震について喋り出す。

「その内、大きいのが来そうで怖いわね」

「一応、今日の昼に防災グッズの確認もしときました」

「まあ、使わずに済むのが一番なんだけれどな。食料や水に関しては俺が確認しました」

レンと晶の言葉に備えあればと言うしね、と桃子は二人の行動を褒める。
照れくさそうにする二人だが、何処か嬉しそうでもある。
そんな二人を何となしに見ながら、美由希は改めてしみじみと呟く。

「でも、本当に多いよね。それも海鳴とかだけじゃなく、全国あちこちで起こっているみたいだし」

「元々、日本は地震が多いけれど、確かにここ最近は多すぎると感じるな」

姉や兄の言葉になのはは不安に感じたのか、知らず隣に座っていた恭也の服の裾を掴んでしまう。
それに気付きながらも何も言わず、恭也は美由希と地震の事を話す。
美由希の目が何か言いたそうにしていたが、気付かない振りをしつつ今日の鍛錬メニューを少しだけ変更する。

「今、不穏な事を考えてない?」

「そんな事はないぞ」

「そう? うーん、勘が鈍ったかな?」

そう言って首を傾げる美由希を眺めながら、鋭い美由希に舌打ちしそうになるのを堪える恭也であった。



――八つの地より力失われる時、地は振るえ、天は雫を落とし、空は引き裂かれん。
  兆し見えし時、使命帯たる血に連なるものよ、封印の地に戻りて儀式を行うべし。
  行わぬ時、いよいよ封破れん。
  もし、八つの封破られし時、封じたる化生は甦り、闇を振りまく。
  永全不動の血に連なる八門たちよ、努々忘れる事なきよう、ここに警告を残す――



『ここ最近、続く雨に作物の被害も……』

テレビから流れてくるニュースに耳を傾けながら、恭也は窓の外を見る。
バケツをひっくり返したようなとはよく言うが、まさにその通りと言わんばかりの豪雨である。
時折、遠くで雷の音もする。

「ひゃっ」

結構、近くに落ちたのか思ったよりも大きな音になのはが驚いた声を上げる。

「それにしても、本当によく降るよね。もう一週間以上だよ。
 この時期にしては長いし、雷も多いし」

「風も強くなってきているよね」

ごうごうと吹く風になのはがそう付け加える。
外は昼間だというのに真っ暗で、分厚い雨雲が空を覆い隠すように広がっている。

「とうとう学校まで休みになったぐらいだしね」

何となく不気味さを感じたのか、美由希は近くに居たなのはを抱き締めながら言う。
なのはも同じように感じていたのか、嫌がる素振りどころか、どこかほっとした様子で美由希の腕の中に収まる。

「そう言えば、あの巻物の事、母さんに聞いた?」

「いや、丁度、長期の任務だったらしく留守にしていてな。
 そう急ぐ事もないだろうと戻って来たら連絡してもらうように伝言しただけだ」

「そっか」

単に話題を変えようと切り出しただけで、特にその結果には何もなかったのか、美由希はすぐに口を閉ざす。
流石に家にある本は全て読み終えてしまったし、結構暇だなと考えていると、

「折角やし、皆でゲームでもしません?」

タイミングを計ったかのように、レンが手に何かを持ってリビングに姿を見せる。
その言葉に頷きを返し、雨の日にのんびりとゲームに興じる事にするのだった。

この時点で、これが来る災厄の前触れだと気付いている者は誰もいなかった。



とらいあんぐるハート3 〜永全不動の物語〜



   §§



「さて、言いたい事はあるか忍?」

静かながらも隠しようのない怒りを身に纏い、恭也は目の前で正座する忍を見下ろす。
対し忍は文句の一つも口にする事なく、ただただ身を縮こまらせている。
非常に珍しい光景ではある。
普段から忍によって色々と被害を受ける恭也だが、今回は本気で怒っており、
忍も心底反省という言葉が温いぐらいに反省しているのが見える。
普段なら、ここでなのはなりさくら、もしくはノエル辺りが宥めに入るのだが、今回はそんな様子もない。
それはつまりそれだけの事をしでかしてしまったという事である。
項垂れたまま忍はただ首を横に振り、全ての判決を恭也に委ねる。
対する恭也は怒りを抑えつつ自問するように目を閉じ、数分後ゆっくりと目を開ける。

「とりあえず、何を差し置いても元に戻してもらうぞ」

「それは勿論」

「本来ならアルシェラや沙夜によって八つ裂きにされる所だが、そちらは何とか納得させた」

恭也の言葉に忍は傍で見ていても分かるぐらいに胸を撫で下ろしている。
それはそうだろう。二人の気性、特に恭也絡みとなった時の事は彼に親しい者なら誰だって知っている。
安堵する忍に、しかし非常に冷たい声が落ちる。

「分かっていると思うが、余の気はそんなに長くはないぞ」

発せられた言葉に忍は振るえただ許しを請うように頭を地面に着けんばかりに下げる。
対し、それを傍で見ていたノエルは眉を顰める。
尤もそれは自分の主を思っての事ではなく、この状況の異常さにである。
今放たれたアルシェラの声、それは恭也の口から発せられていた。
続け様、今度は別の沙夜の声がこれまた恭也の唇から出てくる。

「沙夜もこのような事態は遺憾です。恭也様と一つになれたという事実は喜ばしい事ですが」

「このような形で一つになっても嬉しくも何ともない。
 第一、触れられないし触れてもらえないのだぞ」

「分かっております、アルシェラさん。これは単なる皮肉です」

「お前たち、文句を言いたいのは重々承知だが、少し黙っていてくれ。
 流石に勝手に喋られると俺自身が可笑しくなりそうだ」

恭也は自分の眉間を揉み、どうにか二人の会話に割って入ると項垂れる忍を一瞥し、天井を見上げる。

「はぁ、まさかアルシェラや沙夜と融合するとは。
 と言うか、どんな技術だ、それは」

疲れたように呟かれた言葉、それが今の恭也たちの現状である。
事の起こりは今から数時間前、忍からの一本の電話で始まった。
用件は旅行先であるドイツで面白い物を見つけたという事から始まり、見せたいから来いという物であった。
そうして月村家を訪れたまでは良かったのだ。
見せられた品は掌サイズの三角形のただの金属片。
それを前に忍は見た事ない金属だと目を輝かせ、恭也たちの見ている前で何やら呟くと、
その三角形の金属片が形を変え、一メートル半ほどの剣へと姿を変えた。

「アルシェラの古い記憶に聞いた、変化する金属じゃないかと思うんだけれど、加工がちょっと特殊みたいなのよ。
 魔術的だけじゃなく科学的な感じで練成というよりも組まれた、って感じでね。
 今のキーワードもようやく見つけたのよ」

その上でアルシェラの記憶と照合してどうかと問い掛けてきたのに対し、アルシェラはそれを受け取り、
じっくりと検分する。

「むぅ、余もこのような金属は知らぬな。
 嘗て、神や魔が共に生存した時代の産物、古の遺産とも違うような気がする。
 それにこの加工に使われている技術は余は知らぬし、聞き覚えもない。
 そのような技術があれば、聞いた事や闘った事があっても可笑しくはないからの」

その説明を聞き、忍は少しだけ落胆するもすぐに気を取り直し、なら自分で解明するまでと目を輝かせる。
それで終われば良かったのだが、それを恭也に手渡し、

「どうも形態を変化できるみたいなのよ。で、解明したら恭也の身を守る防具になりそうでしょう。
 という訳で、試しに恭也もやってみてよ」

と元に戻す為のキーワードを教え、危険を考慮する恭也を押し切る形でキーワードを口にさせた。
結果、金属片は元に戻ろうとせず、恭也を飲み込もうと広がり、
当然ながら守るべくアルシェラと沙夜が恭也の前に立ち塞がる。
謎の金属はそのまま三人を包み込むように飲み込み、忍が慌てて解明できた単語を次々と口にする。
その内、忍が口にした一つがキーだったのか、金属片は元の姿へと戻ったのだがそこには恭也の姿しかなく、
始めはアルシェラたちが剣になったのかと思ったがそうではなく、恭也と融合してしまっていたのだ。
幸い、人格まで消える事無く、二人曰く、恭也の目を通して外を見ることも出来るらしい。
二人の感覚としては暗い部屋に一緒に居て、恭也の見た物を一緒に見ている感覚なのだとか。

「しかし、本当に何なんだ、それは」

「よく分からないのよ。ドイツ語かと思ったんだけれど、似ているけれど全く違う文字だし。
 辛うじて判明したのはさっきの幾つかのキーワードと思われる言葉と、
 その金属片がユニゾンデバイスって呼ばれる代物だって事だけで。
 私が使った時には何も問題なかったのに」

心底後悔している忍を何とか宥めつつ、これを発見した場所を尋ねる。

「ドイツの郊外にある森の奥に地下遺跡が見つかったの。
 森そのものはうちの親戚が所有していた事もあって、今まで誰にも荒らされていなかったのよ。
 他にも色々あったけれど、それだけが唯一稼動していたみたいだから持って帰ってきたんだけれど」

こうなったらもう一度現地に行くしかないと決意する忍に同行する恭也。
こうして、忍にノエル、そして恭也を加えた一行はドイツの地を踏む事となる。
それがまた新たな事件を引き起こす事になるなど、誰にも想像できない事であった。



「ウェルカム・ジ・アナザーワールドって所ね」

「暢気に言うておる場合か、このうつけめ!」

「そうです、沙夜たちを元に戻す所かどことも知れない異世界だなんて」

「この度は忍お嬢様が重ね重ねご迷惑を。忍お嬢様のお付として、最早この命を持って償いを」

「落ち着け、ノエル。悪いのはお前じゃないんだ。
 と言うか、こんな状況でお前が居ないと俺の心労が増える」

遺跡で可笑しな装置を見つけ、止める間もなく起動させた忍。
結果として気付けば見知らぬ場所。
ノエルの衛星データリンクシステムも繋がらず、結論として地球ではないと判明するもそれ以外は不明。
見渡す限り、何もない荒涼とした風景が続いているのであった。



「ユニゾンデバイスによる融合の失敗が原因だと思います。
 だとしても、そんな症例は聞いた事もありませんから治す手段があるかさえ」

「可能性としてあるのは我らが主の力を借りる事だな」

「そうですね。闇の書が完成すればあらゆる魔法や知識、それに闇の書の力もありますから。
 恭也さんを元に戻し、皆さんを元の世界に戻す事も出来るかもしれませんね」

異世界をさ迷っていた恭也たちの前に現れた騎士を名乗る二人の女性。
当初は警戒していた彼女たちと何とか話をする事ができ、こちらの事情を説明した所、そのような言葉が帰って来る。
こうして、恭也たちはとりあえず彼女たちの主に出会う事にするのだが。



「元の世界にはあっさりと戻れたな。しかし、元に戻るには八神さんの力を借りねばならないか」

「それなんですが、恭也様。少し様子が可笑しいような気が」

「沙夜の言うとおりじゃな。どうもマナが少ない気がする。
 それに街並みも少し……」

海鳴に戻れた事を喜んだのも束の間、そこは恭也たちの知る海鳴ではなかった。
その事実を確認するべく見て回った街で、恭也は自分たちよりも少し年を経た自分たちを見付け、

「高町……かーさんの旧姓だな。一体どういう事だ」

「どうもこうもない。完全に違う世界という事じゃ。
 と言うか、認めぬ、認めぬぞ」

「そうです。幾ら異世界とは言え、恭也様と恭也様と……」

「んふふふふ〜♪」

「ああ、悪夢だ。やっぱりあれは俺じゃない」

「ちょっとどういう意味よ、恭也!」

「そのままの意味かと思われますが、忍お嬢様」

信じがたい物まで目にしてしまい、強く闇の書を完成させ元の世界に戻る事を誓う四人であった。



魔法少女リリカルなのはA's 〜異世界からの訪問者〜



   §§



それは昔、昔のお話。
日陰から光で満ちる世界に憧れを抱く一人の女の子が居ました。
女の子はなけなしの勇気を振り絞って前へと踏み出しましたが、あっさりと日陰へと追いやられてしまいました。
それでも諦めずに頑張りましたが、結果は変わる事無く、女の子はそのまま日陰に戻りました。
めでたし、めでたし。

「いやいや、全然めでたくないから!」

満足げに語り終えた相手に思わず忍が突っ込むも、言われた方は平然とした顔のまま続ける。

「世の中、そんなに甘くないっていう事だよね〜、あははは〜」

「いや、本当に救いのない紙芝居ね。って言うか、榊原さんの作る話って大概そんな感じのような……」

「そうかな〜。キョーヤどう思う?」

「すまん、寝ていて聞いてなかった」

顔を伏せて眠っていた恭也は榊原小雪の声にまだ眠そうな顔を上げ返す。
その目の前についとマシュマロを差し出され、特に考えるでもなく口に入れる。
入れてから甘いと小さく呟き何とか飲み込むと、

「で、何の話だ?」

「昔話だよ〜」

「また新しい話を作ったのか?」

「ううん、違うよ〜」

前に作っていたストックかと恭也は深く聞かず、凝り固まった背中を解す様に背伸びをする。
そこへ赤星が苦笑を見せながら近付いてくる。

「さっきの授業、完全に寝ていたな」

「むぅ、昨夜は色々あって遅かったからな」

「でも僕は元気だよー」

小雪の言葉に忍が反応し、恭也へと視線をすぐさま向けるとにや〜とその唇を歪ませる。

「一体、何をしていたのかしらね〜」

「小雪が不意に思いついた新作の紙芝居を作る手伝いをさせられていた。
 そんなに加わりたかったのなら、次は連絡するとしよう」

「あ、あははは〜」

笑って誤魔化すと、忍は話題そのものを変えようと赤星に話し掛ける。

「赤星くん、恭也に何か用があったんじゃないの?」

「うん、まあね。高町、川神学園って知っているか?」

「名前ぐらいはな。川神院の生ける武神、川神鉄心が学園長をしている学園だろう」

「ああ。で、そこの生徒さんから俺の所に連絡が来たんだが……」

赤星は少し困ったような顔をして恭也を見る。
何故見られているのか分からず、首を僅かに傾げてつつも赤星に続きを促す。

「あそこの学園は色々と変わっていて、まあその中の一つに川神大戦って言うのがあるらしい」

「何だそれは?」

「簡単に言えば、二つのクラスが対戦するんだが、
 仲間として学園の者たちを引き抜いたりと結構大掛かりなものらしい。
 で、学園外からも戦力を五十人ばかり引き入れる事が出来るらしくてな」

何となく予想は付いたが、恭也は黙って赤星の話に耳を傾ける。
それを受けて赤星は続ける。

「その話は俺に依頼という訳じゃなくて、高町に依頼が来たんだ」

「どこをどう巡って俺に来たんだ。第一、俺に戦力を期待されても力にはなれないと思うが?」

「詳しい話は俺も聞いてないけれど、交渉してきた人はどうもあの川神百代とやり合える人を探しているらしい」

「だとしても、どうして俺の事を知ったんだ?」

恭也の疑問は理由や動機などではなく、どうして恭也という存在を知ったのかという事である。
ましてや、話を聞く限り普通の学生らしいその人物がどうしてと。
それを汲み取ったのか、赤星は少しだけ声を落とし、特に注意を払っている人が居ない事を確認して口を開く。

「鉄さんは知っているよな」

「なるほど、あの人経由という訳か」

「みたいだな。他にも九鬼揚羽にも協力を頼んでいるらしい。加えて、つい最近代替わりした四天王の一人も」

「同じ四天王である川神百代を相手にするのに残りの三人で当たるという訳か」

「ああ。それでも、正直厳しいというのが鉄さんやその九鬼という人の意見だったらしい。
 で、もう一人協力者としてお前の名前が出たらしいぞ。
 直接ではすぐに断られると見越したのか、間に俺を挟んできたようだな」

「だとしたら、その情報収集力は大したものだな」

感心して言う恭也に赤星はどうすると無言で問い掛ける。
既に恭也は答えを決めていたのか、特に考える素振りもなく、

「悪いが断っておいてくれ」

「だと思ったよ。今夜にもまた連絡が来る事になっているから断っておくよ」

「頼む。まあ、俺一人が加わった所でそうそう戦力は引っくり返らないと思うがな。
 と言うか、あの人たちと俺を同列に扱うのは止めて欲しいものだ」

嘆息する恭也に赤星は特に何も言わず、ただ苦笑する。
それは恭也の言葉に同意したからなのか、違う意味でなのか。
気付きつつも恭也は話は終わりだと口を閉ざすも、ふと思い出して小雪を見る。

「そう言えば川神は小雪の出身地だったな。
 もううちに来てかなり経つが……」

「うーん、別にどうでも良いよ。キョーヤが居れば僕は」

言って小雪は笑みを浮かべる。
その言葉に恭也はただ苦笑を浮かべるだけである。

「しかし、本当にその為だけに本来よりも一学年上のクラスになっているのも凄いわよね」

「まあ特例というか、色々と理由があるからな。成績は問題ないという事で許可も降りているしな」

「特に成績に関しては恭也が恩恵を受けているものね」

忍のからかうような言葉に恭也は沈黙を貫き、事情を知る赤星は何も言わない。
実際、小学校まではどうにか我慢していたのだが、
恭也が中学に上がる時に別の学校になると知った時の暴れ方と言ったら。
辛うじて美由希が居るという事で落ち着かせたものの、一ヶ月と持たなかった。
結果として、今の状況になっているのである。
その事を赤星は聞いて知っており、実際に見た訳ではないので小雪の外見から想像も付かない力に思わず小雪を見る。

「うん? どうかした? あ、マシュマロ食べる?」

「いや、別に良いよ。まあ、とりあえずさっきの件は断っておくって事で良いな」

「ああ、頼む」

こうして、一先ずその件に関しては終わり、忍が違う話を切り出そうとした所で予鈴が鳴る。

「さて高町、午後の授業は寝るなよ」

「……努力しよう」

「〜〜♪」

「また寝ると私は思うけれどな〜」

こうして授業の準備を始める中、恭也はすっかり先の件を忘れたのだが、相手は思ったよりもしつこかったのである。
尤も、この時点で恭也がそれを知るはずもないのだが。



真剣でハートに恋しなさい



   §§



――この夏、一番の熱い戦いが幕を開ける!



「キングオブソルジャーズ?」

「そう。一緒に参加しようよ、恭也〜」

夏休みを直前に控えたある日の放課後、恭也は忍に話があると呼び出され、赴いた月村家でそんな事を聞かされた。

「簡単に言えば格闘大会よ」

「しかし、俺たちの……」

「言いたい事は分かっているけれど、多分大丈夫よ。
 何せ、夜の一族やロボットも参戦するような大会よ」

忍の言葉に恭也は微かに眉を動かし頷く。
それに喜びを現すように抱き付く忍をやんわりと引き離し、恭也は他のメンバーに付いて尋ねる。

「とりあえず、ノエルと恭也に参加してもらおうとしか思ってなかったから。
 後の二人、宛てがあるなら恭也に任せるけれど」

「……連絡してみるか」

恭也は後二人のメンバーを脳裏に描く。



――キングオブソルジャーズ、格闘世界大会KOS



「〜〜♪」

「姉さん、機嫌が良いな」

「くっくっく。今の私は機嫌が良いぞ、大和。
 何せ、あの爺が条件付きとは言えKOSの参加を認めたからな」

「って、姉さんも出るの!?」

「卒業してから世界を回ったが、心底楽しめたのは数える程もなかったからな。
 今から楽しみだ」



――野に埋もれた戦士の発掘を目的とした格闘大会



「はぁ、それで私にも参加して欲しいと。
 確かに川神の事は話に聞いていますが、そこまでですか」

「まあな。正直、今回参加を認めたのもあれが五月蝿く言うて聞かんというのもある。
 が、ここらで多少は発散させておかんといよいよ危ないと思ってな。
 とは言え、それで相手になる奴がおらなんだら、また荒れよるだろう。
 そこでお主にも参加してもらいたいんじゃ」

「川神鉄心自らのお願いとあらば、この鉄乙女引き受けましょう。
 後輩を嗜めてやるのも先輩たる者の務めでしょう。して、四人一組という事ですが……」

「残りの三人は自分で探してくれ」

「……はい?」



――ルール無用、重火器の使用すらも許可された格闘大会



「ご主人様、これに参加しましょう!」

「えーっと、あははは、俺はパスするよ愛紗」

「何故です」

「いや、無理だって。そりゃあ、愛紗なら大丈夫かもしれないけれど、この大会に参加する人たち相手に俺じゃ」

「むー」

「ほら、俺は応援の方で頑張るからさ。鈴々たちと参加しなよ」

「元より、鈴々は面子に入っております」

「うっ、そんな目で見られても駄目なものは駄目。その代わり、愛紗の事をちゃんと応援するからさ」

「分かりました。なら、他の者を誘います」

「うん、悪いけれどそうしてくれると助かるよ」

「曹操や孫権も出ると言ってましたが、当然ご主人様は私を応援してくださるんですよね。
 先ほど、申された約束を違えるような事はしないと信じています」

「……あ、あははは。が、頑張ってね、愛紗」

「はぁ。とりあえず、星は参加するみたいなので後一人探してきます」



――四人一組でチームを組み、七浜と川神、二つの都市を舞台とした格闘大会



「奇襲に寝込みを襲うのもあり。ルールはないのがルール。唯一の反則は一般人への被害を出す事、か」

「ねぇ、リスティまさかとは思うけれど……」

「中々面白そうじゃないか。優勝者には賞金も出るみたいだし、これでフィリスからの借金も返せるだろう」

「そうだけれど……」

「何でもありなら薫や耕介を誘うか。後、一人は……」

「ムリムリムリ。私は絶対にでないからね!」

「別に期待してないよ。真雪は体力面がな〜。知佳が居れば防御面での心配も減るんだけれど。
 駄目元で連絡してみるか」

「はぁ、わざわざ病院にまで来て何かと思えば……。って、ここで電話しないで!
 用が終わったのなら出て行ってよ!」



――その優勝賞金は総額500億



「ZZZ」

「辰姉、また寝てるけど良いの?」

「まあ、別に参加を伝えるのに全員で行かなければならないって訳でもないみたいだしね。
 とりあえず、私たちは四姉妹でチームとして参加で良いね」

「良いけれど、許可はいらないのか?」

「ちゃんと貰ってあるよ。その辺は抜かりないさ。
 楽しめると良いね」



参加者は各々の目的を胸に大会へと参加する。
今、問答無用の格闘大会の幕が開ける。



   §§



「ふわ〜」

大きなあくびを慌てて隠すように両手で口を塞ぐなのはを見ながら、恭也は微笑を浮かべる。
恭也の視線に気付いたなのはは顔を赤くしながらも睨むように見上げるのだが、

「まあ、この陽気だからな。久遠は見事に寝てしまったしな」

言って自分の足の上で丸々久遠を見下ろす。
寝ている久遠を起こさないように軽く一撫でし、なのははまた出そうになった欠伸を今度は何とか隠す。
その隣で恭也もまた小さく欠伸を漏らし、兄妹揃ってうとうと夢現をさ迷う。
見晴らしもよく、心地良い風に木々の隙間から零れ落ちてくる木漏れ日。陽気の所為だけでなく、
遠くから聞こえてくる小鳥の鳴き声までもが、二人を夢の世界へと誘おうとしているかのようである。
久遠を起こさないようになのはは頭を恭也の足の上に乗せ、またも小さく欠伸を零す。
そんななのはの頭を優しく撫でてやり、恭也は欠伸を堪える。
と、久遠が不意に顔を上げて小さく一声鳴く。

「どうしたの、くーちゃん?」

なのはの言葉にもう一度鳴き、久遠は恭也の足から飛び降りるとキョロキョロと周囲を見渡し、
不意に走り出す。慌てたように恭也となのはもその後を追う。

「何か居たのかな」

「もしくは探しているのかもな」

なのはの問い掛けに返しつつ、恭也はこのままでは久遠を見失いかねないと判断してなのはを抱き上げる。
状況を理解してなのはも大人しく抱きかかえられ、二人して久遠の後を追う。
久遠は木々の間を駆け、茂みを抜け、まだ止まる様子さえも見せない。
その後を少し苦労しながらも何とか離されずに付いて行くと、不意に久遠が足を止める。
一体どうしたのかと尋ねようとした恭也であったが、目の前で久遠は一本の木に近付き、
その根元に鼻面を近づけてクンクンと匂いを嗅いだかと思うと、
そのまま根っこと根っこの隙間にぽっかりと開いた穴に飛び込む。
まさかそんな事をするとは思わなかった恭也は慌てて穴へと近付き、思ったよりも穴が大きい事に驚く。
なのはがどうしようという顔で見上げてくるのを感じつつ、恭也はとりあえず穴の深さを確認しようと顔を入れ、
咄嗟に携帯電話をライト代わりにして中を照らそうとする。
が、恭也が顔を入れた瞬間、確かにあった地面の感触がなくなり、気が付くと恭也は穴に落ちていた。
顔しか入れていなかったにも関わらずである。
穴の中は光が入ってきていないはずなのにぼんやりとだが視界が利き、すぐ傍にはなのはの姿も確認できた。
が、問題は今二人は落下しているという事実である。
それどころか、穴はどこまでの深さがあるのかまだ地面すら見えてこない。
不安そうななのはを抱き締め、無事に着地できるのかという不安を押し止めてその時が来るのを待つ。
やがてその時は訪れ、だが思ったよりも強い衝撃はなく、寧ろクッションを敷き、
そこに軽くジャンプした程度の衝撃しか受けず、けれどもバネのように恭也の身体は前方へと放り出される。
それにより足から普通に着地し、今の不可思議な現象を考えるよりも腕の中のなのはの安否を真っ先に確認する。
どうやらなのはも無事だったようで、先程の現象に目を丸めている。

「今のは一体何だったんだろうな」

「よく分からないよ。それにここは何処、お兄ちゃん」

なのはの言葉通り、そこは穴に落ちたにも関わらず上空には空が見え、一言で言うのならば草原であった。
二人してこの不思議な現象に首を傾げていると、目の前を子供の姿となった久遠が走って行く。
手には古めかしい懐中時計を持ち、時間が気になるのか時折、時計を見ては足を休めずに走って行く。

「くーちゃん、待って」

慌ててなのはが久遠の後を追いかけ、それに恭也も続く。
が、思った以上に久遠の足は速く、その後姿はどんどん小さくなって行く。
途中で恭也がなのはを抱きかかえ、先程同様に走る速度を上げたにも関わらず、その差は縮まらない。
やがて久遠の姿が視界から消え、恭也となのはの目の前に森が見えてきた。

「くーちゃん、この森に入ったのかな」

「多分そうだと思うが。一応、道もあるようだし」

恭也となのはは少し考えた後、久遠の後を追って森の中へと踏み出す。
歩きながら、二人は今の不可思議な状況について話し合うも、答えが分かるはずもなく、
とりあえずの目的を久遠を探し出す事にする。久遠なら何か知っているだろうと考えて。
こうして、恭也となのはの不思議な冒険が始まるのであった。



不思議の国の恭也となのはちゃん



   §§



「スターライトブレイカー!」

見慣れていたはずの光景に大きな違和感を覚える。
勿論、今が夜という事もあるだろう。
が、それを修正したとしても見慣れたはずの風景には違和感を抱かざるを得ない。
その大きな違和感を描くのは一人の少女。
その少女にも大変見覚えがあるのだが、そんな事よりも目の前の光景に恭也は言葉を失う。

「…………夢か」

そう呟きたくなるのも仕方ないだろう。
何せ、目の前で自分の妹が杖を手にし、こちらは見覚えのないなのはと同じ年頃の娘を海に叩き落したのだから。
その手段が杖による打撃だったのなら、まあ百歩、いや、一万歩ぐらい譲ってできなくもないかもしれない。
が、なのはは空を飛び、その攻撃手段として未知の技を使ったのだ。
霊力かと思ったが、どうも違うらしい。
その答えを連れの一人が淡々と教えてくれる。

「どうやら魔法のようじゃの。とは言え、あの様な術式など見覚えはないが」

「アルシェラさんも知らないという事は太古、第一世代の御技ではないという事ですね。
 ですが、現在の第二世代でもあのような術式は知りません。勿論、全てを把握している訳ではありませんけれど」

恭也の両隣に陣取ったアルシェラと沙夜の言葉にとりあえず頷きつつ、恭也は改めて周囲を見遣る。
この場に恭也たちが現れたのがほんの数十秒前だったのだが。
さっきまでは宮殿のような建物の中に居たのだが、どうやら無事に戻ってこれたと安堵したのが遠く感じられる。

「細かい部分までは流石に覚えては居ないが、間違いなくここは海鳴公園だよな」

「うーむ、そのはずじゃと思うが」

「もしかして、また違う世界なのでしょうか。それも、今度は沙夜たちが居た世界に限りなく近い」

目の前で自分が叩き落した少女へと手を伸ばすなのはを見て、恭也は自分の知る妹との違いに頭を抱えそうになる。
が、アルシェラがなのはの背後、夜空を見上げて警告を発する。

「なのは、頭上から何か来るぞ!」

アルシェラの声が届いたのか、なのははこちらを見て驚いた顔をし、続けて警告に従うように頭上を見上げ、
そこから雷が降り注ぐ。恭也たちが見守る中、なのははバリアのようなものでかろうじて攻撃を防げたようだが、
なのはの近くに居た少女はそのまま海に落ちてしまう。
恭也たちが事情も分からずに見詰める中、青い宝石が空に吸い上げられ消える。
後には救助した少女を抱えながら、こちらを見ているなのはと恭也たちだけが残された。
なのはが何か言おうとするよりも先に、恭也たちの目の前に空間に見知らぬ女性の顔が浮かび上がる。

「……これは」

「ふーむ、空間をスクリーン代わりにしておるのか?
 にしても、どんな技術じゃ」

「地球の技術ではないでしょうね」

困惑する恭也と好奇心を見せるアルシェラと沙夜。
そんな三人へと画面に映る女性は顔を動かす事無く、自ら名乗り恭也たちの同行を求める。

「いきなり見知らない場所への同行を求められてほいほい付いて行けと言っているが、どう思う?」

「そのようなお目出度い者が居るとは思えんのだがの」

「とは言え、今は何も情報がありませんし、何よりも沙夜たちの居ない間に何があったのか少しでも知りたい所です」

「なら、とりあえずは言葉に従ってみるか」

「そうじゃの。もし危害を加えようとしたのなら、こちらも実力行使に出るまでじゃな」

「その時はなのはさんを人質にされないように、真っ先に保護しなくてはなりませんね」

「それじゃあ、表面上は大人しく受け入れたという事で返事をしても構わないな」

恭也の言葉に二人が頷いたのを見て、恭也は改めて空中に浮かぶスクリーンへと向き直る。
そこにはやや表情を引き攣らせたリンディと名乗った女性の顔が今も浮かんでおり、

「えっと……内緒話をするのならもう少し小さな声でお願いできるかしら?」

何とも言えないという口調でそう切り出す。
それを聞き、恭也たちは改めて顔を見合わせ、

「どうやら、これは電話と似たようなものらしいの。
 とは言え、こちらが相談している間ぐらいは通話を一旦切るのが礼儀だと思うのじゃがの。
 おまけに勝手に盗み聞きしておいて、余たちが悪いと言っておるのだが、はて、どうしたもんだろうの」

「もしかして、自分たちの技術を沙夜たちが知っていると思っていたのでは?
 だとすると、納得できますが」

アルシェラや沙夜の言葉に謝るべきか悩み、とりあえずは謝罪しておこうとリンディが口を開こうとするのだが、

「二人ともそこまでにしておけ。
 どちらにせよ、なのはとも話をしたいし、提案を受け入れるのが一番早そうだ」

恭也が先に二人を諭し、あっさりと恭也の言葉に従う二人を見て本気で言ったのではないとリンディも悟る。
同時にクロノ辺りだとからかわれるだけかもしれないと、リンディはこっそりと溜め息を吐くのであった。

それから数分後、恭也たちの姿はアースラと呼ばれる艦の中にあった。
その一室、普段は会議室として使われている部屋で改めて自己紹介をしたのだが、

「へ? わたしは高町なのはで不破なのはじゃないよ。それに、アルシェラさんや沙夜さんも知らないし」

「……さて、沙夜の冗談半分で言った言葉が正解だったみたいだな」

「これまた困りましたわね。いつになったら、家に帰れるのでしょう」

「ほんに数奇な運命の元に生まれてきおったのぉ、恭也」

「……俺の運命が数奇な物なのは、あの人の息子として生まれた時からか、それとも人との出会いによる物なのか」

俄かに自分の所為ではないと言う恭也に二人は何も応えず、ただ肩を竦めるだけである。
恭也も答えを期待した訳ではないので何も口にせず、リンディへと還る手段がないか尋ねる。
異世界間の移動などが当たり前のように行われているらしい事から、少しは期待したのだが返って来たのは、

「残念ながら思いつかないわね。そもそも世界が多数あれど、同一人物は存在しないはずなのよ。
 それこそ夢物語とされる平行世界ね。
 私たちはあくまでも同次元に存在する異世界の存在は確認しているけれど……」

恭也たちのようなケースは初めて聞くと口にする。
唯一、手掛かりとなり得るかもしれないとして無限図書館という存在を教えられるが、
これは関係者以外は利用できないらしい。

「仕方ない、俺たちは俺たちで帰還する方法を探すとしよう」

「それしかありませんね。……アルシェラさん? 難しいお顔をされてどうしたのですか?」

「いや、なに少し考え事をな。先程聞いたジュエルシードだったか?
 あれはどんな願いでも叶えるのであろう。ならば、余たちの願いも叶えてくれるのではないかと思ってな」

アルシェラの言葉に期待を込めた目でリンディを見るも、リンディは無言で首を横に振り、
代わりという訳ではないだろうが、それまで黙った話を聞いていたクロノが話し出す。

「貴方がたの事情を理解しましたが、だからと言って封印指定のロストロギアの使用を認める訳にはいきません。
 第一、平行世界はこちらでもまだ実証されていない分類。
 幾らロストロギアとはいえ、平行世界の移動など可能かどうか。
 やって試してみるにはロストロギアは危険過ぎます」

クロノの言葉に納得するも、ならどうするかという問題に戻ってしまう。
限りなく元の世界に近いというのなら、それこそ帰還方法がある可能性も低い。
と、そこまで考えて恭也はふと思い出す。
そもそもの放浪の切欠となった一冊の書物。
それがこの世界にもあるのなら、と。どうやら、この世界は恭也たちの世界よりは一年ばかり過去になる。
だとすれば、可能性もなくはないはず。
当然、限りなくゼロに近い可能性ではあるが。
こうして、恭也たちは暫くこの世界の地球に留まるという選択を選ぶ。

「とは言え、先立つ物が全くないな」

「稼ぐしかないじゃろうが……。ふむ、なのはよ、余たちを雇わんか?」

アルシェラはそこに居たなのはへとそう持ち掛ける。

「ジュエルシードとやらの回収をするのであろう。どうじゃ?」

アルシェラの言葉に困ったような顔を見せるなのはと、足手まといになると言ってくるクロノ。
後者は完全に無視し、アルシェラはなのはをじっと見詰める。

「えっと……翠屋のアルバイトを頼むんじゃ駄目ですか?」

困り切ってそう口にしたなのはであったが、あっさりと否定される。
流石に恭也が止め、大人しく引き下がったアルシェラであったが、そこへリンディが話を持ち掛けてくる。

「これからプレシアの城に突撃するのなら、空を飛べなくても多少は活躍の場もあるでしょう。
 なら、私が雇いましょう。ただし、それなりの実力を示してもらう事が条件になりますけれど」

流石に恭也たちの状況を不憫に思ったのか、そう持ち掛けてくる。
ありがたいとばかりに引き受ける恭也たちに対し、クロノは最後まで反対するのだが、
艦長権限を持ち出されて最後には押し通されてしまう。
こうして、簡単なテストをする事となったのだが、結果は言うまでもなく、
それどころかアルシェラや沙夜の存在に興味を抱かれる事となってしまう。

「魔法を使う癖にこれぐらいで驚くんだな。
 その辺りの耐性はうちのなのはの方が遙かに上か」

「まあ、仕方あるまい。この世界の地球と余たちの地球が同じ歴史を辿ったかも分からぬしな。
 だとすれば、余や沙夜のような存在は珍しいのじゃろう」

「それ以前に、管理局の人たちまで驚いていたのはどうなんでしょうね。
 しかも、人を好奇の目で見てきて」

心外ですと怒る沙夜を宥めつつ、恭也たちは再び会議室へと戻って行く。
入るなり好奇心を隠そうともせず近付いてきた白衣の女性に殺気を放ち黙らせ、アルシェラが席に着く。
質問など許さないという態度にリンディさえも何も言えず、仕方なく恭也が話を切り出す。

「それで、改めて雇ってくれますか?」

「え、ええ。それに関しては問題ありません。
 それよりも、その二人は……」

恭也の切り出しに安堵しつつ、やはり聞かずにはいられなかったのかそう口にする。

「なのはも霊剣の存在すら知らないみたいだし、そう簡単に教えて良いものか悩みますね」

「そうじゃの。そもそも世界が違うのじゃから、気にするだけ無駄というものじゃろう。
 余たちは剣にもなれる、その程度の認識で問題あるまい」

「そうですわね。
 知った所でどうしようもないでしょうし、そもそも沙夜たちは恭也様以外には使われる気もありませんし」

三人して教える気がないと分かるとリンディは一つ息を吐き出し、質問を打ち切る。
恭也たちの背後で白衣を着た女性が残念そうな声を上げるも、恭也たちは綺麗に無視する。
かくして、恭也たちは当面の金銭を工面し、暫しこの世界に滞在する事になるのであった。
その目的となる一冊の書を探すという蜘蛛の糸よりも細い希望に縋って。

恭也と剣の放浪記 〜同一異世界〜



   §§



不意に感じる浮遊感。
先程まで感じていた足元にあった感覚がなくなり、明らかに外だと分かる風を感じる。
目を開けると同時に自分が落ちていると気付き、同時に自分目掛けて迫ってくる竜巻。

「ああ、また元の世界には戻れなかったんだな」

視線の先、杖を構えて突然現れた恭也を見て驚いている少年が目に入り、恭也は知らず呟く。
そこへ掛けられる声は酷く慣れ親しんだもので、

「恭也! 呆けておらんとしっかりせい!」

「恭也様、背後からも攻撃されてます!」

二人の言葉にそれぞれ反応を示し、両手に小太刀を握り、背後を横目で見れば、確かにこちらからは氷の塊が迫る。
どうも運悪く闘っている二人の間に入ったらしく、まさに二つの魔法がぶつからんとする中間点に恭也は居た。

「全くついてない!」

文句を言いつつ、左右に握ったアルシェラと沙夜を振り被り二人に尋ねる。

「いけるか?」

「勿論じゃとも。パワーアップした余の力を見るが良い」

「同じく。ただ請われるままに管理局に協力した訳ではありません。その成果をお見せしましょう」

自信満々に言い放つ二人に逆に不安になりつつ、恭也は迫り来る二つの魔法へとそれぞれの刃を振るう。
途端、竜巻はアルシェラの刃より生じた衝撃により切り裂かれ、氷塊は沙夜の刀身に吸い込まれて消える。

「「なっ!?」」

驚きの声がこの魔法を放った双方より上がるが、それは恭也もまた同様である。
パワーアップしたとは聞いていたが、それがこのような形であるとは始めて知ったのだから当然であろう。
精々が切れ味が増した程度に思っていたのだが。
空中に作られた一メートル四方の足場の上に立ち、恭也は改めて現状を把握するべく周囲を見下ろす。
遠くに大きな、それこそ今まで見た事もないような大きな樹が一本立っており、他には湖に浮かぶ小島。
暗くてよく見えないが、他にも建物が並び立っている。
と、空に浮いている少女がこちらを詰問する言葉が投げられ、そちらへと向き直ると同時に急に明かりが灯り出す。
その時になって恭也は気付いたが、今まで明かりが一つもなかったのだ。
停電でもあったのか、そんな事を思っていたからか、少女の問い掛けを無視する形となってしまった。
故に少女が更に声を荒げ食って掛かろうとしたその時、不意に少女の身体が落下する。
その下は川とは言え、かなりの高さがある。
恭也は考えるよりも先に少女へと向かって跳び、少女の手を掴む。
同時に足元に再び足場が作られ、その隣に呆気に取られたような顔の少年が杖にまたがり浮かんでいた。
何か聞きたそうな顔をする少年と、怒ったような顔の少女を見比べ、とりあえず恭也は聞きたい事を訪ねる。

「ここは何処ですか?」



魔法の世界から何とか帰還を果たしたと思いきや、そこもまた魔法の存在する世界であった。
行く宛てのない恭也は暫く、この地の責任者たる学園長の言葉に甘えて、ここ麻帆良に留まる事となる。
果たして、無事に帰れる日がやってくるのか。

恭也と剣の放浪記 〜ようこそ麻帆良学園へ〜



   §§



「はぁ、暇だな」

「暇、じゃな」

「暇ですね〜」

広々とした広間、天井までの高さは優に十メートルを超え、
左右にずらりと等間隔に大きな柱が入り口まで並ぶ様は威圧感さえ感じられる。
ステンドグラスのような物は一切ないが、それでも大聖堂と言われれば納得してしまう荘厳さがここにはあった。
が、ここに居る恭也たちにとってはそれがどうしたという気分であった。

「恭也〜、暇じゃし余と良い事をしようぞ」

「あら、暇潰しにされるのでしたらお止めになった方が宜しいですわよ、アルシェラさん。
 沙夜はそのような暇潰しではなく恭也様の為に」

広間とも呼ぶべき場所の最奥にあり、背後には上へと続く長い階段。
その数段上の段に腰を下ろす恭也を間に置いて、アルシェラと沙夜が火花を散らす。
最早、ここに辿り着いて何度、何十度となるやり取りにそっと溜め息を吐き、
それでも止めずにはおけないという事で恭也は二人を止める。

「はぁ、何でこんな事に」

「何でも願いを叶えるという世界樹でも流石に世界を超えるのは容易ではなかったようじゃな」

「だからと言って、このような場所に飛ばされた沙夜たちからすれば納得しかねますけれどね」

目を閉じ、今度こそ元の世界へと希望と願いを胸に抱いたのは何ヶ月前だっただろうか。
半年は経っていないはずだと思いながら、変わり映えしない景色に日数を数えるのを止めた事を少し後悔する。
まあ、数えていたとしても現状が打破される訳でもないので意味がないが。
ともあれ、数ヶ月前に閉じていた目を開けばそこは一面の白銀の世界だった。
軽装だった恭也たちが目に付く位置にこの建物を発見できたのは運が良かった。
神殿の様な建物に入り、今腰を下ろしている長い階段を上れば、
そこにはこの神殿で何かを待っているという二人の巫女に出会い、こうして滞在の許可まで得られたのだ。
ただし、その際にこの場所には他に町も村もなく、島である事。
この島を出るには船しか交通手段はないのだが、前者から当然船があるはずもない事を聞かされた。
早い話、恭也たちはこの島に閉じ込められたのである。
幸い食料だけは豊富に存在おり、食べる事には困らないのだが。
自力で船を作ろうにも、周囲は雪しかなく、また近い大陸でも数十キロと離れていて、
とても筏で渡り切るのは無理であったが。
つまりは自力で脱出する術がないのである。
絶望しかける恭也に、二人の巫女が希望を与えなければ流石に暫くは落ち込んでいたかもしれない。
その希望こそが勇者と呼ばれる存在であった。
どうやら、この世界は魔王が世界を支配しており、それを倒すべく勇者が旅に出ているらしい。
いずれ世界中に散らばるオーブを集めて、ここに来るはずだと聞かされたのだが。

「はぁ、ただ待つだけというのは本当に暇だな」

「鍛錬ばかりという訳にもいかんしのぉ」

「早く、その勇者さんとやらが来てくれないと困りますわね」

早い話、聞かされた勇者とやらが来るまで恭也たちは何もする事がないのだ。
ここがどういう世界かは聞かされたが、元の世界に戻る手掛かりは全く掴めていない。
それもまた恭也を焦らせる事の要因となっているのだが、何とか気を落ち着ける。
もう一つの気がかりとして、来たとしてもここから連れて行ってくれるかどうか。
魔王退治の途中で構わないから、適当な所に降ろしてくれるだけでも良いのだが。
そんな事を考えながら、階段を見上げる。
ここからでは最上階は全く見えないが、そこでは今も待ち続ける二人の巫女がおり、
滞在中に何度とその姿を目にして、今では簡単に思い描く事が出来る。
何せこの二人、日中はずっと同じ格好で祈を捧げているのである。
失礼な話だが、よく飽きないなと時間を持て余している今は痛感する。
と、その恭也の頬が右から引っ張られ、左腕にはチクリと小さな痛みが走る。
見れば、それぞれアルシェラと沙夜が恭也の頬を引っ張り、腕を抓っていた。

「すぐ近くにこのように良い女が居ると言うのに他の女の事を考えるとはな」

「恭也様、あまりにも無情でございます」

すっかりご機嫌が斜めになってしまった二人を宥めつつ、恭也は心底勇者の到来を待ち望むのであった。



恭也と剣の放浪記 〜そして伝説のお手伝い〜



   §§



「…………」

無言でじっとこちらを見上げてくる視線。
無愛想と表現するのが一番相応しい表情で、ただただじっと見上げてくる。
つられた訳ではないが、同じように表情を変えずにじっと見返す恭也。
その身長は優に一メートル以上はあり、普通なら泣き出しても可笑しくはない。
が、見詰められた者はやはり表情を変えず、ただじっと恭也を見上げてくるだけである。
暫し無言で睨み合い――当人たちにしてみればただ普通に見詰め合っているだけだが――、
このままでは埒が明かないと思ったのか、美由希が苦笑めいたものを浮かべて恭也たちの間に割って入る。

「二人して無言にならないでよ」

「で?」

美由希の言葉に返答というよりも明らかにそれは何だという視線を向ける。
それを受けて美由希は事も無げに返す。

「よく分からないけれど拾ってきたの」

「拾……いや、そこは良い。あー、一応、それは人、なのか?」

いまいち目の前に居る者が信じられないとばかりに尋ねる恭也。
何せ、目の前には五十センチ程の身長をし、両手両足をしっかりと持つ人の姿をしているものの、
その等身が明らかに二頭身であり、全体的にちょっと丸みを帯びて見える。
故に出た言葉であったが、美由希はそれに対して、

「うーん、よく分からない。まあ、細かい事は良いじゃない。
 それよりも何となく恭ちゃんに似ていると思わない? 全身黒だし。
 という訳で、キョーと名付けてみました」

「勝手に名付けるな!」

「えー、でもキョーって呼ぶと反応するし」

美由希の言う通りらしく、キョーと呼ぶと無言ながら反応を返す。
どうもそれを自分の名前として認識してしまったらしい。
頭を抱えそうになるのを堪え、恭也は改めて目の前のキョーをじっと見る。
やはり人とは思いにくいのだが子供でも通るかもしれない。
まあ、最初に恭也が入って来た時の信じられない速度を見ていなければ、だが。

「キョーは素早く動くのが得意みたいなんだよ。
 おまけに壁だろうが天井だろうが忍者みたいに普通に走れるし」

ああ、やっぱり最初のあれは見間違いではなかったのかと一人納得し、次いで心当たりに連絡しようとする。

「忍の可笑しな発明品だろう、どうせ」

「所が今回はそうじゃないのよね」

普通に背後から声を掛けられ、恭也が疲れた顔で振り返れば、そこには今電話しようとした忍の姿があった。

「ほら、私もこの子拾ったんだけれど、眼鏡にみつあみで美由希ちゃんに似てない?
 だからみゆみゆと名付けたのよ。で、この子、意外と凄いのよ。
 どうも自分だけじゃなくて触れている人の気配までも完全に消せるらしくてね」

忍の言葉に背後にいて気付かなかった理由が分かるも、それはそれで信じがたい話ではあった。
やはりお前の可笑しな発明じゃないのか。そう疑いの目を向けるも、忍は天地神明に誓ってそれを否定する。
それでも尚、疑わしそうに見る恭也に大げさに忍が嘆いて見せると、
腕の中で抱かれていたみゆみゆが忍の前にたんと飛び降り、精一杯両手を広げて忍を守ろうとする。
凛々しいというよりも愛くるしいその姿に、襲撃者たる恭也ではなく守護するべき忍に後ろから抱き付かれる。

「ああ〜ん、もう可愛い♪ 疑っているけれど本当に違うわよ。
 だって、この子は自動人形とかじゃないもの。ちゃんと中身も生物よ」

諦めてこういう種族が居るんだと納得しろと忍は付け加える。
流石に目の前に居るのに否定したりするつもりはなく、恭也も忍の仕業じゃないと判断するとあっさりと受け入れる。
それはそれでどうなんだろうと思わなくもないが、これこそが高町クオリティーだと忍は思うのであった。
みゆみゆは忍の抱擁から何とか抜け出すと、キョーの前までトテトテとやって来て恥ずかしげに頭を下げる。

「みゅーみゅー」

どうやら挨拶しているのだろう。
対するキョーはやはり無言のまま、小さく頭を上下に動かして応え、それに気を悪くした様子も見せないみゆみゆ。
そんなやり取りを頬を緩めながら見守る忍と美由希を置いて、恭也はリビングの入り口へと振り返る。
丁度、リビングへと入ってきたなのはは恭也と目が合い、慌てた様子で誤魔化すように笑う。
何となく感じるものがあったのか、恭也は牽制するように言う。

「うちでペットは飼えないぞ」

「分かっているよ。でも、それに近いかも。あのね、お兄ちゃん」

そこまで口にして、リビングにいるキョーとみゆみゆに気付く。
顔を綻ばせつつも困ったようなという複雑な表情を作り上げ、なのははおずおずと後ろ手に隠したものを出す。
見れば、四十センチ程の慎重に金髪の小さな女の子が抱きかかえられている。

「藤見台の所で一人で歌っていたの。帰る所とかもないみたいだし連れて来たんだけれど……」

声を小さくしながら言うなのは。
と、その腕の中にいた女の子は背中から小さな白い羽根を生やし、ふよふよと恭也の元へと飛んでくる。
真っ直ぐに飛ぶのは難しいのか、少し左右に蛇行しながらも何とか辿り着くと、そのまま恭也の胸に抱き付く。
どうやら気に入られたらしいのだが、恭也としては思わず姉を思い出してしまう。
そんな思考に嵌っている内に満足したのか、女の子はそのまま恭也の腕を伝い肩に登り、
そのまま頭の上にちょこんと身体を乗せると、そこが定位置だとばかりに鼻歌まで歌い出す。

「フィアちゃん、こっちにおいで」

今付けたのか、初めから付けていたのか、兎も角なのはがそう呼ぶも嫌々と首を横に振る。
拗ねたように恭也を見るも、恭也にしてみれば俺が悪いのかという心境である。
やがて、なのはも諦めたのか今度はキョーとみゆみゆに興味を示してそちらへと視線を向ける。
なのはも加わって三人でキョーとみゆみゆと遊び出すのを見ながら、恭也は疲れた溜め息をそっと吐く。
だが、この時はまだ思ってもいなかった。
これから更にこの不思議な生き物が増えるだなんて。



ぷちとらハ



   §§



結界。魔法が存在しない世界においても、この言葉を知る者は意外と多い。
古来より存在する言葉であるからだが、それが目に見える形ではっきりと認識できるのは数限られて者だけである。
ましてや、この世界に存在しないはずの系統となれば更に数は減り、
その中で何が起こっているかなどは当事者たちにしか分からない。
事実、少し前までは恭也も知る事のない方に分類されるはずであったのだ。
あの日、一人の使い魔と出会いデバイスを貰わなければ。
そんなくだらない事を思いつつ、恭也はグラキアフィンを手に目の前に立つ炎のような女性を見遣る。
鋭い眼差しは敵を射抜き、纏う空気は歴戦の戦士を思わせる。
手にしたデバイスは剣の形をしており、その振る舞いもまた騎士を名乗るのに相応しい。
純粋に剣術のみならば恐らくは恭也が上回る。が、そこに魔法が加わるとよくて五分。
これは恭也が全く魔法の運用をしておらず、グラキアフィンに頼っているからこそだ。
寧ろ、ここまで勝率を引き上げているグラキアフィンを褒めるべきなのだが。
実戦の経験もこれまた相手の方が上回っているだろうから、更に勝率は下がるだろう。
それが恭也が導き出した結論である。
事の起こりは突如発生した結界にあった。
その中になのはが閉じ込められたとの報告を受け、急遽、近くに来ていたアースラの局員と合流。
フェイトたちと共に結界へと飛び込み、襲われているなのはを助けに入ったのだ。
実際に敵の攻撃を受け止めたのはフェイトで、恭也は周囲を警戒していた。
そこに引っ掛かったのが目の前の騎士を名乗るシグナムである。
他にも守護獣を名乗る狼も居たが、そちらはアルフが対応している。
フェイトはなのはを襲った少女を相手取り、件のなのははバリアジャケットを再生する余力もないようなので、
今現在、近くのビルの屋上で休ませている。
改めて現状を確認していると、ユーノから結界を解除するまでの時間稼ぎを要求される。
長くは無理だと返し、少しでも時間を稼ぐために恭也は口を開こうとしたその時、胸に不意に腕が生える。

「……これは何だ」

【主様、そこはもう少し大き目のリアクションをしないといけないのでは。腕が生えてきたんですよ!】

グラキアフィンの方が恭也よりも慌てて告げる。
何せ主の胸から腕が生えてきているのだ。対する恭也は痛みも何も感じないために平然としているが。
故にこそ、グラキアフィンも慌てつつもある程度は落ち着いていられるのかもしれない。

「それでは改めて……なんじゃこりゃぁぁ! で、良いのか?」

【恐らくはそれで宜しいかと。確か、昔のドラマの台詞でしたよね】

「ああ、先日かーさんが懐かしいと借りてきたDVDでは確かこんな感じだったと思うが」

【流石、主様です。迫真の演技でした】

「あれで迫真の演技だったのか? 表情一つ変わってなかったように思うが」

思わず敵対しているシグナムがそう口に出すと、恭也は改めてグラキアフィンを構えてシグナムと対峙する。

「さて、それでは続きと行こうか」

「こちらとしては異存はないのだが……。その、お前は何ともないのか?」

腕を生やしつつ、それを気にしない恭也に思わず問いかけてしまう。
それに対し、やはり恭也は平然とした様子のまま、

「まあ魔法があるんだからこれも魔法の一つなんだろうな、と認識した。
 で、特に問題もないので続行しようと考えたのだが、やはり問題があるのだろうか。
 とは言え、この攻撃の意図を見出せない。確かに驚かせるという点では効果があるかもしれないが」

やせ我慢とかではなく、本当に何ともない様子の恭也にシグナムは念話で腕の持ち主へと話し掛ける。

≪シャマル、早くリンカーコアから魔力を抜き出せ。流石にこれ以上の引き伸ばしは無理だ≫

≪ご、ごめんなさい。あまりのやり取りに少し呆けていたわ。すぐに魔力を抜き出すからもう少し時間を稼いで≫

恭也と同じ分析を相手にしていたシグナムの僅かに焦りが見える念話に、こちらは幾分間の抜けた感じでそう返すと、
シャマルは取り出した恭也のリンカーコアから魔力を抜き出すために集中し、

≪へっ?≫

思わず間抜けな声を出してしまう。
当然、それはシグナムにも聞こえており、シグナムは恭也と対峙しながらシャマルに何かあったのか尋ねる。

≪その、魔力の抜き出しが終わったんだけれど≫

≪もう終わったのか? 随分と上達したじゃないか≫

≪そうじゃなくて、死なないように限界まで搾り取ったのに、
 一ページも埋まらないどころか、一行にすらならないのよ!
 たったの二文字しかないの! 何か細工している様子もないし、そっちの様子はどう?≫

≪至って普通だな。平然としている。魔力を行使した形跡もなければ、何か細工した様子もない。
 そもそもリンカーコアに細工のしようなどないと思うが。失敗したのではないか?≫

≪そんな事ないわよ。念のためにもう一度調べてみたけれど、確かに魔力が抜かれた状態になっているわ≫

≪だが、現に奴は空に浮いているぞ≫

≪それも信じられないけれど、見ていた限り魔力量は少なく見積もってもAAに匹敵する程だったのよ。
 でも、この量だと下手をしたらFすらないわよ。魔力なしとしか言えないわよ≫

FとはそもそもEランクにすら届かないランクという事である。
つまり、魔力が僅かでもあればそれはFランクになる。が、あまりにも少ない場合は、魔力反応なしとなる。
下手をすれば、その魔力なしの状態だと告げるのだが、当然シグナムとしては信じられる訳がない。
とは言え、どんなからくりだとしても、リンカーコアから魔力を抜き取ったのだ。
つまりはシャマルの言の方が正しく、それを読み違えると思えないぐらい長い付き合いだしシャマルを信頼している。
困惑するシグナムに構わず、恭也は慎重に様子を伺い、

≪主様、目の前の敵よりも先にこの腕の持ち主を何とかした方が良いかもしれませんね。
 分析の結果、この腕の主はリンカーコアを抜き取ったようです。
 これは今まで魔導師が襲われて昏倒した事件の元凶ではないかと推測できます≫

グラキアフィンの言葉を受け、恭也はすぐに行動に移る。
とは言え、単に胸から生えた腕を両手で掴んだだけだが。

「掴まえた、と言えるかどうか分からんがこれで良いか」

慌てて暴れ出す腕を押さえ込む恭也に、シグナムが襲い掛かる。
その攻撃を辛うじてかわしながら、恭也は腕を掴む手に力を込める。
と、その頭上にふと影が射し、

「おまえら、何を遊んでいるんだー!」

叫ぶなりハンマーを振り下ろす少女。しかし、恭也は既に気配からそれを察しており、大きくその場を跳び退く。
が、シグナムとヴィータ二人がかりの攻撃に流石に腕を掴む手の力が緩み、一瞬の隙を付かれて腕が消える。

「逃がしてしまったか」

悔しそうに呟く恭也の前で、シグナムとヴィータが慎重に距離を計りながらデバイスを構える。

「おめぇー、一体何者だ。
 リンカーコアから魔力を取られてピンピンしているだけじゃなく、未だに魔法を行使しやがって。
 非常識にも程があるだろう」

「敵対する者にまで非常識などと言われるとは。しかも、当たり前のように空を飛んでいる子に言われるとは。
 俺から言わせれば、そっちの方が非常識だと言うのに。
 そもそも、ピンピンしているというのは語弊がある。何故か分からないが、若干とはいえ疲労を感じているんだ。
 まあ、動けないほどではないがな」

「ふざけてるのか? って、邪魔するなシグナム」

恭也の言葉に激昂するヴィータを片手で制し、シグナムは恭也へとレヴァンティンの切っ先を向ける。

「落ち着け、ヴィータ。彼の者は自身を剣士と言った。ならば、それが答えなのだろう」

「言葉遊びしている訳じゃねーだろうが」

「そうだな。だが、現実として目の前で魔力を抜かれたにも関わらずに宙に足場を作り、そこに居る。
 ならば、後は何の問題もない。全ては叩きのめしてから調べるなり何なりすれば良いだけだ」

「そう簡単にさせると思うか?」

「簡単にはいかないかもしれないが、こちらとしても負けるつもりはないんでな」

不適な笑みをわざとらしく浮かべグラキアフィンを構えれば、シグナムもまたレヴァンティンを構えて笑みを見せる。
ヴィータのバトルジャンキー共がという呟きを流し、二人は互いの得物を振るう最善のタイミングを計る。
が、不意にシグナムの脳裏にシャマルの警告の念話が届く。
直後、結界を破壊する大きな砲撃が放たれる。見れば、この混戦の発端となった少女が屋上でデバイスを構えている。
つまり、自分たちは完全に少女――なのはの事を忘れていたという事である。
確かにダメージを与えてはいたが、これは失策と言えるだろう。
シャマルにしても恭也の件で驚き、目をつけていた魔力の多いなのはのリンカーコアを蒐集できなかったのは痛い。
なのはに匹敵すると思った恭也の魔力の蒐集も出来たらと欲をかいたのが失敗だった。
だが、それも仕方なかったかもしれない。片やいつでも抜ける程度には痛みつけられて動きの鈍い少女。
片やシグナムと剣術においては互角に渡り合う自称、剣士が動きを止めて隙を見せている。
両方の魔力を欲した時どちらを先にするかなど相談するまでもない事だ。
とは言え、今回はそれが裏目に出てしまったのは確かである。後悔するにしても後にするべきだろう。
シャマルはすぐに探索魔法に対する処置を施し、全員に撤退を提案する。
それはリーダーであるシグナムの了承によりすみやかに行われる。若干一名は多少文句を言いつつも従う。

「剣士よ、再び合間見えたその時は」

「ああ、思う存分にやりあおう」

逃げるシグナムたちを見送り、恭也は結界を破壊して疲労からか倒れたなのはの元へと向かう。
こうして、恭也たちとヴォルケンリッターたちの最初の邂逅は引き分けというような形で幕を閉じたのだった。



リリカル恭也&なのはA's 嘘予告



   §§



「なんちゃってみかみりゅう〜、ざん!」

道場内に可愛らしい声が響く。
が、そんな声とは裏腹に繰り出された攻撃は中々に鋭く、対戦していた美由希は後ろへと跳び退る。
三十センチ足らずの身長から繰り出される攻撃は予想以上に受け止め難い。
故に殆どの攻撃を躱す事でやり過ごす。
が、これまたフェイにゃんの予想以上に素早い攻撃と的の小ささ故に反撃し辛い。

「ぬき〜」

「残念だけれど、それは貫になってないね」

言いながら後ろへと下がる美由希に向かい、高町家の新たな居候、フェイにゃんは動きをピタリと止め、
両手を口元に当てて潤んだ瞳でじっと見上げると、

「美由希お姉ちゃん、抱っこして」

甘えた声に思わず美由希が抱き付いて来ようとした所へ右手を振るう。

「ふぎゃっ!」

左手の甲に感じた痛みに思わず声を上げて持っていた木刀を手放してしまう。
痛みで正気に戻った時には、既にその喉元に木刀が突きつけられていた。

「う、うぅぅ、あううぅぅぅ」

背後から感じる呆れと批難混じりの視線に冷や汗が知らず流れる。
怖くて振り向く事が出来ない美由希の目の前でフェイにゃんは勝利の喜びを全身を使って素直に現す。

「なのはに教えてもらった、なんちゃってみかみりゅう、ぬきもどきはすごいよ〜♪」

くるくると踊るように舞うフェイにゃんの頬を緩めそうになりつつ、美由希は覚悟を決めてゆっくりと振り返り、

「あれは卑怯だよ! 誰だって引っ掛かるよ!」

恭也が何か言うよりも先に言い訳を始める。

「恭ちゃんだってきっと同じ結果になるはず!」

力説する美由希の視界の隅で、桃子から買い与えられた携帯電話を取り出し、フェイにゃんはなのはへと電話する。

「なのは、なのは! なのはの言ったとおりにしたら美由希さんに勝ったよ。
 恭也さんには通じなかったけれど、なのはの言うとおり美由希さんには通じたよ」

策を授けてくれたなのはに嬉しそうに報告する。
その内容を聞いて美由希は恭也をじっと見詰める。

「恭ちゃん、あれをやられても普通に攻撃したんだ。
 鬼畜だね。って、いたっ!」

「たわけ。引っ掛かるお前の方が可笑しいんだ。
 そもそも鍛錬をして欲しいといってきたのはフェイにゃんなんだ。
 だったら、ちゃんとやらないと困るのはフェイにゃんだろうが」

「それはそうなんだけれど」

普段はなのはと同じようにフェイにゃんにも甘いくせに鍛錬になると容赦がない。
理由は勿論分かっているのだが、それでもあの攻撃に平然と反撃できるのが信じられないと恭也を見るのだが、

「寧ろ、俺は今までお前を甘やかしてしまったのではないかと思ってしまったんだが」

「あ、あははは。そんな事はないよ、うん、絶対にない」

恭也の言葉にあっさりと恭也を責めるのを止め、何とか宥めようと必死になる。
その傍らで、フェイにゃんは大きな達成感を感じながらふ〜、と一息つくように汗を拭い満足そうな顔をしていた。
それを視界の隅に捉えて頬が緩む美由希の額に鋭い痛みが走るのはすぐ後の事である。
こうして、恭也や美由希に時折鍛えられ、フェイにゃんは目的の為に日々努力しているのであった。



フェイにゃん 〜とある鍛錬の風景〜



   §§



それはいつものように何にもない日常の放課後の事であった。
これまた、いつものように部室に集まった俺たちがそれぞれに活動していると、我らが団長様がやおら立ち上がり、

「あー、もう本当に暇よ!」

何に腹を立てたのかは知らないが不機嫌さを隠そうともせずに机の上であぐらをかく始末。
そもそも暇ならばいつものようにネットサーフィンでもしていれば良いだろうに。

「それも飽きたから言っているんじゃないの」

左様ですか。そんな俺の知ったこっちゃない、そう言えたらどんなに嬉しい事だろう。
ハルヒの様子を呆れ混じりに眺め、そのまま知らん振りできればどれだけ良かっただろうか。
しかし、とある事情によりそれは出来なかった。
まあ、早い話がハルヒを覗く全員が俺を見てきているのだ。
久しぶりに原点に戻ろうという事で引っ張り出してきたオセ……と、リバーシの方が良いのか。
まあ、それをやる為に向かい合って座っている古泉もにやけ顔を少し引き攣らせてこちらを見てくる。
見るんじゃない。俺には男と見詰め合う趣味なんぞない。
かと言って、分厚いハードカバーの本から視線を上げ、こちらを無表情に見てくる長門と見詰め合いたい訳でもなく、
編み物を中断し、おろおろとしつつ涙目で見上げてくる朝比奈さんと見詰め合いたい……合いたい……。
朝比奈さんとなら見詰め合っていても良いかもしれんが、それはこんな状況でなければだ。
まあ、何が言いたいかというと、皆が俺に一つの事を求めているという事だろう。
はて、いつの間にそんな役割になっちまったんだろうな。
そんな愚痴を飲み込み、俺は仕方なしに、そう本当に仕方なし二仏頂面のハルヒに話し掛ける。

「で、暇だから叫んだのは良いが、また何か企んでいるのか」

「企んでいるって失礼ね。考えているでしょう。
 まったく、平団員が何も考えずに日々を怠惰に過ごすから変わりに団長の私が考えてあげているというのに」

今のはもしかして笑う所なのだろうか。
本当に考えるだけで雑用は全部押し付けやがってと怒鳴る所か。
それとも皮肉を込めて礼でも言うべきなのだろうか。
割と真剣にどうでも良い事を考えつつ、もう一度ハルヒへと何を考えているのかと形を変えて尋ねる。
勿論、出来れば何も考えてくれるなという思いを込めてだが。
それを団長様が読み取ってくれるかどうかははっきりといって無駄以外の何者でもないのだが。
何せ思いついたらすぐに動くという奴なのだ。
が、どうやら今回はそうでもなかったようで、ハルヒの奴は別にとアヒル口で詰まらなさそうに頭を掻く。
どうでも良いが、スカートであぐらはどうかと思うぞ、うん。
そんな俺の心の言葉が通じるはずもなく、ハルヒの奴は本当につまらなさそうな顔で天井を見上げる。
ふと周りを見れば、長門は既に興味をなくしたのか再び本へと視線を落とし、
朝比奈さんは明らかにほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。
が、古泉だけは小難しい顔を崩しておらず、考え込むように指先を顎に当てる。
次の手にそんない悩んでいるのだろうか。

「いえ、別の事を考えていまして。
 何も思いついていないというのが、逆に危険な状況にならないかと危惧したまでで。
 知っての通り閉鎖空間の発生条件には涼宮さんの心情が反映されます。このまま退屈さを感じ続けるとなると……」

近い内に何とかしなければいけませんね、といつもの笑みを見せて言う。
まあ、その辺りは任せる。出来れば俺は不参加の方向で頼む。

「またまたご冗談を」

冗談などであるか。偶には休ませて欲しいと思ってもバチは当たらんと思うがね。
ハルヒの今の状況を多少不味いと思いつつ、今の所はどうする事も出来ないと俺たちはいつもの日常に戻る。
いや、戻るつもりだったのだ。
不意にハルヒが机から飛び降り、両手を上げて叫ばなければ。

「あーもう、本当に退屈だわ!
 未来人、宇宙人、超能力者、いい加減に私の所に来なさいよね!
 この際、異世界からでも大歓迎よ!」

その言葉にまたしても三人が緊張した面持ちでハルヒを見る。
かくいう俺もやや緊張した顔をしていたのだろうがハルヒを見詰める。
にしても、また無茶苦茶な事をいう女である。異世界から来たらそれは異世界人だろうに。

「いえ、それは少し論点がずれてませんか」

古泉が呆れたように言うが、その顔はこれ以上はないというぐらいに緊張したものである。
朝比奈さんなどは手を組んでまるで祈るようしているではないか。
長門は正直、いつもと変わらないようにも見えるが、やや視線が鋭い。
思わず固まった俺たちをハルヒは不思議そうに見るも、すぐに興味を無くしたのか鞄を手にすると、

「今日は帰るわ。あんたたちも適当に解散していいからね」

などと勝手な宣言をして部室を後にする。
知らず緊迫した空気となった部室の中で、真っ先に俺が大きな息を吐いて力なく椅子に座り込む。

「はぁー、特に何も問題なかったようだな」

「そうですね。閉鎖空間も今の所は発生していないようですし」

携帯電話を取り出し、そこに何の連絡も入っていない事を確認する古泉。
その言葉に朝比奈さんは腰が抜けたように座り込み、そのまま机に突っ伏す。
長門も再び読書に戻るかと思ったのだが、本に落とした視線をすぐに上げ、

「……あ」

小さな声を上げる。珍しくそこには困惑のようなものが見て取れた気もするのだが。
何はともあれ、長門のその小さな一言に全員が再び緊張を走らせて身構える。
一体、何が起こったのか。それとも起こっていないのか。
知らず手を握り締め、長門の言葉を待つ。
さほど間をおかずに長門は喋り出す。

「さっき、中国の喀什(カシュガル)に宇宙から飛来した物がある」

おいおい、宇宙人が本当に来たって事か。
俺の言葉に長門は首を縦に振り、続けて横に振る。どういう事だ?
あ、宇宙から何かが落ちてきたってだけで宇宙人ではないという事か。

「違う。あなたたちの言葉で言うのなら宇宙人で間違いない。
 ただし、違う次元世界からの来訪」

えっと、それはつまりあれか。ハルヒの奴が言っていた異世界から宇宙人って事か。
俺の言葉にコクリと頷いてくれる長門。って、とんでもない事態じゃないのか。
しかし、何故に中国に?

「その異なる次元世界から来た生命体はその世界ではBETAと名付けられた生命体で、
 大よそ人類にとって友好な存在ではない。その世界の未来で人類は滅亡への未知を歩みつつある」

って、何気にとんでもない事じゃないか。
見れば古泉の顔もはっきりと分かるぐらいに引き攣っており、朝比奈さんに至っては真っ青を通り越し、
いつ倒れてもおかしくないぐらいだ。
そんな俺たちに構わず、長門は淡々とその知的生命体について説明してくれる。
……聞けば聞くほど絶望を感じずには居られないのだが。
幸い、ハルヒの現実主義的な部分もあってか今は休眠状態になっているのが幸いらしいが。
それもいつかは目覚めるらしい。
その間に中国がそれを滅ぼしてくれれば良いのだが、どうも周囲にも気付かれないようになっているらしい。
落ち着いて語る長門が今ばかりは恨めしいんだが。とは言え、悪いのは長門じゃない。
長門は単に事実を述べているだけだからな。とは言え、これは機関でどうにかできるのか。
何となく古泉を見れば、困ったように肩を竦める。となると頼りは長門となるのだが。

「……今度はここに来る」

長門を見ればそんな事を口にする。
まさか、そのBETAとかが来るのか。少々腰が引けながらも尋ねれば、長門は首を横に振る。
とりあえずは胸を撫で下ろすか、と思った矢先、ハルヒの机の引き出しが勢い良く開く。

「ただいま、のび太くん……? あれ?」

今度は青い喋る狸が登場した。って、何故に机の引き出しから?

「僕は狸じゃない! こう見えても未来のネコ型ロボットなんだ!」

こう見えてと自分で言っている辺り、多少は猫に見られないという自覚があるのだろう。
とは言え、聞き逃せない単語があったぞ。思い長門を見れば、小さく首肯する。

「別次元の未来人」

正確にはロボットなんだが、そんな細かい事はどうでも良い。
本当に勘弁してくれという気持ちで困惑を見せるロボットに今事情を説明するからと落ち着いてもらう。
正直、言って信じてもらえるかどうか。
いざ、説明をと思ったところでいつの間にか立ち上がっていた朝比奈さんがお茶とお茶請けを差し出す。
ロボットなのに食べれるのかという心配も、お茶請けのドラ焼きを出した途端にあっさりと解消した。
当の本人、いや、本ロボットか、この場合。しかし、可笑しな言葉だな。うん、ここは本人で良いか。
まあ、ロボット自身が自分から好物だと手に取り、その大きな口に放り込んでくれた。
思わずまじまじと見詰めて居ると、古泉が小難しい顔をして口を開く。

「見事に宇宙人、未来人が来ましたね。となれば、次は……」

超能力者という訳か。幾ら俺でもここまで来ればそれぐらいは分かる。
だから、その良く出来ましたと親が子供を見るような顔は止めろ。
そして、その予想通り、目の前の何もないはずの空間から行き成り男女二人が現れる。
一人は全身をやや暗めの服装で身を包んだ同じか少し年上ぐらいの男。
もう人は女性でこちらは白を基調とした服装に流れる金髪の美しい女性。
普段、朝比奈さんを見ている俺でも思わず魅入ってしまうぐらいに綺麗な女性である。
が、その背中にはよく絵などに描かれる天使のような白い翼が生えていた。

「……えっと、ここは何処かな?」

戸惑い気味に女性が言葉を発し、続けて男性の方が女性を庇うように前に立つ。
思ったよりも鋭い視線で部室を見渡し、

「ここは何処でしょうか?」

女性と同じ事を聞いてくる。
あー、説明する手間が省けて助かったと取るべきか、こうも続けて呼び込むなと文句を言うべきか。
勿論、後者をハルヒに出来るはずもなく。俺はとりあえずは三人(?)に事情を説明するのであった。



で、話を聞いて分かった事は、女性の名前はフィアッセさんと言い、男性が高町さんという事だ。
超能力というか、正確にいうと病気らしいのだがハルヒが呼んだのは間違いなくフィアッセさんだな。
と俺一人が納得していると、古泉の奴が疲れた顔をしつつも何故か笑みを見せ、

「これはこれは。どうやら異世界からあなたと同じく一般人の方も来たようですね。
 これはあれですかね、あなたのポジションも呼び込んだと見るべきか、単に異世界人を呼んだと見るべきか。
 中々に興味深いものです」

古泉も相当この事態に疲れているのだろう。言葉の端々に疲れが滲んで見える。
が、異世界人という時点で一般人と称して良いのかは疑問だ。まあ、古泉の言いたい事は分かるがな。
つまり、おまえたちみたいな変な能力がないという事だろう。
……そんな事を思っていた時期が私にも確かにありました。
いや、寧ろハルヒに関係なく鍛錬のみでそこまでやるこの人の方を、
思わず異常だと思ってしまった俺を果たして誰が責められようか、いや責められまい。
まあ、かくして可笑しな事態に俺たちはまたしても見事に遭遇する事となったのであった。

涼宮ハルヒの異世界からいらっしゃい



   §§



「…………すまん、今何と言った?」

「だから、部活に入ろう思って」

高町家のリビング。
今そこで驚いた顔をした恭也という珍しいものが展示されていた。
その作品を作り上げた美由希は、そんな珍しい光景も気にせず、恐る恐るといった具合でもう一度尋ねる。

「どうしてもって頼まれて。駄目だったら断るけれど」

「いや、別に部活をするなとは言わない。
 ただ、お前が口にした部活名が少し意外だったんで驚いただけだ。
 と言うか、お前が誘われたという事でも二重の意味で驚いた」

「何よ、それ。でも、別に駄目って訳じゃないんだよね」

恭也の言葉に笑いながら、ようやく肩の力を抜いて美由希は言う。
それに対し、恭也はやや大仰な素振りで頷き、

「ああ、別に良いんじゃないか。新しい友人も出来たみたいだし、良い事だと思うぞ。
 まあ、これが料理部だと言うのなら全力で止めた上に、お前に声を掛けた子に小一時間程、
 自分がどれだけ危険な事をしようとしたのかと説明する所だが」

「って、何よ、それ!」

流石に今度の言葉は聞き流せるような物ではなかったのか、美由希は講義の声を上げる。
が、当然ながら恭也は平然としたまま、

「塩と砂糖を間違えるのは毎度のこと。
 なのに味見はしない、満足にレシピ通りに作れないくせにすぐにアレンジしようとする。
 時折、食材じゃないものまで気付かずに混入する。さて、これらは誰の事だろうな」

「うぅぅ……。弁解の余地もないです。
 け、けれど言い訳させてもらえるのなら、滅多にしないから……」

「だったら尚の事、変なアレンジなどしようとせずにレシピ通りに作れ」

「あう」

反論するもそれも封じられ、美由希は力なくソファーに沈む。
そんな美由希を呆れ混じりに眺めつつ、恭也は内心では少し嬉しさを感じていた。
美由希にまた新しい友人が出来た事。そして、その友人から一緒の部に誘われ、それを前向きに検討したと言う事に。
最初は聞かされた部活名に少し驚きもしたが、積極的に取り組むのは良いことだ。
恭也は一人納得すると、まあ頑張れとだけ声を掛けてやる。

「それにしても……」

その上でしみじみと選んだ部について思うのであった。



翌日の放課後、美由希は新しく友人となった少女と共に部室へと向かっていた。

「うぅぅ、緊張する〜」

「そんなに緊張しなくても大丈夫だって美由希」

「そうは言うけれど初心者なのに本当に良いのかな」

「先輩方にもそれは伝えたあるから大丈夫。
 その上で是非って言ってたし。まあ、すぐに緊張とは無縁になるとは思うけれど……」

「え、それってどういう……」

「着いたわね。それじゃあ、美由希からどうぞ」

美由希が尋ねようとするも部室の前に着いてしまい、背中を押されるままに扉の前に立たされる。

「え、でも、こういうのは先に部員である……」

「そうなんだけれど、多分先輩たちの事だから美由希が来るのを今か今かと待っていると思うの」

押されるまま美由希は扉へと近付き、ノブに手を掛ける。
このままではドアとキスしてしまいかねないと悟り、美由希は緊張したままドアノブを回す。
扉を開けて中へと一歩踏み入った瞬間、パンと乾いた音が響く。
思わず身構えた美由希であったが、すぐにその頭に紙テープが張り付き、呆然としたまま正面を見れば、
そこには先輩なのだろうか、四人の少女たちがクラッカーを手に満面の笑みを浮かべていた。
若干、一名ほどは呆れたような顔をしていたが。

「梓〜、梓はこっちこっち」

美由希をここまで連れて来た少女を呼び、五人となった少女たちは改めて美由希と向かい合う。
梓に声を掛けた少女が咳払いを一つし、せーのーの掛け声の後に声を揃える。

『ようこそ、軽音部へ』

歓迎された美由希は恐縮したように頭を下げて自己紹介をする。
既にクラスメイトである梓を除いた四人の名前を教えられ、簡単な自己紹介を終えると唯が軽く背伸びし、

「うーん、自己紹介も終わった事だし……」

「あ、練習するんですね。えっと、私は今日は見学って事で良いんでしょうか」

「違うよ、みゆにゃん」

「えっと……そのみゆにゃんっていうのは?」

「あだ名だよ。可愛いでしょう、あずにゃんと同じだよ〜」

「あ、あははは」

困ったように梓を見るも、すぐに視線を逸らされ、全身から諦めろという空気を出してくる。
どうしようもないのかと美由希は肩を落とし、あっさりと諦める事にする。
が、心の中では絶対に家の者には知られないようにしようと固く誓うのであった。

「それじゃあ、美由希ちゃんの席も用意したからここに座ってね」

言われていつの間にか座っていた梓の隣に椅子が置かれ、肩を押されるように座らされる。

「琴吹先輩、見た目以上に力が……」

「私の事はムギで良いわよ」

「あ、いえ、でも……」

「はい、呼んでみて。サンハイ」

「ム、ムギ……先輩」

「はい、よく出来ました〜。ご褒美に今日は美由希ちゃんから選んで」

「え〜、ずるいよ〜」

「そうだ、ずるいぞムギ」

美由希が目をパチクリさせている間にも事態は進み、唯や律が文句を口にする。
意味が分からずに困惑していると、それを違う風に受け取ったのか、澪が二人を注意する。

「二人ともいい加減にしないか。
 第一、今日は美由希の歓迎も含めているんだから、美由希が先に決まっているだろう」

澪の言葉に冗談だよと声を揃えて返す二人を見ながら、美由希はやはりまだ事態を飲み込めていなかった。
そんな美由希の困惑をやはり違った意味で捉えて謝ってくる澪に手を振り気にしてない事を伝えると、
テーブルの上にケーキの入った箱が置かれる。

「ふふふ、さあ好きなのをどうぞ」

「えっと……」

ようやく事態を理解するも思わず紬を見返してしまう。
が、紬はただ首を傾げ、

「もしかして嫌いな物しかなかったかしら?」

「いえ、そうじゃなくて……えっと、頂きます」

梓に助けを求めれば、気にせず選べと返される。
別にそういう事を気にした訳ではないのだがと思いつつ、歓迎会だと言っていたしとケーキを一つ選ぶ。
その後、梓たちも好きな物を選び、その日はそのまま話をして解散となった。
帰り道、唯たちと分かれて梓と二人で歩きながら今日の感想を聞かれる。

「えっと、面白い先輩たちだったかも」

「あー、うん、確かにそれは否定できないかも。
 でも、ああ見えて演奏したら……あー、律先輩はよく先走るし、唯先輩は楽譜を読めないし。
 で、でも、不思議と一つになっているというか」

「あー、うん、とりあえず落ち着こう」

「ご、ごめん」

「ううん、良いよ。先輩たちのこと好きなんだね」

「なっ! そ、そうじゃなくて、私はただ美由希がやめるとか言わないかと」

「あははは、流石に今日の今日でそれはないから安心して。
 それにあの梓にそこまで言われるんだからちょっと楽しみかも」

「うぅぅ」

美由希の言葉に顔を赤くさせて俯く梓。
それを微笑ましく見ながら、美由希は自分は何の楽器を弾くことになるんだろうと考えていた。
翌日、歓迎会が終わったにも関わらず、同じようにお茶会が開かれ、楽器は好きな物にしたら良いと言われ、
美由希は只管戸惑う事になるのだが、それはまだ少しだけ先の話である。



「で、どうなんだ部活は」

「楽しいよ。特にムギ先輩の持ってきてくれるお茶やお菓子はもう最高!」

「……軽音部なんだよな?」

そんな会話が兄妹間で繰り広げられる程に美由希が馴染むのも、そう遠くない未来である。



けいおんハ〜ト



   §§



ゆっくりと意識が浮上していく感覚が、これから目覚めるのだと恭也へと教える。
俄かに取り戻しつつある意識の中、殆ど無意識に自身の体をチェックして異常を確認する。
続けて武装の確認を動かない体ながらも感触や重さから計る。
が、これはまだどうも上手くいかずに後に回す。
次に周囲の気配を探るべく感覚を鋭くする。
それらを数秒で終える頃には意識もはっきりと覚醒し、恭也は静かに目を開ける。
最初に飛び込んできたのは天井で、作りとしては少し昔の和風建築の様相が見出せる。
どうやら地面に倒れているのではなく、どこかに寝かされているようできちんと布団の中にいた。
顔だけを動かして周囲を見渡せば、襖に障子の張られた引き戸、畳の上に敷かれた布団と和室の姿を見せる。
体を起こして周囲に気配がない事を確かめて体を見下ろせば、自分の最後の記憶にある服装とは違う格好をしている。
当然ながら背中に隠すように背負っていた二振りの小太刀を始め、隠しポケットなどに忍ばせておいた暗器の類もない。

「全ての武装を解除されたという事か」

誰かは知らないが当然の事であろう。
見ず知らずの行き倒れを見つけ、手を差し伸べるような者だとしても武装をそのままにはしまい。
寧ろ、そんな武装を見て尚、こうして助けてくれた事に感謝するぐらいである。
そんな事を考え、恭也はここがどこなのかという疑問を今更ながらに思い出す。
数日前、どれだけ気を失っていたのかは分からないが、仮に一日程度だとしたなら四日前の事になる。
知り合いの警察関係者、さざなみ寮に居る二人の魔王の片割れから連絡が入ったのはその日の二日前。
依頼の内容自体は護衛と言うある程度、経験したものであった。
が、今回は少しだけ変わっていて、恭也以外にも依頼された人物が居た。
その人物は恭也もよく知る神咲那美その人で、恭也は思わず首を傾げてしまった程である。
退魔を生業としている家の者とは言え、護衛は素人である。
そんな那美がリスティから依頼されたというのだから。
だが考えればすぐに分かる。那美に依頼するという事は今度の仕事は退魔絡みであると。
そうなると、護衛対象は那美になるのだろう。
そう結論を出したのだが、これもまた簡単にリスティによって否定された。
どうやら今回の護衛は少々ややこしい事態になっているらしく、襲撃者が霊かもしれないとの事であった。
つまり、人であったのなら恭也が、霊障であったのなら那美がという事だ。

「確か依頼を引き受けて、人里離れた山の中まで行ったんだったな」

多少あやふやになりそうだった記憶を掘り起こし、恭也は口にしながら自分自身整理を行う。
昔は信仰のあった神社が建っていたとすら言われる山の中にある屋敷へと赴き、仕事に就いた所までは問題ない。
一日目は何事もなく過ぎ、二日目の夕刻に事件が起こった。
結果として、今回は霊障であると判断されて那美が無事にそれを祓ったのも覚えている。
問題はここからだ。念の為にと周囲を探索した恭也の感覚に何ともいえない引っ掛かりを覚え、そこへと向かった。
そこで眩暈のようなものを感じ足がふらついた所で、またしても可笑しな感覚を覚え、咄嗟に小太刀を振り抜いた。
その後、激しい眩暈を感じて地面に手を着き暫くして、眩暈が治まったと顔を上げたら、
さっきまで居た山の中ではなく竹林の中に居たという訳である。
そこからずっと歩き続け、流石に空腹と精神的肉体的両方の疲労から倒れたのである。

「で、気付いたらここに居たと」

訳の分からない事に巻き込まれるのには慣れたと冷静に現状を把握し、
またそう出来てしまう己の境遇に思わず溜め息の一つも吐きたくなる。
が、それを飲み込んでこちらへと近付いてくる気配を感じて大人しく待つ。
程なくして控え目に声が掛けられて扉が開けられると、入ってきた主は恭也が目覚めている事に多少驚きつつ、
さして問題ないとばかりに恭也の傍に座ると、その腕を取り脈を取る。

「大丈夫のようね。まあ、単なる疲労だったみたいだし後は食べる物を食べれば問題ない」

「そうですか、ありがとうございます。それで、行き成りで申し訳ないのですが、ここは何処でしょうか?」

恭也に問い掛けられた長い髪を一つに纏めてみつあみにした女性は恭也を一瞬だけ見詰め、

「まさか迷子だったとはね。ここは迷いの竹林とも呼ばれているわね。
 迷子なら里まで戻れるかどうかも分からないだろうから、後で連れて行ってあげるわ。
 偶々、今日は薬を販売しに行く予定だったから、話はしておく」

助かりますと頭を下げつつ、恭也は里というのは何なのかと尋ねる。

「…………はぁ、どうやら姫の予想が正解だったなんて。どうやら、あなたは外の人間のようね」

「外、と言うのは?」

恭也の言葉にどうしたものかと考えたのも一瞬で、女性はここが何処なのか説明してくれた。
幻想郷と呼ばれる人と妖怪が生存している世界だと。

「では、俺が戻る方法は」

「さあ? それよりも、どうやってここに来たのかを私が知りたいわ。
 また何かの異変が起こる前触れでなければ良いけれど」

恭也としても何故ここに居ると聞かれても答える事が出来ない。
気付けばここに居たとしか言えないのだから。
本来なら特別に里まで案内してやってお終いであったのに面倒な事にならなければ良いなと女性はこっそりと思う。
が、現実とは大抵がそういった理想を裏切るように出来ているらしく、
今の外の事に興味を抱いてしまった一人の少女により、恭也の滞在が許される事となったのである。
恭也としてはその気紛れに救われ事になったのだから、その少女、輝夜と名乗った姫には感謝するしかない。
一方、恭也と話をしていた女性、永琳は面倒事が起こらないことを祈りつつも姫の決定には従うしかなかった。



「見た事もない盆栽だな」

「これは優曇華と言って月の都にしかないのよ。だから恭也が知らなくても仕方ないわ」

帰る手段を探す傍ら、話し相手や、

「鈴仙さん、こちらは全て売れましたが」

「こっちも今、終わりました。師匠の薬はこれで完売ですね。それじゃあ、帰りましょう」

手伝いなどをしていく内に永遠亭の者たちと少しずつ親しくなっていく恭也。

「ちょっと気づき難かったけれど、異変が起きているようね」

が、それも束の間の事。妖怪の賢者が小さな異変に気付き、事態は動き出す事となる。

「直接の原因は違うけれど、多少はその人間も今回の異変に関わっているみたいね。
 目覚めてしまった能力、あらゆるものを斬る程度の能力の所為で今回の異変は起こり、
 そして幻想郷と外との境を切ってしまった事で、こちらに来てしまったのでしょう」

原因の一端が自身にあり、目覚めた能力が少しは役に立つかもと言われ、恭也は事件解決に手を貸す事に。
果たして、無事に事件を終結に導く事ができるのか。

東方Xとらハ 〜小さな異変〜



   §§



「そこから先は全くの未知の世界。
 行ったは良いけれど、戻って来れると言う保証は一切なし。
 まさに一方通行の片道切符。それでも君は行くんじゃね」

国守山の山頂付近、これから夜を迎えるという事もあるが、元より私有地であるここには関係者以外は立ち入れない。
その地にありて行われたのは神咲の秘術。
それにより生み出されたのは波一つない水面のように澄んだ高さ二メートル、横幅一メートルばかりの楕円形。
厚さは殆どなく、横から見れば紙一枚が宙にあるように見えなくもないといったもの。
神咲の秘術と言ったが、正確には元よりあった残滓を再構築し、神咲の術にて少しに時間だけ補強したもの。
故に元々の効果がきちんと発揮されるのかは不明で、まさに出たとこ勝負である。
しかも、先の説明通りにこれを潜れば戻ってこれると言う保証もない。
それでも恭也は行く事を止める訳にはいかなかった。
大事な家族の一人が不意に姿を消したのが数日前。
始めは悪戯かと思われたが、半日経っても連絡がないとなると悪戯ではないと誰もが思った。
悪戯で周囲を驚かせる事はあるものの、心配させる事はないというのが共通した認識だったからだ。
失踪した人物はフィアッセ・クリステラ。
幸いな事は世界を回るコンサートを終え、海鳴へと顔を出した時だった事だろうか。
今では世界中の多くの人に知られる存在となったフィアッセが失踪などと知られれば、マスコミが騒ぎ出しかねない。
こうして、恭也たちが知り合いの力を借りて探すこと二日。
もたらされた情報は少々信じ難い事であった。
即ち、こことは異なる世界へと飛ばされた。
一笑するような戯言とも取れるような話だが、恭也を始め全ての者がすんなりとその言葉を信じた。
その手の事を幾つか経験したという事と、それを口にしたのが神咲薫と綺堂さくらの二人という事で。
そこで更に詳しく調べた結果、事故が故意かは分からずともフィアッセが巻き込まれたらしい現象の元を見つけ、
僅かに残った残滓とも呼ぶべき物をどうにか再構築した結果が今、恭也の目の前にあった。

「何度も注意したけれども、その先は本当に未知の世界。
 分かっているのは、この世界と似たような環境で人が普通に生きていく事は可能という事だけ。
 文明や進化なども含め、他の事は何も分かっとらん。くれぐれも気を付けて」

薫の言葉に頷くと、恭也は装備を多めに淹れたバックを手に持つ。
その隣に並ぶ美由希もそれよりも少しばかり大きめのバックを手にする。
フィアッセの救出へと向かうこの二人を、桃子たちは不安を押し殺して見送る。

「恭也、美由希、ちゃんとフィアッセを見つけて帰って来るのよ」

「ああ、分かっている」

「すぐに見つけて帰って来るから」

桃子の言葉に二人揃って返し、目の前の楕円形の入り口へと踏み出す。
その先に待つ未知の世界へ向かって。
二人が踏み出し、その姿が消えたと同時にその場に強大な力の渦が巻き起こる。
それに真っ先に反応したのは薫とさくら。続けて忍と那美が反応する。
始めはきょとんとしていた他の面々も、不意に感じられる圧力に体を強張らせる。

「この巨大な力は何?」

声を上擦らせる那美と無言で高町家の前に立つ忍とノエル。
一方、このような状況下で最も経験を持っているであろう薫とさくらは何故か呆然として立ち尽くす。

「この力をうちは前にどこかで……」

「はい、私も何故か一度会った事があるような気がします」

二人してそんな事を口にするが、あまりにも力の大きさにすぐに気を引き締める。

「とりあえず、皆さんは急いで山を降りてください。
 これだけの力なら、きっと耕介さんも気付いているはずです」

「私たちはその間、ここでこの力の主を食い止めるわよ、忍」

鋭く周囲を見渡しながら、薫とさくらが構えたその時、力の流れが一気に変わる。
二人が動くよりも早く、力は今しがた恭也たちが消えた扉の中へと飛び込んで行き、扉が消え去る。
後にはさっきまでの威圧感が嘘だったかのような静寂さが残される。

「……何、今のは」

「……って、恭也たち大丈夫なの!?」

呆然としていた忍が那美の言葉に我に返ってその危険性を口にする。
一方、薫とさくらはすれ違った力と共に一緒に飛び込んだ優しい気配を感じ取っていた。

「季節外れの雪……」

「神咲先輩も、ですか」

二人して脳裏に僅かばかり浮かんだ情景に首を傾げる。
が、もう一つの気配を思い出すと、多分大丈夫だろうとやや楽観的な考えが浮かんでくるのであった。
どちらにせよ、この場に居る者たちにはもうどうしようもないのは変わらない。
ならば、少しでも安心させてあげる方が良いだろうと、二人は心配ない事を教えるのだった。



「……さて、美由希」

「あまり良い予感はしないけれど、何かな、恭ちゃん」

二人して息を潜め、言葉を交わす。
少し前に異世界と注意された世界へと来たばかりの二人には、ここがどのような世界なのかは分からない。
分からないが、今の現状だけは嫌でも理解できた。
ゆっくりと恭也は隠れていた岩陰から顔を出し、まだ自分たちを探しているらしいソレを目にする。

「俺たちの目的はフィアッセを見つけ出して無事に連れて帰る事だな」

「うん、そうだよ。何を今更」

「だとすれば、ここで取れる選択肢は、一つ、お前が囮となって俺が逃げる。
 二つ、お前が注意を引いている間に俺がこの場を去る。
 三つ、お前が食べられている間に俺がフィアッセを探す。
 このどれかだと思うが、どれが良い。選ばせてやろう」

「どれも嫌だよ!」

恭也の言葉に思わず突っ込むも、ちゃんと声は抑えている。
岩陰に隠れたままでも、ぐるるという唸り声は聞こえてくる。
見たくないと思いつつも、恐怖からか思わず岩陰から顔を出して今どこに居るのかと見ようとすれば、

「…………」

「ぐるるるぅぅぅ」

「……あ、あははは、どうもこんにちは。本日はお日柄も良く……」

ばっちりとソレと目が合い、美由希は場違いな挨拶を始める。
それを隣で感じ取り、頭を抱えたくなるのを堪えて美由希の腕を掴むと岩陰から走り出す恭也。

「バカか、お前は」

「そんな事を言われても! 目が合って混乱したんだもの」

「くっ、こうなったら本当にあの案を実行するしか」

「や、やめてよ!」

「流石に冗談に決まっているだろう。とりあえず、逃げるぞ。
 今の段階でアレに刀が通じるとも思えん」

言って逃げる恭也に並走する美由希も全くの同意見だった。
見るからに固そうな鱗。その鋭い爪だけで自分の体の半分はあるだろうと思わせる大きな手。
その手に見合った巨体に怖いほど縦に瞳孔の開いた瞳。
突き出た顎はワニを彷彿させながらも、その大きさ牙の大きさなどは桁違いである。
まさか話の中にしか出て来ないような想像上の生物に出会えるとは。
これが襲ってこないのなら、美由希もしみじみと異世界だなと感心する所なのだが、
如何せん、今はその生物に自分たちは食料と見なされている最中なのだ。
そんな暢気な考えなど出来る筈もない。

「潜り抜けた先が行き成りドラゴンの足元ってどう思う、恭ちゃん?」

叫びつつ気を紛らわせるためにも尋ねてみれば、恭也もまたそれに返してくれる。

「理不尽だな。これも全てお前の日頃の行いだ」

「寧ろ、私じゃなくて自分だと思わないの!?」

「思わん!」

そんなやり取りをしつつ斜面を登っていく。
舗装もされていない山肌剥き出しの道。隠れるような木々もなく、片側は見事な崖となっている。

「何処まで逃げれば良いのかな?」

「とりあえず、向こうに見える森か林か分からんが、そこまで走れ!」

恭也が指差すのは二人の前方に見えてきた緑の群れである。
あそこならば自然の障害物も増え、振り切るなり隠れるなり出来易くなる。
問題は、そこまで逃げ切れるかだが。
ふと後ろを振り返れば、結構追いついて来ている。

「でかい図体のくせに、思った以上に早いよ!」

「一歩のリーチが違うと言うのもあるが……」

二人して不満を口にしつつ、懸命に足を動かす。
やがて、ギリギリの所で森へと辿り着いた恭也たちは、木を利用してどうにかドラゴンと距離を開ける。
とは言え、ドラゴンの方はあまり気にせずに真っ直ぐに突っ込んでくるのでそれなりに苦労はしたが。

「…………近くには居ないみたいだな」

「よ、良かった〜」

木の根元に腰を下ろし、美由希は本当に安堵した表情を見せる。
その隣に腰を下ろした恭也もまた、あまり変化は見えないが安堵する。

「それにしても、ここはどんな世界なんだ」

「せめて人が居てくれると良いんだけれどね」

二人して前途多難な事を痛感しつつ、フィアッセの心配をするのであった。
更なる災難が、同じ世界から二人を追ってやって来て、すぐそこまで迫っているなど思いもせずに。



フィアッセを探して異世界に



   §§



夜中、ふと目が覚めた恭也は音もなく上半身を起こし、周囲を見渡す。
そこが見慣れた自室であると分かると、小さく嘆息を漏らし、

「はぁ、またか」

そう呟かずにはいられなかったその声には、相当の疲れや達観が見えた。
そのまま眠る気にもなれず、そもそも眠気などとうになくなっており、布団に体を倒すとぼんやりと天井を見上げる。

「今回は結構、良かったと思ったんだがな」

少し思い出すように遠くを見詰めた後、何か忘れているような気がして思考に耽る。
程なくして、何を忘れていたのかを思い出すと、恭也は静かに起き上がり部屋を出て行く。
途中、桃子の部屋に寄って毛布を持ち出すと、そのまま足音を消してリビングへと向かう。
真夜中を過ぎた時間にも関わらず、僅かに開いた隙間から明かりが漏れているが、
それを不審にも思わずに恭也はただ足音もなくリビングへと踏み込む。
そこには何度も見慣れた光景が映っており、恭也はやっぱりという思いでそっと近付く。
テーブルに突っ伏し、お酒の入ったグラスを片手に握り締めたまま眠る桃子に持ってきた毛布をそっと掛けてやる。
桃子の前には士郎の写真が入った写真立てが置かれており、その前にも申し訳程度に注がれたグラスがある。
よくよく見れば、桃子の頬には涙の跡も見える。
そんな光景を見ながら、恭也は起こさないように電気を消すと、入った時と同じように静かにリビングを出て行く。
再び自室に戻った恭也は確認するように隠すように置かれた小太刀を手に取る。

「八景……」

幾度となく共に死線を潜り抜けた自らが振るい続けた小太刀の名を確認するように呟き、すぐに元に戻す。
恭也は布団の上に胡坐を組むと、再び思考に耽る。

「今回は確か……、青山さんの依頼を果たす為に神咲家の力を借りる事までは出来たんだったな。
 が、古に封じた鬼が復活して、那美さんを庇ったまでしか記憶にないという事は、それが死因か」

奇妙な事を口にするも、それを聞く者は誰も居ない。
勿論、恭也も分かっているからこそ口に出して自らの記憶を整理していたのだが。
でなければ、夜中に自室で独り言を口にする危ない小学生になってしまう。
思わず浮かんだくだらない考えを自嘲し、次に自分の体を確認する。

「やっぱり小さくなっているな。時期は今まで同様に父さんが亡くなって葬儀も済んだ一ヵ月後。
 無茶な鍛錬を始めようとした瞬間か。
 そして、例によって理由は分からないが今までに鍛えられたものは蓄積しているようだな」

理屈は分からないながらも、自分が過去に取ったあの無茶な鍛錬を悔いていたという事だろう。
だからこそ、この日を何度も繰り返すのではないかといつか考えた事があったな。
恭也は自らの思考が堂々巡りになる前に打ち切り、布団に横になる。
そう、高町恭也は何の因果か人生を幾度となくやり直しているのだ。
死んだと思った瞬間には、この日に戻りまた日々を繰り返す。
始めは驚き、困惑したものの死の間際の夢かと思ったものだ。
が、それも十を超える時には何の嫌がらせかと思うようになった。
どうやっても死なないのなら、大きく歴史を動かしてみようと思い、色々と試した事もあった。
更には自分のこの状況を解決するべく、那美経由で神咲家へと協力を求めた事もある。
普通ならば信じてもらえるような話でもなく、どうにか信じてもらえたとしても解決策などは見つからなかった。
諦めて美由希の鍛錬や、自身の鍛錬のみに励んだ事もあったし、やけになった時もあった。

「今にして思えば若気の至りとも言えるか」

そう呟くと目を閉じる。
既に達観してしまった頃もあったが、まだ希望が残っている事も分かった。
この世ならざる力。それを頼るべく、ここ数回はそういった力を持つ者を探し回ったものだ。
その甲斐あってか、手掛かりらしきものは掴めた。
まだ解放されると決まってはいないが、何百回と繰り返した果てに手に入れた僅かな希望。
だが、時期としてみるならばまだ未来の話だ。
その為に幾つかしなければならない事もある。
まずは自身の鍛錬。これは今までの積み重ねが残っているので問題となるのは体が小さくなったという点である。
が、既に繰り返している今では体が多少縮んだ程度の修正など一日もあれば事足りる。
次に美由希の鍛錬。教えない事もあったし、徹底的に鍛え上げた事もあった。
今までに色々と試したが、今回もまた美由希の意志に委ねる事にする。
そして、やっておかないといけないのが留年である。
これをしないと忍との縁が作り難い。尤も、その場合も色々と方法はあるのだが。
一応、恭也の中で仲の良い知り合いと呼べる者たちの手助けは今回もしたい所だ。
そんな事をつらつらと考えている内に、ようやく睡魔が戻ってきたのか恭也を夢の世界へと誘う。
それに抗う事無く身を委ね、恭也は眠りに落ちるのだった。

とらいあんぐるハ〜ト3 外伝 〜ループする魂〜



   §§



「…………」

「…………」

静寂が耳に痛い。
そんな環境に自分が置かれるなど思いもしなかったが、現在、恭也はそのような状況下にあった。
とある学園の学園長室。一般の学園長室よりも広いのではと思わせる広さを持ち、
執務机の他にソファーがテーブルの一方に置かれ、対面にはテレビまで完備されている。
その学園長室の中にあり、恭也はさっきから一言も喋らないでただ立ち尽くす。
自分から口にするような事はない為なのだが、一向に進みそうもないなと思わず思い、改めて周囲をこっそりと窺う。
この部屋に居るのは恭也を含めて五人。
内二人は少女で、一人は高齢とも取れる男。残る一人は恭也とさほど変らない二十歳そこそこの男である。
この中で最も年下に見える少女は足を組み、唯一席に着いており、その隣に高齢の男性が立つ。
顎鬚を撫でながら、困ったような顔をしている。
対する少女は不機嫌そうな顔で何も言わず、高齢の男性を睨むだけ。
残ったもう一人の少女は状況が飲み込めていないのか、
ただおろおろといった様子でこの場に居る者たちへと忙しなく視線を動かす。
が、このままでは進まないと判断し、座っていた少女――実は彼女がこの場で最も偉い学園長なのだが――が、
表情そのままに不機嫌そうに口を開く。

「で、もう一度言ってみろ」

と、青年に問いかければ、その言葉に内に潜む力強さに気付いたのか恐る恐るといった様子で口を開く。

「ですから、彼、高町は俺と今まで一緒に居たんです。
 急に先生が呼び出したので、どうも一緒に巻き込まれてしまったようで」

「はぁ、アシュリー、これはお前のミスだ。私は知らん」

「おいおい、アリス。全てをわし一人に押し付けるつもりか?
 お主が急かしたからこそ碌な確認もできなかったんじゃぞ」

「知るか。幾ら急かされようと安全の確認を怠った時点でお前の責任だろう。
 仮にも大賢者なんだ、何とかしろ」

「そうは言われてものぉ」

「あ、あのー」

二人で勝手に進む話に付いて行けず、おずおずと少女が手を上げて発言を求める。
学園長の無言の視線に促され、少女は恐る恐る口を開く。

「一緒に来てしまったってそれが問題だと言うのでしたら、そのまま帰って頂いたら良いのでは。
 勿論、ここまでとそこまでの運賃はこちらでお出しして」

恭也に申し訳なさそうにしつつも、この場で最も有効だと思えた意見を口にしたのだが、

「残念ながらそう簡単にはいかないんじゃよ。まあ、その辺りは今は良いとして……。
 しかし、本当に困ったものだ」

「はぁ、この場でそれを言っても始まらんだろう。
 この際、この学園に止めておくしかあるまい。それよりも、さっさと事情の説明を始めろ」

「それしかないか。とりあえず、勝手ながらこちらの説明からさせてもらうぞ」

「えっと、はい」

アシュリーと呼ばれた老人がそう断りを入れて話し出す。
アシュリーから聞いた話を纏めると、魔王が復活しようとしているという事らしい。
何でも昔勇者と呼ばれる存在が七つのパーツに分けて封印したのだが、それが解けるとの事。
事実、国軍は壊滅したという知らせもあったらしい。
そこで政府は勇者の子孫であるカズマ、この場に居た青年の身柄を要求。
魔王を倒すには勇者の力以外では無理との理由からだが、学園側はこれを拒否したらしい。
勇者の力をこの場に居た少女に受け渡す方法があり、それで魔王と戦うという方法を取る事で。
あらかたの事情を説明し終えると、カズマと少女は退室を促された。
その方法を聞いてから顔を赤くして言葉少なくなった二人を送り出し、恭也は二人と向き合う。
正直、その方法の是非を問いたい部分もあったが、完全な部外者である以上、何も言う事は出来ないからだ。
それが顔に出たのか、アリスは少しだけ面白そうに唇を上げるも、すぐに元に戻すと、

「さて、問題はお前の方だな、高町」

「ですね。大体の話はランセットからここに来るまでの道中で聞きましたが」

「どの程度聞いておるかね」

「ここが俺の居た世界ではない事。ランセットは元々、この世界の住人で勇者の子孫である事。
 その力を操れない事から暴走する危険がないマナの少ない俺の居た世界で暮らしていた事ぐらいですね。
 後はさっき話された魔王という存在が居るという事でしょうか」

「そうか。では、話を戻すがお主を元の世界に戻す事はできる、できないで言うのならばできる」

「その言い方でしたら、何か問題があるようですね」

「中々察しが良いではないか。あの小僧よりも話が早そうで助かるな。
 アシュリー話してやれ」

「やれやれ、途中で遮るのなら最後まで言えば良いだろうに。
 世界間を移動する魔法は禁呪として存在しており、それをわしは扱える。
 尤も他の者たちはそんな魔法すら知らんからわし以外には知っておる者自体がおらんじゃろうが」

「政府はそんな世界があるという事すら知らんからな」

「はぁ」

恭也はとりあえず生返事に近い返事を返す。
その上で話の続きを促し、それに答えて再びアシュリーが話し始める。

「じゃが、問題なのはその魔法に掛かるマナの量じゃな。
 今すぐどうこうできるものではないし、少なくとも魔王との戦いが終わるまではできる限り温存したい」

「つまりだ、小僧。お前を元の世界に返すのは全てが片付いてからという事だ。
 異例ではあるが、今回の非はアシュリーにあるし、それまでの生活に関しては一応保証してやろう。
 だが、当然ながら無償で与える訳にはいかん。
 この禁呪の事も他の世界の事も口外できん以上、お主の存在をここに止める理由も必要になるからな」

「さしあたり、カズマの補佐という名目になるだろうの。
 とは言え、こちらの事を知らぬ高町ではそれにも限界があるぞアリス」

「だろうな。全く面倒な事ばかり積み重なってくれる。
 あの小僧の話を聞く限りでは、あちらの世界は平和のようだし、さて、何をさせるか。
 まあ、それは追々アシュリーが考えるだろうから、お前は邪魔せんようにさえしてくれれば良い」

「わしが考えるのか。まあ、良いが。とりあえずは急ぎ部屋を用意させるとしよう。
 それまではここに居てくれ。という訳で、アリス後は頼んだぞ」

「こら、待てアシュリー! って、本当に行ったのか。はぁ」

アリスは長い髪を掻き上げ面倒くさそうに息を吐く。
じろりと恭也を睨み付けるも、恭也としても面倒を掛けているとは思うものの完全な被害者だ。
それでも文句を言わずに口を閉ざすと、アリスはそれ以上は何も言わず、学園長室に静寂が再び訪れる。

「…………ええい、ぼさっと突っ立てないで適当に座れ」

目障りだといわんばかりに手を振られ、恭也はソファーに腰を下ろす。
異世界とは言え、そう大きな違いは見られず、他に鑑賞するものもなく恭也はすぐに飽きてしまう。
居心地の悪さを感じつつ、恭也は早くアシュリーが戻ってきてくれる事を切に祈るのであった。



カスタムハート



   §§



何処までも広がるのは緑の絨毯。
そよ風を受けて揺れる風景はのどかで、それだけでも心を癒してくれる。
草原の上空に広がるのは、これまた何処までも続く青い空。
そこに色を添えるのは白くたなびく雲。
こちらもまたそよ風に流されながら、ゆっくりとその姿を変えていく。
本当にのどかな景色と言えるであろう。
尤も、ここに立っている恭也の心がそれで癒しを得ているのかと聞かれれば、即座に否定の言葉を口にするだろうが。
ぽつんと草原に一人立ち、恭也は行くあてもなく空を見上げ、暇を持て余す。

「本当にろくな事にならないな」

初めから嫌な予感はしていたのだが、今回は大丈夫だろうと高をくくったのが間違いだったか。
それとも、珍しくなのはや美由希までもが一緒であり、且つ賛同した事によって判断を誤ったか。
どちらにせよ、恭也はこうしてまた忍の巻き起こした騒動に巻き込まれた訳だが。

「……はぁ、まだか」

ぽつりと零れた声はすぐさま掻き消え、恭也の待ち人の姿は未だに見えない。
ただ立ち尽くすのも馬鹿らしくなり、どうせ向こうが見つけるだろうと体を倒して寝転がると空を見上げると、
ぼんやりと事の起こりを何となしに思い起こすのだった。



それは一本の電話から始まった。
と言うには大げさな話で、単に長期休暇で暇を持て余した忍からの遊びの誘いだった。
こつこつと作っていたゲームが完成したという事で、仕事の桃子を除く高町家全員でお邪魔したのが午後一のこと。
月村邸に着くと、そこには那美や久遠も呼ばれてきており、ろくな説明もなしに地下へと連れて行かれる。
そして部屋に入るなり見せられたのが天井すれすれまで高さのある頂点に行くほど細くなって行く塔のような機械。
そこから伸びた幾本ものコードは、塔を中心に円形に配置された12個の人が入れそうなカプセルへと繋がっており、
少し離れた位置には大型のコンピュータが壁に沿って並んでいる。
この時点で嫌な予感を抱きつつも恭也は静観する事を決め込み、逆になのはたちは興味深そうに機械の周りを回る。

「……で、これは?」

「ふっふっふ。バーチャルゲームの筐体といった所よ。
 そうね、恭也にも分かる様に説明するなら、これでゲームの世界に入るみたいな間隔で良いわよ」

忍の言葉になのはや晶、レンといったゲームをする者たちは更に目を輝かせ、
逆に美由希などは過去の発明品を知っているだけに思わず機体から離れる。
それらの反応を眺めつつ、忍は胸を張って更に続ける。

「まあ、物は試しって事で早速やりましょう。
 操作はそう難しくはないわ。基本的な動作は運動する感覚で勝手に動くから。
 後は追々説明していくわ」

強引にカプセルに入らせようとする忍に対し、恭也や美由希は渋るものの、他の面々が既にカプセルの中へと入り、
恭也たちが位置に着くのを待っている状況を見て、仕方なしに恭也と美由希もカプセルに入り込む。
カプセルの中で寝転がると、半透明のカバーが蓋をする。
恐らくは耳元にスピーカーでもあるのか、そこから忍の声が聞こえてくる。

「で、ゲームのジャンルはRPGって所ね。何をするのかは自分たちで調査していく事になるから。
 ちなみに、普段の運動能力を考慮して、ちょっと初期値を弄ってあるから」

「初期値?」

忍の説明に疑問を口にする恭也を含め、忍は全員へと説明を続ける。

「そうそう。いつもいつも恭也や美由希ちゃんばかりが戦闘では強いんじゃ面白くないじゃない。
 だから、色々と数値を弄ってあるのよ。
 簡単に言えば、恭也や美由希ちゃんは普通に殴り合いをしたら村人と互角かそれ以下の能力に設定しているって訳。
 逆になのはちゃんとかの能力値は高くしてあるわよ」

そんな訳だから、初っ端から町の外に一人で出るのはやめておきなさいと恭也と美由希に言い放つ。

「さて、それじゃあ、後は実際にプレーしながら追々説明していくわ。
 ノエル、スタートさせて」

忍の声に応え、ノエルがゲームを起動させる。
カプセル越しに重い音が響き始め、徐々に視界が白くなっていく。
そして、いよいよゲームがスタートするというその時、

「あっ!」

ノエルの声がして、あっという間に意識が途切れた。
そして気が付けば、草原に一人立ちつくしていた訳である。
そんな恭也の耳と言うよりは頭の中に直接ノエルの声がしたのは数秒とせずにである。

「大丈夫ですか、皆さん」

ノエルの声に問題ないと返す恭也だが、他の者の声は聞こえない。

「皆さんの無事をこちらで確認しました。ですが、少々問題が発生したようです」

言って、ノエルは現状を説明し始める。
簡単に言えば、魂、もしくは精神だけがゲームの中へと入ってしまったと。
恐らく、戻るにはこのゲームをクリアしなければいけないだろうと。
原因は忍がこっそりと叔母の家から持ち出した材料である事までノエルは解析していた。
と言うよりも、その叔母に連絡して救出方法を尋ねたらしい。
忍には後で話があると伝えておいてと言われたと口にした後、

「とりあえず、私は外から皆さんのサポートをさせて頂きます。
 現状、一番街に近いのは美由希様ですね。城島様とレン様が比較的に近くにいます。
 恭也様の近くには忍お嬢様が、神咲様と久遠様、なのは様は皆さんバラバラの位置に居ます。
 とりあえず、美由希様は街に行かれる事をお勧めします。そして、恭也様はその場から動かないでください。
 その平原は敵との遭遇はないので安全ですが、そこから出ると遭遇してしまいます。
 そして、恭也様の能力値ではまず負けてしまいます」

こうして、恭也は忍が来るまでひたすらに待たなければならなくなったのだ。
幸いな事になのはの能力値は非常に高く設定していたらしく、今の所は安全との事である。
寧ろ、一番危険なのが自分であると言われ、終いにはなのはにまで心配されてしまったらしい。
らしいと言うのは、ノエルとの会話は出来ても他の者たちとは会話できず、そうノエルに聞いたからだが。
因みに、持ち物を確認した所、何一つ持っていなかった。
どうやら、ここでも色々と差があるらしく、他の者たちは回復の為のアイテムや最低限の装備があるらしい。

「……………………」

「やっほー、恭也、お待たせ♪」

「…………」

暢気な笑顔で覗き込んでくる忍に抗議するかのように無言で睨みつけてやるも、忍は涼しい顔で受け流し、

「返事がない。ただの屍のようだ」

「はぁ」

忍の反応に恭也は深々と溜め息を吐くと体を起こす。

「お前への説教は後にするとして、これからどうすれば良いんだ」

「とりあえず、この平原を出て少し先に街道があるからそこまで行くわ。
 そしたら、後は街に向かって美由希ちゃんと合流ね。残念ながら、他の人たちはもっと先の地域にいるみたいね。
 順番的には那美かフィアッセさんが次に合流って所ね」

そう言って歩き始める忍の後に続くと、途中で忍が振り返る。

「そうそう、モンスターが出てきても恭也は後ろで見てなさいよ。
 今の恭也は現実とは違ってあまり役に立たないんだから。まあ、偶にはこういう経験も良いもんでしょう」

「ごめんこうむりたい所ではあるがな」

何故か楽しそうな忍に苦々しく返しつつも、恭也は大人しく忍の言葉に従うのであった。



――無事に帰る為に、



街の外れに人だかりが出来ており、近付くと聞き覚えのある歌声が聞こえてくる。

「あら、やっぱりフィアッセさんだった」

「あはは、フィアッセは何処に行ってもやっぱりフィアッセだね」

吟遊詩人よろしく、琴を手にしつつも楽器は一切使わず、ただ己の声のみで歌うフィアッセを見て、
美由希は笑みを零しながら言う。その意見に同意しつつ、恭也はフィアッセの無事に胸を撫で下ろすのであった。



――各地に散らばった仲間たちを探しながらも、



「なら、あなた方があの白い戦乙女様のお連れの……」

「あ、あははは。なのは、ここではもうかなり有名人みたいだね」

「さ、流石なのちゃん。ジャンル問わずにゲームは得意みたいね」


――恭也たちはそれぞれに冒険を始める。



果たして、全員揃って無事に帰ることが出来るのか。

とらいあんぐるハ〜ト3 〜ようこそ電脳世界へ〜



   §§



あの戦いが今再び、装いも新たなに甦る。

それは町外れの林道から、

「誰か、声が聞こえたら誰か力を貸して……」

高台の奥、滅多に人の訪れない平原から、

「誰でも良いから、あの子を助けてよ!」

共に助けを求める切実な声。
それに答える者を大きな運命へと誘う事になる願い事。

答えたのは、たった一人の少女。

「この子、怪我しているみたい」

答えたのは一人の青年。

「ふむ、喋る犬とはまた珍しい」

同日、違う地にて新たな出会いをした二人は、

「にゃにゃにゃっ! あれは一体なに? ってフェレットが喋った!? くーちゃんと同じ子?」

「僕はフェレットじゃな……って、今はそれ所じゃなくて、お願い力を貸して!」

未知なる力と出会い、それを知る。

「……遂に自分自身が可笑しな存在になってしまった」

「魔導師が可笑しなとは聞き捨てならないけれど、今は後回しにしておくよ」

奇しくも、その出会いは兄妹での対立をも意味していた。

「ジュエルシード発見! って、お兄ちゃん!?」

「なのは?」

共に詳しい理由は知らぬまま、ジュエルシードと呼ばれる宝石の収集に乗り出す二人。

「危険だと言っているだろう」

「にゃー! だからって今更やめるなんて出来ないよ!
 それにお兄ちゃんこそ、どうして」

事態は加速し、周囲を巻き込み、

「魔法少女、高町美由希♪」

「さて、新しい反応はここから……」

「わぁ〜、お願いだから無視しないでよ!」

「くーちゃん、宜しくね」

「くぅん、……がんばる」

更なる力を求め、

「という訳で、異世界の技術らしいのだが何とかなるか?」

「ふっふっふ、久しぶりにやりがいのある仕事だわ。
 とりあえず、見せてもらうわね、恭也。その上でどういう改造をして欲しいのか聞くわ」

二人は知り合いへと助けを求める。

「なのはちゃんに霊力技を、ですか?」

「はい。詳しい事はお話できませんが、お願いします那美さん!」

全てのジュエルシードが集う時、そこで何が起こるのか。
今、新たな歴史が幕を開ける。

リリカル恭也&なのは NOVIE 1st

同時放映、IFストーリー 〜さざなみの魔王始動、願いは私が叶える〜



   §§



二、三分の違いはあれどいつもと同じ時間になれば、いつものように自然と目が覚める。
既に体で覚えているかのように起きると意識するまでもなく一連の支度を整え、恭也は部屋を出る。
が、いつもと違い普段なら遅れるにしろ、五分と待たないはずなのだが今日に限って美由希の姿がない。
それでももう少しだけ待つことにして、恭也は靴を履いたまま玄関先で時間を潰す。
が、更に二分経っても美由希は姿を見せず、恭也はとうとう靴を脱いで美由希の部屋へと向かう。
多少の違和感を覚えつつも見慣れた美由希の部屋の前に立ち、扉をノックしてみるも反応はない。
まさかまだ寝ているのかと思いドアノブに手を伸ばして回す。
開いた扉の先、ベッドの上には布団に包まるように眠っている美由希の姿があった。
確かにもうすぐクリスマスという冬の真っ只中。
特に早朝ともなれば寒さも一入だ。美由希が布団に包まりたくなる気持ちも分かる。
分かるが、鍛錬をさぼるとは何事か。
恭也は遠慮なく眠りこけている美由希へと近付くと、掛け布団に手を伸ばして一気に剥ぎ取る。

「きゃぁっ!」

可愛らしい悲鳴を上げてベッドから転がり落ちる美由希を静かに見下ろし、

「ここまで簡単に接近を許すな馬鹿弟子。それといつまで寝ている」

「……あれ、恭ちゃん? えっと、もう朝?」

まだ寝ぼけているのか、美由希は恭也の顔を見た後、キョロキョロと半信半疑といった感じで周囲を見渡す。
そして、その目が時計に止まると、

「ま、まだ早いじゃない。どうしてこんな事するの?」

泣きそうな顔で体を起こしてベッドに腰掛ける。

「何を言っているんだ、お前は。もう鍛錬の時間だろうが」

「鍛錬って何? それに起こすなら起こすで、いつもみたいに優しく起こしてよ」

ぶつくさと文句を言いつつ、美由希は拗ねたように恭也を見上げ、ようやく納得したとばかりに頷く。

「早く起きてお腹が空いたんだね。仕方ないな〜、すぐに準備するから下で待ってて」

準備と聞いてようやく目が覚めたのかと思うも、その前の言葉が気になり恭也は美由希の肩を掴んで押し止める。

「準備と言うのは、勿論鍛錬のだよな」

「だから鍛錬って? 準備っていうのは朝食の準備に決まってるじゃない」

恭也は嫌な予感が当たったと顔を引き攣らせ、

「落ち着け。お前は唯一、この家で料理を苦手としているだろう」

真剣な恭也の顔に美由希は首を傾げ、すぐに可笑しそうに笑う。

「もう冗談ばっかり言ってどうしたの?
 お腹が空いて起こした事を気にしているのなら、気にしなくても良いのに。
 身寄りのない二人きりの兄妹なんだから協力し合わないとね」

「……はい?」

思わず疑問を口にするも、美由希は特に可笑しな様子も見せずにパジャマに手を掛けようとして動きを止める。

「恭ちゃん、その着替えたいんだけれど……」

恥ずかしそうに告げてくる美由希に恭也は若干慌て気味に部屋を出る。
未だに頭の中は疑問符が飛び交っているが、とりあえず下へと降りる。
程なくして美由希も下に顔を出すも、制服姿になっており、恭也が尋ねるよりも早くキッチンへと向かう。
思わず呆然と見送った恭也だったが、慌ててその後を追えば、エプロンを付けた美由希が手際よく材料を切っていた。
その手付きはやけに慣れた様子で、危なっかしい所も見受けられない。
思わず信じられないと見入っていると、切った材料を油をひいて熱したフライパンへと入れる。
これまた手際よくフライパンを動かし、箸で上手に炒めていく。
恭也は信じられないとばかりにずっと美由希の造作を見ていた。
その視線に気付き、美由希は時折恥ずかしそうにはにかむも特に何を言うでもなく、そのまま朝食を仕上げてしまう。

「出来たから向こうで待っててね」

「あ、ああ」

目の前の光景に驚くあまり、既に何を言うでもなく大人しく従ってしまう。
気が付けば、目の前には朝食がずらりと並んでおり、恭也は殆ど条件反射的に頂きますと口にしていた。
流石にそう言った上に、作らせてしまった以上は無碍にも出来ずに恐る恐る料理に手を伸ばして口に放り込む。

「っ!」

その美味しさに思わず驚き、気が付けば次々と手を伸ばしてしまっていた。
片付けをする美由希をぼんやりと見ながら、恭也は今更ながらに誰も起きて来ない事を不審に思う。
同時に美由希が口にした言葉を思い出し、家の気配を探るも人の気配は何処からもしない。
一体何がどうなっているのか。真っ先に思いついたのは皆で恭也をからかっているという可能性である。
が、これだと急に美由希の料理の腕が上がった事が可笑しい。
密かに練習していたと言われれば納得するかもしれないが、あの手際はやり慣れた者のそれであった。
こうなると考えても分からないととりあえずは様子を見守る事にする。
やがて学校に行く時間となり、恭也も制服へと着替えると美由希と二人揃って学校へと向かう。
道すがら周囲を見るも、それは記憶にある物と変りはなく、恭也は益々不思議そうに首を傾げる。
不思議と言えば、美由希の料理の腕もそうなのだが、それとは別に美由希の持つ気配が少し変っていた。
気配というよりも、その強さというべきか。多少は動けるようだが、本格的な戦闘など無理という程に。
それを感じ取り、恭也は目の前の美由希が別人だと確信するのだが、他の記憶はどうやら美由希と同じらしい。
ただし、高町家としての記憶はないようだが。
士郎に育てられ、桃子と出会う事無く士郎がフィアッセを庇って亡くなったとなっていた。
なのに高町性という事を不思議に思い聞けば、士郎が変更したという回答が戻ってくる。
信じたくない可能性を抱きつつ、学校へと付いた恭也は美由希と分かれて自分の教室に向かう。
クラスに関しては恭也の知る記憶の通りで間違いないようで、赤星が挨拶をしてくるのに返す。
自分の席に鞄を置き、隣で寝ている忍に声を掛けようとしてまだ来ていない事に気付く。
いや、そこには席そのものがなかった。
一番後ろの窓側、月村忍の席がない事を赤星へと尋ねてみれば、赤星は心底不思議そうな表情を見せる。

「何を言っているんだ高町。そこは元々席も何もなかっただろう」

「……からかっている、という訳ではないみたいだな」

親友が本気で言っていると理解し、恭也はまたしても驚くもそれを何とか堪える。
確かめなければいけない事が出来たと恭也は教室を後にし、二年の教室へと向かう。
が、E組の生徒に尋ねても神咲那美と言う生徒はいないという返答が返って来る。
ある意味、予想していた事態だったが故に思った以上に動揺はせずに済み、尋ねた生徒に礼を言うと教室へと戻る。
その道すがら、恭也は現状の整理を行っていた。

(今、分かっている事は美由希と赤星以外、俺の親しい友人たちの消息は不明という事。
 後は美由希が御神流をやっていないらしいという事だけか。さて、まずはどう動くべきか)

一瞬、異世界という単語がちらつくも、どちらにせよ元に戻る為には動かねばならず、その最初の行動をどうするか。
それだけを考えて恭也は授業中も過ごす。

(こういう異変なら一番頼りになるのは那美さんなんだが、その那美さんが居ない。
 となると忍辺りに聞きたい所だが、その忍も居ないか)

何ともままならない事だと嘆息一つ。
とりあえずの方針として異常な事態には同じくらい慣れているであろうさざなみを訪れてみる事にする。
面識があるのかどうか怪しい所ではあるが、事情を話せば何か助言ぐらいはもらえるかもしれない。
駄目なら次は月村邸へと行ってみれば良い。
そう考え、恭也は放課後に取るべき行動を決めるのであった。



果たして、恭也は一体どのような状況へと追いやられてしまったのか。
そして、無事に戻る事が出来るのか。



高町恭也の憂鬱 〜消失の美由希〜



   §§



「さて、神とて万能ではないと分かった訳だが」

憮然とした声で無表情のままそう言い捨てるのは不破恭也その人であった。
それも彼の境遇を知れば仕方ないと思ったかもしれない。
現に彼と同じ境遇にある二人の女性は共に苦笑を浮かべつつも、その言葉には肯定的であるのだから。

「ここまで来ると、何かしらの見えざる手の存在を感じてしまうのぉ」

「これもまた運命かもしれませんね」

「まあ、彼女は自らを精霊と言っていたし、全知全能という訳にもいかなかったんだろう」

「そうですね。もし神でそうであれば、魔王に好き勝手にされるなんて事事態起こり得ませんでしたしね」

「しかし、魔王退治の報酬がまたしても他世界への移動では納得がいかん」

知らず愚痴が出るアルシェラであったが、それは恭也や沙夜も同じである。
故に咎める事もなく、恒例となりつつある周囲の探索から行う事にする。
薄暗いというか、天井で覆われた空。建物自体からもそれなりの文明を感じさせる。
とりあえずはこの世界の事を知らないといけないのだが、これがまた苦労することでもある。
今までは比較的、話を聞いてくれるような状況や人に出会えたから良かったが、果たして今回はどうだろうか。
そんな不安を抱きつつ、一向は足を進める。

「それにしても、かれこれどのぐらい放浪をしておるのだろうな」

「世界を飛び回っている所為か、年を取った感じがないのが救いだがな」

「それに関して少し沙夜は不思議に思うのですけれどね。
 世界同士の時間の流れが違っていたとして、その世界に居る間は普通に年を取ると思うのですが」

「余たちの世界の時間は他と比べても遅く流れており、恭也の肉体はそちらの時間通りに流れておるか」

「そのような事が起こり得るのでしょうか。もし、その通りならば空腹なども感じないはずでは」

「むむ、そう言われると難しいのぉ。そもそもこのような状況になった者が他におらんと比較できんし」

「世界を飛び越えている間に、体が変質したのかもな」

結論の出ない論議を繰り広げる二人に挟まれた恭也は、小難しいのは良いとばかりに冗談めいてそう口にする。
が、それを言った途端に二人揃ってピタリと口を噤み、

「ふむ、可能性としてはどうじゃ」

「ない、とは言えませんね。先程のアルシェラさんの言ではありませんが、今までに例がない事ですし」

「ならば、検査してみんといかんのぉ。どれ、今夜にでもじっくりと……」

「ずるいですよ、アルシェラさん。私も絶対に参加しますから」

余計な一言を言ったと気付いた時には既に遅く、恭也は二人に挟まれた上に迫られると言う状況に陥る。
話を変えないといけないと思い周囲を見渡せば、丁度と言うべきか、店らしき建物を見つける。

「とりあえず、あそこで色々と聞いてみよう」

この世界の通貨を持っていないので、何か買う事は出来ないが話をするぐらいは可能だろう。
幸い、今まで移動した先でも言葉は通じてきたし、文字に関しても自然と変換されるみたいだったので、
その辺は気にしていない。
故に気楽に店へと入れば、どうやら酒場らしく数人の客の姿が見えた。
しまったなと思いつつ、カウンターへと進むと黒髪の女性が注文を聞いてくる。
それを申し訳なさそうに断りつつ、この世界に関して聞く為にとりあえず地名など怪しまれない所から話し出す。

「なに、もしかして迷子なの?」

「それに近いかもしれませんね。色々とあって、気が付いたらここに居たという訳なんです。
 だから、ここが何処でどのような場所なのか教えて欲しいんですよ」

「んー、まあ良いわよ。困ったときはお互い様だしね。
 でも、少し待ってね。一応、私の店だしお客さんを放っておくってのもね」

「勿論です。俺たちの事はお気になさらずに」

言ってカウンターの隅に座らせてもらい、とりあえずは店が落ち着くまで待つことにする。
その間、店に居る人間をそれとなく見詰め、

「あの人は何かやっていそうだったな」

「確かにの。そこそこの腕前と見たが。にしても、見ているとお腹が空いてくるの」

「我慢しましょう、アルシェラさん」

そんな話をしていると、最後の客も店を出て行く。
どうやら店じまいらしく、ようやく話を聞く事が出来そうであった。
そして、この後ティファと名乗った少女に話を聞く事となるのだが、
それにより恭也たちはアバランチという組織の協力者となってしまうのであった。



恭也と剣の放浪記 〜星命の輝き〜



   §§



悲しみの慟哭。
そして、少年の口から問い詰めるような口調と共に吐き出されるのはどうしてという疑問。
それに答えるのは少年と向かい合う男女の内、男の方。
女は僅かに俯き、己の兄が喋り終わるのを待つ。やがて、全て語り終えた男は静かに武器を構える。
最早、語る事はないとその目が、全身から溢れ出る闘気が物語っていた。
対する少年はやり切れない思いを閉じ込め、こちらも武器を構える。
その二人に合わせるかのように、女も静かに兄の後ろへと下がり、こちらも小さく構える。
口から流れ出すのはこの世の理を曲げ、不可思議な現象を可能とする魔法の呪文。
女の呪文に応じるように、二人と少年の間に鮮烈な紅色の蝶が幾つも生まれ出る。
その一匹一匹が下手な魔法使いの使う魔法よりも濃密な魔力を内包しており、弥が上にも汗が滑り落ちる。
だが、それを拭う余裕などあるはずもなく、少年は構えた武器を握る手に僅かばかり力を込める。
術士である妹と剣士である兄。
共にその技量は並大抵のそれではないという事を師事した事のある少年はよく知っている。
互いにやり合いたくはないがその目的故に敵対せざるを得ない状況。
それが少年の方は特に顕著に現れているのだが、男の方はその感情さえも押さえ込み少年へと剣を振り下ろす。
幾分か加減された一撃を捌き、距離を開ける。
その直後、さっきまで少年の居た箇所に三匹の蝶が飛び込み爆発を起こす。

「これでもまだ本気でやらないというのなら、それでも構わない。次は確実に仕留める!」

言って剣を構えなおす男を前に、少年も自身の譲れない目的を思い出して構えなおす。
その目にはまだ迷いは見えるものの、強い力が宿っている。
二対一という状況を踏まえ、時間の事も浮かび焦る心を少年は無理矢理押さえ込む。
緊迫した空気が部屋に充満し、ちょっとした切欠で弾け飛びそうな程に張り詰める中、

「……ここはどこだ」

「ふむ、どこかの迷宮か?」

「どちらにせよ、またしても、ですわね」

その緊迫した空気の中にはやや似つかわしくない呑気で何処か疲れた声が突然する。
新たな侵入者に警戒する兄妹と、時間を掛けすぎたのかと不安気な表情を見せる少年。
三対の視線に晒され、恭也たちは何となくだが緊迫した空気を感じ取り、

「あー、申し訳ありません。何やらお邪魔をしてしまったみたいで。
 ですが決して怪しい者ではありませんので。言っている自分でも説得力はないと思いますが」

「まあ、確かにの。このような状況で現れては敵と思われても致し方あるまい」

「えっと沙夜たちの事はお気になさらず」

「いや、その通りなのだが出来ればその前に聞きたい事があるのですが」

「そうじゃ。全く、お主は少し抜けておる」

「あらあら、恭也様ではなくアルシェラさんにそんな事を言われるとは」

「ほう、気に障ったのか?」

「ふふふ、どうでしょうか?」

行き成り自分を間に挟んで火花を散らす二人を恭也は慣れた様子で引き離し、呆然となっている少年を見る。

「行き成りで申し訳ありませんがここは何処でしょうか?」

「あー、えっとベルビア王国にある舞弦学園のダンジョンですけれど」

突然の事態に思考が追い付かなかったのか、少年は聞かれた事に答える。
対する恭也たちはやはり聞いた事もない国にやはりかという思いと僅かな落胆を込めて溜め息を零す。
一方、勝負を邪魔された形となっていた少年たちは突然の闖入者に最初は驚いたものの、
兄妹の方は共に敵と見なし攻撃を繰り出し、少年の方はそれに対処する事で構っている余裕を無くす。

「行き成り攻撃されるとはな」

「ふむ、余たちが邪魔をして怒らせたというよりも、戦場に乱入してしまったという感じじゃな。
 しかし思い切りのよい二人じゃ。味方、もしくは無関係者という可能性を全く考慮せぬとはな」

「本来ここに居るのは敵のみという可能性もありますけれどね。
 しかし困りましたわ。向こうの二人は完全に沙夜たちを敵として捉えているようですが」

事情が分からない内に敵対するような事はしたくないというのが恭也たちの考えではある。
だからと言って、下手をすれば死んでしまいそうな攻撃を喰らう事も出来ず、三人は喋りながらも躱す。

「男の方はあっちの少年と切り結んでおるから当面は大丈夫じゃろうが、問題はあの女の方じゃな」

「男の援護をしつつ、こちらを攻撃してきますね」

「どうやら、こちらに集中してくるみたいだぞ」

沙夜が言った直後、恭也が二人に注意を促すような事を口にする。
見れば、男の援護を一旦止め、新たなに何やら呪文を唱えている。
女の呪文の声に合わせ、魔力が膨れ上がる。

「む、流石にまずいか。アルシェラ、沙夜!」

恭也の呼び掛けに応えて二人がその姿を小太刀に変える。
刀身に女の魔力に匹敵する力を集め、女の攻撃に備える。

「行き成り戦場というのは初めてではないが、行き成り襲われるのは初めてだな!」

やけにも聞こえる声で叫ぶ恭也に返る肯定の声は脳内に響く。
その間も視線は女と女が繰り出すであろう攻撃から離さず、男と少年の気配も捉える。
状況が分からないながらも、とりあえずはここを無事にやり過ごさない事には始まらないと、
思考を戦闘モードへと移行させる。言い訳も考えるのも後回し。
今はとりあえずの敵と思える相手を無力化する事のみを考えるのであった。

こうして恭也たちは帰還の為に協力するのではなく、否応なしに巻き込まれると言う形での今回の旅が始まる。



恭也と剣の放浪記 〜響く鐘の音〜



   §§



唐突に、そう本当に唐突に目が覚める。
今まで眠っていたという感覚もなく、不意に意識が浮上したかのごとく恭也は目を覚ました。
体に可笑しな所も感じられず、五感もいつものように働いている。
が、目覚め方があまりにも不自然であったと感じたのだが、それも体を確認する内に消えてしまう。
考えても分からない、それ以前にその違和感さえ既に感じなくなったので改めて恭也は周囲を見る余裕を取り戻す。
とは言え、周囲には何もなく強いて言うのならば光のみだろうか。
何せ、見渡す限り、足元さえも白一色の世界なのだ。
目印となるものも当然なく、遙か彼方にあるはずの空と陸との境界線さえも同色で塗りつぶされて定かではない。
こうなってくると、自分が立っているのか、それとも寝ているのかさえも怪しくなってくる。
唯一、足裏に感じる地を踏みしめる感覚が辛うじて立っている状態である事を教えてくれる。
とは言え、ここはどこなのかという疑問が氷解するはずもなく、恭也はどうするか悩み出す。
そこで先程の違和感を思い出そうとして、それとは別に違和感を抱く。
もう一度、自分の掌を見る。ごつごつとした固い感触、鍛え上げられた四肢。
実戦を掻い潜った事で更に研ぎ澄まされた感覚。何処にも以上はないはず。
古傷であった右膝も手術により完治し、右膝を庇う動きも修正済み。
何処にも可笑しな所はない。にも関わらず、恭也は違和感を抱いていた。
軽く体を動かし、思うとおりに動くか確認するも、脚の先から指の先に至るまで思うように制御できる。
それこそ細かい動きまでも精密に思い描くように。
けれども違和感は消える事無く頭の中で燻りを見せる。
何に感じているのか改めて思考しようとする恭也の目の前に、不意に一人の女性が姿を現す。

「ようやく目を覚ましたみたいね」

一種厳かな雰囲気を携えた女性であったが、口を開いて言葉を発するなりその雰囲気は消し飛ぶ。
何処がどうという訳ではないのだが、恭也は確かにそう感じた。
とは言え、初対面の人を相手にそんな事を口にするはずもなく、恭也はとりあえず無難に挨拶しておく。

「こんにちは。所で、ここは一体……」

「うん、その事も踏まえて今から説明するからよく聞いてね」

「はぁ」

「うーん、ここが何処かという前に、簡単に告げると貴方は死にました」

「はぁ…………はい?」

あまりにも軽い口調で言われた為にそのまま流す所であったが、意味を理解して恭也は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「ああ、その反応だと予想したように覚えてなかったみたいね」

「はい、いえ、ちょっと待ってください。……感じている違和感はそこか」

恭也はようやく違和感の正体に気付く。
自身の体が思うよりも軽く動くという違和感である。
年を経てどうしても落ちる体力や筋力。それをカバーする為に更なる技術を身に付けてきた。
が、さっきから体を動かせば、思うよりも早く体が動くのだ。
思考や技術は年経て会得したものだが、体が明らかに若い時のもの。
それが差異となり違和感を感じたのだろう。
そこに気付くと、徐々に自分の現状が可笑しい事に気付く。
先程も述べたように年を経たにしては、体が若い頃のもの。
恐らくは二十台前半といった所だ。しかし、死んだのならそれもあり得るのかもしれない。
あっさりとそう納得できる程に落ち着いていたし、何よりも生前の経験が大きい。
しかし、そうなると次に浮かぶ疑念がある。

「つまり、俺は浮遊霊か何かになってさ迷っているという事ですか。
 そして、貴女は退魔士の方とか」

「あー、貴方の経験からすれば、そういう考え方もあるわね確かに。
 でも残念。私は神様にお仕えする天使よ」

「そうですか。で、その天使さんか何の用でしょうか。
 地獄への案内とか? てっきり鬼とかがするのかと思いましたが、最近は何処も人手不足なんですね」

「人手不足は確かだけれど、違うわよ。
 まあ、貴方の業を考えれば地獄行きもあるかもしれないけれどね。
 業を背負って徳を積んでいるみたいだし、その辺りの判断は閻魔様ね」

「はぁ、つまりは閻魔様の所までの道先案内人ですか?」

言っている事はよくは分からないが、恭也は死んだという事を受け入れていた。
というよりも思い出したという方が正しいのかもしれないが。
しかし、畳の上で天寿をまっとうできるとは、と思わず感謝する恭也に天使はそれも違うと否定する。

「私がここに来たのは貴方の転生に関しての説明をするためよ」

「転生ですか? しかし、天使という事はキリストか何かなのでは?
 転生は確か仏教とか……。いや、俺はキリスト教じゃないから良いのか?
 しかし、それを言ったら無神教とも言えるし……」

「はいはい、難しく考えない。そもそも宗教なんて人間が作ったものでしょう」

「あちこちからクレームのきそうな発言ですね」

「確かにね。なら今のは聞かなかった事にして。
 とにかく、今から貴方に第二の人生をプレゼントします、という事よ」

「いや、うちはそういう勧誘は間に合ってますので」

「勧誘じゃないわよ」

思わず口をついて出た言葉に律儀にも突っ込んでくれる天使。
やはり天使というだけあって良い人(?)だと一人頷きつつも、当然ながらの疑問が出てくる。

「何故、そんな事を?」

「あー、まあ細かい事は良いじゃない。
 転生できるのよ。しかも、今なら記憶を持ったままで」

「それは良い事なんでしょうか? 寧ろ辛いのでは?」

「しかもしかも、特典として違う世界へと生まれ変われちゃいます」

「余計に記憶いらなくないですか!?」

思わず勢い良く突っ込んでしまうも、そこは許して欲しいと自分に言い訳する恭也。
が、突っ込まれた方は特に気にするでもなく、若干引き攣った感のある笑みを浮かべて、

「えっと、じゃあおまけに色んな能力も付加しちゃうよ。
 死が見える目とか、どうどう?」

「いえ、ですから、というか転生するのは決定事項になってませんか?」

「あ、あははは、気付いた?」

既に当初感じた威厳や荘厳さも消え去り、恭也は長年の悪友が何か仕出かした時に向けるかのような視線を飛ばす。
態度ももう良いかといった感じで、段々と乱雑になりつつもどうにか口調だけは心掛け、

「いやでも気付きますよ。それでもどうしてという疑問は残りますが」

「り、理由は必要かな?」

「当事者ですよね、俺? なら聞いておきたいですね」

「聞いても怒らない?」

「怒るような事なんですか?」

「…………えへへへ」

「笑って誤魔化さないでください!」

最早、敬語もいらないのではと思い始める恭也に対し、天使はやや真剣な表情を形作ると、

「天使にも階級ってものがあるのよ。単純に能力だけでランクされる訳じゃないんだけれどね。
 兎に角、私も頑張ってようやく死者と生者の狭間の世界を自由に行き来できるまでになったのよ。
 次は死神への昇格か、もしくは――」

「昇格って、死神は地位が高いんですか? 以前に、死神も天使なんですか?」

「当たり前でしょう。人の死を看取り、宣告する天使よ。
 死後、人の魂がさ迷わずにあの世にいけるのは死神が居るからなんだから。
 まあ死神に看取られるのは幸福な場合だけれどね。突然の事故なんかだと死神に看取られない事もあるから。
 そういった魂の中でも現世に強い想いがあると霊になるのよね。って、今はそんな話は良いわね。
 兎も角、死神他にも幾つか候補があってね。
 体験って訳じゃないけれど、死神の先輩の付き添いって形で現世に行ったのよ」

ああ、つまりはその死神が自分を看取ったのかと思いつつ、完全に口調まで砕けてきた天使を見る。
話に聞く限り、この天使もそこそこの位だという事なのだが。
初めに言われれば信じたかもしれないと思いつつ、恭也は黙っている事にした。

「落ちこぼれと言われた私が皆を見返すチャンスとばかりに張り切ったのが失敗だったわ」

前言――いや口にはしていないが――撤回である。
嫌な予感しかしないのだが、理由を知るためにも黙って続きに耳を傾ける。

「先輩に無断で持ち出した死神の鎌がまさかあんなに重いなんて思わなかったのよ。
 しかも、途中で疲れて鎌を落とすなんて」

「おい、ちょっと待て」

あまりにも嫌な予感と不吉な単語に恭也はついに敬語さえやめて突っ込んでしまう。
が、天使の方は気付かず、寧ろ話す内にその時の事を思い出したのか、
いかにも自分は不幸だと言わんばかりに続ける。

「落ちた先に貴方がいるなんてね。しかも、綺麗に魂と肉体を繋ぐ糸を切断しちゃうなんて」

「お前の所為か!?」

「うー、そうと言えなくもないけれど実際には鎌の所為だよ」

「いや違うから、それは」

「だって仕方なかったのよ。重かったの。それでも一生懸命に落とさないように頑張ったんだよ。
 やれば出来る子だって言われているから十秒ほど耐えたのよ」

「たったの十秒!? しかも、それは完全にやらない子の言い訳だし」

「十秒粘った所為で場所も移動していて、それでこんな事になった事を考えると頑張らない方が良かったかもね。
 って、怖い顔しないで。仕方なかったの、本当に。
 だって私ってば、人にドジだドジだって言われているでしょう。
 そんな事はないと思ってきたんだけれど、まさか十秒も耐えている間にくしゃみしたくなるなんて思わないよね」

そんな事は知らないし、くしゃみとドジがどう繋がると言いたかったが恭也はぐっと堪える。
じゃないと、間違いなく怒鳴りそうであったからだが。

「それで?」

「くしゃみする時は口を手で押さえなさいって言われるじゃない。
 だから手で押さえようとしたんだけれど、重たい鎌があったからぽいっと」

「耐え切れず放したとか以前に、くしゃみの為に自分から放り投げたのか!?」

「わざとじゃないのに。必死で説明しても、先輩や神様からはお説教くらうし。
 酷いと思わない? 私は被害者なのよ」

「いや、被害者はどう見ても俺ですよね? っというか、もしかして俺はまだ寿命じゃなかった?」

「あっ! 気付かれちゃった、どうしよう!」

いや、もう誰かこいつに突っ込んでくれと投げやり且つ、敬意すら失せた気持ちで恭也は天使を見遣り、
やがて既にどうしようもないと肩を落とす。

「えっと、その辺りの事は置いておきましょう」

勝手に置いておくなと言いたい恭也ではあるが、既に諦めてさっさと話を進める事にする。

「それで、生き返らせる事は流石に神様でも出来ないから第二の人生をプレゼントという事になりました。
 でも生前の記憶がないままだとそれを意識できないので、記憶を持ったままという形になったのです」

「はぁ、分かりました。なら、もうそっとしておいてください。
 お願いですから、何もしないでください。転生もいりません」

疲れきった表情で告げる恭也に、天使はそれだと自分が怒られると強引に転生させようとする。
正直、そんな事知るかといった心境の恭也に気付き、天使は転生を受け入れたら特典を付けると言いだす。

「貴方の家族や親しい人の死後、先に逝った家族も含め天国行きという事でどうでしょうか?
 無事に二度目の人生を終えれば、また会えるようになりますよ?」

それは不正ではないのかと思わなくはなかったが、その条件にはちょっと心が動く。
とは言え、殆どは何もせずとも天国に行きそうな気がするが。

「今、心が動きましたね。分かります、分かります。それでは転生は了承してもらったという事で」

「いや、してないですから」

「えー、我侭ですね。何が望みなんですか。ま、まさか私ですか!?
 天使を襲うなんて、何と恐れ多い。流石は神さえ切り捨てると言われる剣士。
 しかし、六十を過ぎても衰えぬその性欲には感服です。
 まあ、今は二十歳ちょいになっている事を考えれば凄くもないかもですが。
 何よりも、この私の美貌が怖い」

「……とりあえず、天国にせよ地獄にせよ閻魔様に会わなければいけないんだな。
 場所はこっちか?」

天使の言葉を無視して恭也は勝手に歩き出す。
どうか閻魔様はまともな人(?)であって欲しいと切に願いながら。

「って、お願いですからいかないでください〜。
 今ならチートと言われる能力も付けますから〜」

「は、離して下さい。というか、人の足を掴まないでください。
 俺はあの世でのんびりと過ごすんです」

「駄目です、それだけは駄目です〜。断られたら、私は降格の上に左遷されてしまうんです〜」

あまりにも必死に泣きながらしがみ付いてくる天使に根負けし、そもそも行き先も分からないので仕方なく、
恭也はその提案を本当に嫌々ながらも引き受ける。

「じゃあ、どこの世界に行きますか〜。破滅と救世主が戦争している世界が良いですかね〜。
 それとも剣戟や魔法が飛び交う世界にしますか?
 悪魔や魔神といったものが居る世界というのも楽しいかもしれませんよ」

「何故、どれも物騒な感じの世界なんですか」

「え? だって剣を振るえる世界の方が良いでしょう。
 それで俺よりも強い奴に会いに行くとか」

「……平穏な世界を望みます」

「それじゃあ、面白くないじゃないですか」

「貴女を楽しませるつもりはありませんから」

「そこを何とか」

「なりません」

「もう一声」

「もう一声も何も、最初から何も言ってません」

「大丈夫、そう簡単に死なないように体は丈夫にしてあげるから」

「そういうのもいりませんから」

恭也のかたくなな態度に頬を膨らませ、天使はいつの間にか取り出した本をペラペラと捲る。

「じゃあ、どんな世界が良いんですか」

「平和で平穏な世界が良いですね。縁側で日永一日、お茶を啜りながら猫を愛でる日々を。
 付加してくれる能力には、二度とドジな天使と遭遇しないというのをお願いします。」

「むー、分かりました。能力及び世界は私にお任せコースですね」

「誰も言ってません!」

「もうこっちでばばばんと決めちゃいます!」

「って、勝手に決めるな! 要望は言っただろう!」

叫ぶ恭也を無視し、天使はこれまたいつの間にか取り出したキーボードのような物を叩く。
良く見れば、それは空中に描かれた物であったのだが恭也にとってはどうでも良い事である。
不機嫌な天使の手を止めるべく襲い掛かるも、相手も天使と言うだけの事はある。
恭也の腕を掻い潜り、背後へと回るべく体を屈め、そこで見事に転ぶ。

「わぷっ!」

そして、転んだ先には恭也の足があり、恭也をも巻き込んで倒れ込む。

「うぎゅ〜……#!$%!! は、はな、はなれ、て、てててて手を!」

慌てふためく天使の声に、ふらつく頭を振りながら手を付いて体を起こそうとして、
その手が柔らかい物を掴んでいる事に気付く。
見れば、転んだ拍子にどうやったのか仰向けになった天使の胸を鷲掴みにしており、天使の方も混乱していた。

「す、すまない、わざとでは」

「あうあう、だ、誰にもまだ触られた事なかったのに。
 う、うぅぅ……」

「い、いやこれは事故だ。そもそも最初に転んだの貴女……」

「えっちー!」

恭也の言い分も尤もだが、得てしてこういう場合男性の方が立場は悪くなる。
故に恭也も強くは出れず、結果としてありがたくない言葉を貰う。
同時に天使は上半身を起こして恭也の頬を引っ叩き、恭也も素直にこれを受ける。
これで終われば気まずいながらも何とかなったのだが、起きる拍子に着いた天使の手の下には、
先程まで操作していたキーボードが存在しており、恭也を叩いた衝撃でか、ピッと音がなる。

「って、あれ? あれ?」

「あの、もしかして……」

「あ、あははは、やっちゃった。ごめんね。
 本当なら行く世界の事や能力に関して色々と説明しないといけないんだけれど時間ないわ」

「ごめんって、そんな軽いノリで謝られても」

言っている間にも恭也の視界は白く染まっていき、やがて意識さえも遠ざかっていく。
声に出ないと分かっていても、恭也は思わず天使に文句を言う。

「……え、か、神様。ええ、ちゃんと高町恭也の希望通りに……って、見てたんですか!?
 え、えぇぇ、ご、ごめんなさい、それだけは許してください。
 えぇぇ! 許す変りに私も後を追って説明するんですか!? そ、それってやっぱり左遷!?
 も、戻ってこれるんですか? 説明が終わったら戻ってきても良い? 本当ですか、本当ですね!
 嘘だったらセクハラされたって泣きますよ! って、お茶目な冗談、いえ、嘘です、そんな事はしません!
 だから、永久追放はやめてください。す、すぐに後を追います!」

既に殆ど失われ行く意識の中、慌てる天使の声を恭也は確かに聞き、あんな部下を持った神様に思わず同情する。
が、同時にまた会う事になるのかとうんざりした気持ちを抱いたとしても、それは許して欲しい所である。



とらいあんぐるハート3超番外
高町恭也の転生黙示録



   §§



あまり着慣れないスーツに身を包み、ネクタイを締める。
ざっと鏡に映った格好に可笑しな所がない事を確認し、恭也は部屋を出る。
一応、家族にチェックしてもらおうとリビングに顔を出し、

「どこか可笑しな所はないか?」

「はぁぁ、お師匠なかなか様になってますよ」

「うんうん、師匠格好良いですよ」

二人の妹分に賞賛の声を頂き、恭也はそうかと安堵混じりの声で返す。
桃子も恭也の全身をそれこそ後ろまできっちりとチェックして、

「段々と士郎さんに似てくるわね。そういう格好をしていると初めて会った頃の士郎さんを思い出すわ」

思い出に浸りつつ嬉々として告げられた言葉に恭也は若干顔を顰めつつ、変な所がないようだと納得する。
一方、美由希は唇を吊り上げ、楽しそうに話し掛けてくる。

「馬子にも衣装だね、アイタッ!」

既に何を言われるのか分かっていた恭也は、美由希が口を開くなりとりあえず軽くデコピンをお見舞いしておく。
額を押さえつつ文句を言いながらも、美由希は新ためて恭也の姿を見て、

「うーん、少し左の内ポケットが気になるけれど……」

「やっぱり気付かれるか? もう二、三本減らした方が良いか」

「逆に右にも入れれば左右のバランスが取れて気付かれないかも」

「だが、そうすると全体的に膨らんで逆に怪しまれる」

「ちょっと恭也、貴方まさかとは思うけれど、何か物騒なものを入れているんじゃないでしょうね」

「いや、ただの護身道具……」

言いきる前に桃子が軽く恭也の頭を叩く。

「貴方たちの護身の道具は世間一般で言う物騒な物になるの!
 そんな物いらないでしょう。全部置いておきなさい」

「何を言う、高町母よ。最低限の装備は必須だろう。これぐらい常識だと思うが」

少しずれた答えを返す恭也に、美由希以外がどこの常識だと突っ込みたそうな顔を見せる。
最早、こればかりは仕方ないと諦める辺り、桃子も相当に染まっていたりするのだが。
そんな中、一人なのははにこにこと恭也を見ており、本当にご機嫌な様子である。

「それにしても、恭ちゃんが実習とは言え先生なんてね。それも小学校の」

美由希がしみじみと呟けば、なのはは更ににこにこと笑う。
何せ、恭也の実習先というのは他でもない、

「お兄ちゃんは何処のクラスになるのかな?
 なのはのクラスの担当かな、かな?」

「さあな。担当する事になるクラスまでは聞いてなかったからな」

「どっちにしても楽しみだな〜」

これがなのはが朝からニコニコしている原因であった。
そんななのはの様子を家族たちも微笑ましく見守る中、恭也は時計を見てそろそろ出る時間だと鞄を手にする。

「まだ早いよ?」

「なのはたち学生にとってはまだ余裕だろうが、俺は事前に言って色々と手続きとかがあるんだ。
 という訳で、いってきます」

言って玄関へと向かう。背中に見送りの言葉を聞きながら、多少の緊張を覚えつつ恭也は家を出るのだった。



「なのちゃん、どうしたの? 何か機嫌が良いわね」

「えへへへ、分かるクロちゃん」

教室に着いてもニコニコ顔のなのはにクラスメイトが声を掛けてくる。
殊更隠す事でもないので、なのははニコニコ顔のままその理由を口にすると、

「なのはちゃんはお兄ちゃん子だもんね」

「そ、そんな事ないよ、美々ちゃん!」

眼鏡の少女が笑いながらそう口にすれば否定するものの、なのはを知る者からすればそれこそないと言い切るだろう。
一緒にやってきた最後の一人はそう思いつつも口にはせず、ただ大げさに肩を竦めて見せるだけに留める。
が、あからさまなその行為からは簡単に言いたい事を察せられ、なのはは頬を膨らませる。

「うー、りんちゃんまで」

「あははは、ごめんごめん」

軽く謝罪しつつもまだからかう気満々の様子になのはは更に拗ねつつも、何処か楽しそうであった。
この顔が驚きに変わるのは後十数分後の事であるが。



「とまあ、以上の事を注意してくれれば良いから。何かあれば、遠慮せずに聞いてくれ」

「はい、ありがとうございます青木先生」

必要な書類を渡し、注意すべき事などを聞き終えて恭也は自分が付く事になる教師に頭を下げる。
眼鏡を掛けた人の良さそうな青木は恭也の言葉に遠慮するなと返しつつ、改めて名簿を見て一つ唸る。

「それにしても、実習先の学校のみならずクラスまで妹と同じになるなんて凄い偶然だな」

「ええ。多少、やり辛いような気もしますが、頑張ります」

「ああ、頼むよ。さて、そろそろ朝礼の時間だな。改めてよろしく」

「こちらこそよろしくお願いします」

こうして、恭也はなのはのクラスで実習を行う事となり、
またこのクラスの児童に青木共々引っ張りまわされる事となるのだが、この時点ではまだそれを知るはずもなかった。



なのはのじかん



   §§



未開の地と呼ばれる大陸がある。
恭也の知る限りにおいては、そのような場所は記憶にはなかったが。
もしかすれば世界は広いのだから、あっても可笑しくはないぐらいには考えていた時期もあった。
が、それが大陸と言う規模になるとやはりここが異世界なのだと痛感せざるを得ない。

「恭也、そろそろ現実に戻って来い」

「恭也様のお気持ちも分かりますが、今までの経験も既に可笑しな事だらけでしたよ」

「そうだったな。ついつい、自分の世界との違いに現実逃避をする所だった。
 よくよく考えてみれば、既に異世界を渡り歩くと言う非現実を目下体験中だしな」

「そういう事じゃ。元の世界に似た世界、異世界の魔界、魔王が存在する世界。
 これらに比べれば、未開の大陸があるぐらい、どうという事もあるまい」

「そうですよ、恭也様。そもそも魔王と呼ばれる存在と戦い、救出されれば十年もの歳月が流れていたらしい。
 この世界に来て行き成り遭遇したこのような事態も、行き成り戦中に放り込まれた事に比べれば」

「そうだな。
 そもそも、行き成りダンジョンに現れた俺たちにしてみれば、世間で時が流れていようと問題にはならないしな」

恭也を間に挟み、三人仲良く話している中、その話の腰を折るように第三者の声が割って入ってくる。

「貴方たちのこれまでの冒険譚には少々興味を惹かれますが、とりあえずはこれからの話をしても宜しいでしょうか」

そう話し掛けてきた声の主は金髪を短く纏め眼鏡を掛けた一人の女性であった。
特徴的な外見の一つにその尖った耳が上げられるが、エルフと呼ばれる種を見るのは初めてではなく、
ましてやここは異世界である。この程度で驚いたりする事は当に通り過ぎてしまっている恭也である。
そもそもが両側に居る二人からして人ではないのだから、恭也にしてみれば大した事でもない。

「ええ、すみません。つい物思いに耽ってしまいました」

言って軽く頭を下げる恭也に対し、エルフの女性――名をベネット・コジュールと言う――は、
軽くこれまでの経緯を聞いてその心情を察しつつ、話を再開させる。

「先程も言ったように異世界に関する研究と言うのはありません。
 が、先程述べた未開の地、コルウェイドにならあるかもしれません。
 昔の生徒が異世界という単語の出てくる書物を見つけたと言ってしましたし。
 ただし、そこへの渡り方やそのような世界が実在すると明記された物ではなかったようですが」

「いえ、それだけでも充分です」

「じゃな。過去の状況と比べても初っ端から僅かとは言え手掛かりらしきものがあるのは珍しい事じゃ」

「それでは、早速……」

アルシェラに続き沙夜が早く手掛かりを求めて旅立とうとするのを制し、ベネットは話を続ける。

「ですが、コルウェイドを探索する為には冒険者にならないといけません。
 そして、残念ですがおいそれとその資格を与える事は私には出来ません」

言ってベネットはこの世界の簡単な説明をしてくれる。
大よそは現れたダンジョン内で、魔王を倒した後にそこで知り合ったカイトとミューゼルからは聞いていたが。
早い話が恭也たちの目的の為には冒険者になる必要があり、その為には学校へと通う必要がある。
そんな感じの話である。が、ここで問題となるのは恭也たちの身元である。
当然ながらこの世界に恭也たちの身元を保証するものなどなく、入学などできるはずもない。
逆に真実を話せば研究と称して監禁される事さえ考えないといけない。
そんな風に困っている恭也たちに、ベネットは自らの学園長と言う立場を利用して、三人の入学を許可する旨を伝える。
恭也たちにとってはありがたい事ではあるが、ベネットの立場を危うくしないかと心配する恭也に対し、

「貴方たちの事を相羽くんたちからお願いされてしまいましたからね。
 あの子達に何も出来なかった代わりと言う訳ではないですが、あの子達を助けて頂いたお礼だと思ってください」

そう微笑を浮かべて言われるに辺り、恭也もその言葉に甘える事にした。
これにより、保証人としてベネット自らになってもらい恭也たちの冒険学校の日々が始まる事になるのだが。

「流石に三年間というのはな」

「そうですか? 沙夜は恭也様と学園生活を送れるというのは嬉しいですけれど」

「まあ、確かにその気持ちは分からんでもないの。余もその意見には概ね賛成じゃ」

「何とか一ヶ月になりませんか?」

「それは無理ですね。どうしてもというのなら三年生への編入と言う形で捻じ込めますが、
 それでも約一年は我慢してもらう事になります」

本来、一、二年で教える知識に関しては必要になれば教えるか、追々覚えるという事にし、
どうにか三年からのスタートとなったのは嬉しい事である。
ともあれ、こうして恭也の冒険者を目指す日々が本当に始まるのであった。



恭也と剣の放浪記 〜響く鐘の音Continue〜



   §§



見渡す限りに広がる荒野。
文明が存在するのか疑わせる程に見通しが良い。
だが、確かに文明は存在するのだろう。いや、したというのだろうか。
荒野よりも廃墟と呼ぶのが相応しいような。
恐らくは、建物の残骸と思われる瓦礫が辺りにぽつりぽつりと存在している。
長らく放置されたのか、既に風化している元コンクリートらしき物体。
何よりも恐ろしいぐらいに静寂に包まれている。
人の、いや、生物の息吹と言うべきものも感じられない、見渡す限り何もない世界。

「……さて、学生生活一年、旅を続ける事一年。
 ようやく見つけた異世界へと渡れるかもしれない道具」

「それをろくに調べようともせずに馬鹿魔力を流し込んで無理矢理動かした所為でしょうかね、これは」

「な、何じゃ二人とも。その言い方ではまるで余が悪いみたいではないか」

二人に責めるように言われ、さしものアルシェラも言い淀むのだが、すぐに胸を張って強気に言い放つ。

「別に余が魔力を込め過ぎた所為ではないぞ。
 ちゃんと別の世界に繋がったのは間違いないのじゃからな!
 元よりこのような世界じゃったのであって、余がこのようにしたわけではない!」

「ですが、もう少しきちんと調べれば任意の世界を渡れたかもしれませんのに」

「いいや、それはなかったはずじゃ。
 余が魔力を注ぎ込んだ瞬間、寧ろこの世界から入り口を開けたような感じじゃったしな」

言い争う二人の間に割って入り、悲しいかな、こういう事ばかり上手くなっているような気もするが、
恭也は改めて周囲を見渡し、

「それにしても見渡す限り紅いな」

「そうですわね。夕暮れともまた少し違う感じがします」

「生き物は愚か、植物の気配すら感じぬしな。可笑しな世界に来てしもうたか」

「まあ、じっとしていても仕方ない。とりあえずは歩いてみよう」

言って恭也は偶々向いていた方へと歩き出す。
何せ、目印になるものさえないのだから仕方ない。
本当に生物を感じられない廃墟を歩き、恭也は思わず呟きを漏らす。

「こうまで人もいなければ、何も残っていない状況からどうやって戻る手掛かりを探すかだな」

「とりあえずはこの光景が変るまで歩いてみるしかないだろうの」

「いずれ誰かに会うかもしれませんしね」

言って歩き続ける事、半時程だろうか。
ようやく風景に変化が見え始める。
地面ばかり続いたその光景に動くものが見え始める。
三人は誰ともなく足を早め、その動くものが波だと分かる。

「海か?」

恭也が疑問を口にしたのも仕方ない事で、目の前に広がる波打つ水面。
時さえも流れていないかのように、空はただただ赤く、目の前の恐らくは海と思われる広大な水の塊も紅く、
空と海の境界線は当然のように赤であった。
そして、その海の沖のほうではこの世界で初めてとも言える人の存在があった。

「……人なのだろうか?」

「だとすれば、巨人族かもしれんの」

「もしくは、この世界の人は皆、あの大きさなのかもしれませんよ。
 もしかして食糧不足で滅びたとか」

冗談にも聞こえない沙夜の呟きに何とも言えず、恭也は海に顔の半分だけ出している少女らしき物を見遣る。
顔だけで十メートルは超えるのではないかと思われる巨体を横たわらせ、しかし生きている様相でもない。
全体的に白一色で、瞳もなく呼吸もしている気配はない。
生者特有の気配も感じられず、寧ろオブジェと言われた方がしっくりくるぐらいである。
赤が占める世界にあって、やけにその白さが目立つがそれだけである。

「どちらにせよ、何かあるかもしれないし行ってみるか」

恭也の言葉に二人は頷き、当面の目的地として巨大な少女を目指す事にする。

暫く進み、恭也は足を止める。

「……人の気配?」

呟いた恭也の言葉を肯定するかのように、アルシェラと沙夜も何かを感じ取ったように足を止めており、
三人の視線は知らず前方の辛うじて残っていると言った感じの高さ数メートルの壁に向かう。
微弱ながらも人の気配がその向こう側から感じられる。
隣にある、これまた赤い作業着も久しぶりに見た文明を感じさせる物であった。
逸る気持ちを押さえ、恭也たち三人は壁の向こう側へと回りこみ、
そこで膝を抱え込んで顔を伏せている少年を見つける。
少年の方も音に気が付いたのか、やや緩慢な動作で顔を上げ、恭也たちの姿を見るなり泣きそうな表情を見せ、
次いで嬉しそうに笑みを見せ、泣き笑いの表情になる。
が、すぐに怯えた様子を見せ始め、けれども逃げようとはせずにまた顔を伏せてしまう。
恭也たちは顔を見合わせ、できるだけ怖がらせないように恭也が話し掛ける。

「あー、少し話を聞いても良いだろうか?」

恭也の言葉に少年は良いとも悪いとも答えず、ただ怖がるように顔を上げ、視線を逸らす。
完全に怖がっていると理解しつつも、恭也たちとしても初めて会った人である。
申し訳なく思いながらも、情報を聞き出す事にする。

「この世界について少し聞きたいんですか?」

恭也がそう質問した瞬間、少年はビクリと体を震わせ、ただごめんなさいと繰り返す。
怯え、許しを請う少年の前に膝を着き、恭也は幼子をあやすようにその背中を撫でてやる。
触れた瞬間にまた怯えたように体を振るわせる少年であったが、すぐに大人しくされるがままになる。
やがて、徐々に落ち着きだしたのか、少年はゆっくりと話し始める。
この世界は恭也たちの居る世界と非常に似た歴史を辿って来た世界であり、
ただ違うのはセカンドインパクトと呼ばれる地軸さえも狂わせた現象である。
少年は自らを碇シンジと名乗り、この世界に起こった事を話し始める。
使徒と呼ばれる存在と、それを倒す為の決戦兵器エヴァンゲリオンを有する組織ネルフに纏わる話を。
全てを話し終えた少年は疲れたのか今は寝息を立てている。
時折、悪夢でも見ているのか魘されているようで、知らず握った恭也の手を強く握り締めてくる。

「とんでもない話だったな」

「そうじゃの。
 守るべきはずの組織の長が自らの計画の為にインパクトを企み、その上の組織に至っては端からそれが目的とは」

「それらの思惑が絡んだ結果がこの世界という訳ですね」

沙夜の言葉に改めて周りを見渡す。
生きる者のない、ただ赤い世界。こんな世界に取り残されたたった一人の少年。
シンジ自身もどのぐらいこうしていたのか分からないらしい。
変化しない気候では日数や時間など分かるはずもないし、空腹も不思議と感じないとなれば余計にだろう。
もしかすると、時間からも解放されたかもしれない世界。
ある意味、これも不老と言える状況かもしれないが、たった一人だと思えば羨ましくも何ともない。

「その点、異世界に飛ばされまくっている状況でもお前たちがいる俺は幸せかもな」

「……そ、そうじゃぞ。もっと感謝しても良いぞ」

「あらあら、そのような嬉しいお言葉を頂けるなんてどうしましょう」

不意打ちのような恭也の言葉に思わず照れる二人を微笑ましく見つめながら、恭也はどうしたものかと思う。
今の話が事実なら、人はシンジ一人。他に調べようにも、書物もコンピュータも使い物にはならない。
世界中が恐らくはこうだろうとシンジは語ったが、それに間違いはないだろう。
ここに来て帰る手筈が全くつかめない状況に置かれるとは。
そんな事を考えていると、シンジが目を覚ます。
そして、恭也たちの姿を見ると本当に嬉しそうな顔を見せる。夢でなかった事が嬉しいらしく、
恭也たちが存在するという事はいつかは他の人も戻ってくるのだと希望が出てきたからだが。
それに対し、恭也は申し訳ないと思いつつも、自分たちが異世界から来た事や、帰る手段を探している事を伝えると、
また沈んだ表情を見せる。が、この世界の状況を思い出し、申し訳なさそうになる。

「だとしたら、帰る方法は……」

暫し沈黙が落ちる中、アルシェラは何かに気付いたかのようにシンジを見つめ、
逆にシンジは照れたように視線を逸らす。

「ふむ」

「あらあら、アルシェラさんは恭也様から乗りか……」

全て言い終わらない内に沙夜が先程まで座っていた場所の地面が弾け飛ぶ。
一早く察した沙夜は飛び退いており事なきを得たが、すぐさま反撃するべく掌をアルシェラへと向け、

「そこまでにしておけ」

恭也が二人の間に割って入って止める。

「しかし、そ奴が……」

「アルシェラ」

「うっ、分かったのじゃ。今回は大人しく引いておこう」

「沙夜も」

「……申し訳ございません、恭也様、アルシェラさん」

突然の事態に目を丸くしているシンジに軽く詫びてから、恭也はアルシェラに改めてどうしたのか尋ねる。

「ふむ、気のせいではないみたいじゃな」

恭也に問われ、改めてシンジを値踏みするように眺めると、アルシェラはシンジを指差し、

「こ奴の中には相当量の力が詰まっておるぞ。
 仮にこの世界の住人と余の世界の人が同じであると仮定すれば、人の器では収まりきれん程の力がな」

「だとして原因はやっぱり……」

「恐らくはそうでしょうね。
 依り代にされ、選択を迫られたと仰られていましたが、何らかの儀式の中枢となっていたみたいですし」

「その際に力を溜めておくタンクとなったのか、
 儀式を遂行する上で必要なエネルギーが中途半端に儀式が行われた事で使い切れずに残ったのか」

詳しくは分からないが、とりあえずシンジの中には相当量の力が溜め込まれていると告げる。
その力を使えば、もしかしたら異世界へと渡れるかもしれないと。

「だが、そうするとまたこんな世界でシンジ君は一人に」

気にするなとシンジは言うものの、その顔はやはり寂しそうであった。
どうしたものかと考え込む一同であったが、すぐに答えを出す事も出来ずとりあえずは休む事にする。
と言うよりも、シンジが考え込むうちに眠ってしまったのである。
久しぶりに人に会えて話したからか、ともあれ眠るシンジを見守るように三人は他に何か案がないか考える事にする。
と、不意にシンジが目を開け、

「……えっと」

何か言いたそうにしているので黙って促してやる。
やがて、シンジの口から信じられない言葉が出てくる。
異世界を繋ぐ方法があり、その為のエネルギーは今の自分で足りないと。
サードインパクト、その力を利用すればあるいはという物であった。
何故、そんな事が分かったのかと尋ねる恭也たちの目の前にシンジは掌を差し出すと、そこに赤い小さな球が現れる。

「これは?」

「僕の話の中に出てきた綾波の残滓のようなものらしいです。
 サードインパクトの瞬間、綾波の一部が僕の中に入ってきていたらしくて、さっき夢で会いました。
 そこで綾波が言っていたんです」

俄かには信じ難い話ではあるが、それは自分たちがこの世界に居る異常は言わぬが華である。
恭也は詳しい話をシンジに頼む、それに答えてシンジも話し始める。
所々、怪しい所もあったが総合すると、
サードインパクトを利用すれば恭也たちなら世界を渡れるかもしれない。
これは恭也たちが既に何度も渡っている為、他とは違う感覚を感じ取れるだろうかららしいが。
次にその為にはサードインパクトを起こさないといけないが、その為の問題が二つ。
一つはシンジ自身が起こそうと思って起こせる物ではない事。
もう一つは仮に起こせば、またこの世界がどうなるのか分からないという事。
が、これに関しては解決策があるらしく、シンジはやや自信なさそうにだが語る。
シンジの中のエネルギーを利用して、過去に戻る。
正確には世界を再構成するらしい。
これにより、記憶を持たない者たちは同じ行動を取る事となり、サードインパクトを起こそうとするだろうと。
そして、二つ目の問題に関しては、エネルギーは全て恭也たちが使うので今回のようにはならないだろうと。
その上でシンジも流されるばかりだった状況を少しでも変えようと頑張ろうと思うと口にし、
良いかどうか聞いてきたのだが、

「俺たちとしても可能性があるのなら願ったり叶ったりだ」

「そうじゃな。じゃが、そう簡単に上手くいくかの?」

「その辺りは沙夜たちで少し鍛えてあげれば宜しいのでは?」

沙夜の言葉に恭也とアルシェラはそうだなと頷き、逆にシンジは遠慮なのか嫌なのか言葉を濁す。
が、結果として三人から少しとは言え鍛錬を受ける事となるのだが。
こうして、恭也たちは新たな仲間を一人、いや二人加え、元の世界へと戻る為の計画を練るのであった。



恭也と剣の放浪記 〜福音を呼ぶ者〜




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