『マブハート』






第1話





恭也にとって長い午前の授業がようやく終わり、思わず大きく息を吐き出す。
そのまま机に突っ伏してしまいそうな恭也へ、笑いながら一人の男子生徒が話し掛けてくる。

「大変だったな、恭也」

「武か。楽しそうだな」

「まあな。何せ、人事だからな」

「はぁ、お前らしい。と、いつまでもグズグズしていると昼食を食べ損ねてしまうな」

「ああ。食堂に行こうぜ」

「そうだな」

言って立ち上がった恭也と共に食堂へと向かおうとする武に、幼馴染の鑑純夏が声を掛ける。

「ちょっと待ったー、タケルちゃん!」

「なんだよ純夏。早く行かないとやきそばパンが売り切れちまうだろう」

「いや、流石にそれは今から行っても無理だろう」

武の言葉に恭也が突っ込み、純夏は自信満々の笑みを浮かべて腕を組む。

「ふっふっふ。何と、タケルちゃんのお昼ご飯はここに!」

「って、純夏の弁当か」

「何よ、何なのよ、その反応は!
 折角、おじさんやおばさんが昨日から旅行に行ってて居ないから、
 栄養が偏っているであろうタケルちゃんのために、早起きして作ってあげたのにさ。
 何よ、そんなに言うんなら、高町くんにあげるからね!」

「むっ。恭也にお弁当だと」

それまで黙って恭也の傍に控えていた冥夜が、純夏の言葉に目付きも鋭く純夏の手元の包みを見詰める。

「あ、いや、今のは冗談って言うか、言葉の綾と言うか…」

冥夜の反応にしどろもどろになる純夏を武は楽しそうに見遣る。

「ふっふっふ。どうしたんだ〜、純夏〜。恭也に弁当をやるんじゃなかったのか〜。
 ああー、残念だ。折角、純夏の弁当が食えると思ったのに、純夏は恭也にあげたいのか〜」

「ほう、そうなのか、確か鑑だったな」

「いや、あの、御剣さん。これは…」

「武、そろそろ止めた方が良いんじゃないか。というか、冥夜もちょっと待て」

「いや、止めてくれるな恭也。幾らお主の頼みとは言え、こればっかりは見過ごせぬ」

「あははははー。純夏のやつ、マジでビビってるぞ恭也」

「……なんで笑ってるんだよ! 元を辿れば素直に受け取らないタケルちゃんが悪いんじゃないか!
 良いから、黙って食べて、いや、食べろ!」

「うおっ! や、やめろ! 弁当箱を顔に押し付けるな!
 くっ、このっ!」

武は純夏の弁当攻撃を躱すと、その額にデコピンを思いっきりぶつける。

「あいたーーっっ! なにするかーーー!!」

「何するか、じゃねぇ。って、ちょっと待て純夏。
 今のは誰がどう見ても、お前の方が悪いだろうがっ」

両腕を構えて身体をゆらゆらと揺らし始めた純夏に武がそう告げるが、
純夏は聞く耳持たないとばかりに武との距離を詰めていく。

「恭也、何とか言ってくれ」

「確かに先に手を出したのは鑑だったが、その原因はお前だからな」

「うっ! わ、分かった。おーけぇい、純夏。
 ここは平和的に話し合おう。って、言っているのに、何で腕を振りかぶる」

「ドリルミルキーパンチッ!」

「マッヅォォーーンッ!」

純夏の拳が武の顎を捉え、その身体を吹き飛ばす。
その一連の騒動に、純夏に詰め寄っていた冥夜は戸惑う。
そんな冥夜に恭也が話し掛ける。

「気にするな。二人のこれはコミュニケーションみたいなもので、日常茶飯事だ」

「ほう、そうなのか。しかし、変わったコミュニケーションだな」

恭也の言葉に素直に頷く冥夜に苦笑を洩らしつつ、さっきの事を注意すべく口を開く。

「それよりも、さっきのはやり過ぎだぞ冥夜」

「う、すまない。私とした事が。反省している」

「まあ、反省しているのなら、これ以上は言わないが」

「おお、許してくれるのか。そなたに感謝を」

「大げさな」

「いや、大げさなものか。恭也に否定されてしまったら私は…」

「わ、分かったから。それよりも、早く昼食にしよう。このままだと本当に時間がなくなる。
 そう言えば、冥夜はどうするんだ」

「うん? 私の心配をしてくれるのか」

「いや、心配とか以前に、いや、もう良い。それよりも、弁当じゃないんだな。
 じゃあ、早く学食へ…」

「待て、恭也。昼食の準備なら出来ておる。無論、お主の分もだ。
 月詠!」

恭也を呼び止めた後、冥夜は誰かの名を呼ぶ。
それに応えるように、冥夜の背後に一人の女性が姿を見せる。
行き成りの登場にざわめく教室の中、恭也は一人納得していた。

(朝方から感じていた気配は、彼女のものか)

殺意や害意がないので放っておいたが、どうやら冥夜の関係者らしいと分かり恭也は警戒を解く。
そんな恭也に気付かず冥夜は恭也に顔を向ける。

「それで、恭也は何が食べたい」

「何とは? 別に好き嫌いはないから、何でもいいぞ。ああ、出来れば甘いものは避けてくれ。
 とは言っても、ケーキなどの甘いものが弁当にはないだろうから安心だがな」

「ふむ、恭也は甘いものが苦手なのか。しかし、何でも良いと言われてもな。
 遠慮せずに何でも言うがよい。すぐにシェフたちが作ってくれる」

「はぁ? それはどうい…」

恭也が今の冥夜の言葉の意味を問いただそうとした時、教室の外、
校庭に面した方からなにやらプロペラの回る音が響いてくる。
気になった生徒が数人顔を出し、

「ヘリコプターだ! しかも、たくさん!」

「お、おい、何か飛び降りたぞ!」

その言葉につられるように、他の者も窓から外を覗く。
他のクラスも騒がしい事から考えれば、どこの教室も同じような状況なのだろう。
ヘリコプターから降り立った影は、そのまま校舎の中へと列をなして入ってくる。
恭也は嫌な予感を覚えつつ、冥夜へと話し掛けようようとして、それよりも早く教室の扉が開かれる。
教室に何人ものシェフの格好をした人たちが入ってきて、前にずらりと並ぶ。
教室の前だけには収まり切らず、その列はずっと廊下へと続いている。
それを見届けた後、月詠と呼ばれた女性が冥夜に頷いてみせる。
月詠の合図を受け、冥夜は胸を張ると恭也へと自信満々に告げる。

「さあ、恭也。好きなものを言うが良い。
 ここに居るシェフたちは、いずれもその道を極めた者。
 きっと、そなたの望むものを作り上げてくれるぞ」

「まさか、今から作るのか」

「ああ。さあ遠慮するな」

唖然とする恭也の元へ、教室の扉を開けて美由希がやって来る。

「恭ちゃん、表見たって言うか、この行列は何!?」

驚く美由希へと、騒がしさに起きた忍が簡単に説明をしてやる。
それを聞き、美由希は恭也と冥夜の間に割って入る。

「悪いんだけれど、御剣先輩。恭ちゃんのお弁当は私が用意してますから。
 ほら、恭ちゃん、食べよう」

「あ、ああ。…って、ちょっと待て。すまんがもう一度言ってくれるか」

「だから、恭ちゃんのお弁当は私が持っているって言ったの」

「晶かレンが作ってくれたのか?」

「ううん。私が作ったの」

「…………冥夜」

「何だ、恭也」

「何を頼んでも良いんだよな」

「ああ、勿論だ」

「ちょっ、ちょっと恭ちゃん!」

驚いた声を上げる美由希の声を完全に無視して、恭也は少しだけ考えて口を開く。

「なら、満漢全席を」

恭也の言葉に教室がざわめき出す。

「よし、分かった。出来るな」

冥夜の問い掛けに、シェフたちは一斉に返事を返す。
逆にこれには恭也が驚く。

「いや、出来るのか!? その前に冗談だ」

「冗談? 冗談なのか。
 うむ、いまいち私は冗談というものが分からないらしい。許せ」

「あ、いや、今のは俺が悪かった。えっと、適当に頼む」

「そうか、分かった。月詠」

「はっ」

冥夜が月詠へと指示を出し、月詠は何事かをシェフたちに指示する。
それを受けてシェフたちが一斉に動き始める中、飲み物を買いに出ていた委員長こと、榊千鶴が戻ってくる。

「ちょっと! 廊下の行列は一体なに!?
 なんの騒ぎなの!?」

怒れる委員長へと、美由希が仕返しとばかりにこの騒ぎの顛末を嬉々として説明する。

「御剣さん、すぐに撤退させなさい」

「そういう訳にはいかん。恭也の昼食だからな」

「だったら、高町くん。今すぐに撤退するように言って」

「仕方ないか。冥夜、そういう訳だから、また今度な。
 今日の所は」

「分かった。恭也がそう申すのなら従おう。月詠」

再び月詠に指示を与え、月詠がそれを実行するとぞろぞろとシェフの列が校舎から出て行く。
校庭に止められたヘリコプターに全員が乗り込むと、ヘリコプターは上空へと去って行く。
その様子を見届けると、美由希は嬉しそうに弁当箱を手に恭也に近づく。
が、恭也はこれを綺麗に無視すると冥夜へと話し掛ける。

「それにしても、昼飯一つでここまでする、いや、できるとはな。
 冥夜、お前は一体…」

恭也が問い掛けるが、冥夜は何処か忽然とした表情で何かを噛み締めてもごもごと口を動かす。

「冥夜?」

「おまえ…、おまえ…、おまえ…。恭也が私をおまえと…」

「あ、わ、悪い。じゃなかった。すまない。
 つい口調が悪くなってしまったみたいだ。
 冥夜が親しく接してくるので、今日会ったばかりではないような錯覚を覚えてしまってな」

「いや、良い。寧ろ、私は嬉しく思うぞ。
 そなたがああいう口調を用いるのは、本当に親しい者のみなのであろう。
 それを私に用いたということは、私もそなたにとって親しいと認めて貰えたという事だからな。
 それに、そなたにおまえと呼ばれるのは、とても、その…何と言うか、うん、良いものだ。
 おまえ、おまえ、おまえ……」

またすぐに浸るかのように目を閉じて、胸にそっと手を当てる冥夜を恭也は止める。

「いや、それはもう良いから」

「そうであったな。それで、そなたの質問だったが…」

「それには私からお答えさせて頂きます、恭也様」

恭也の前、冥夜の横に月詠が現れて笑顔でそう言ってくる。

「まずは遅くなりましたが、私は冥夜様にお仕えするメイド長の月詠真那と申します。
 以後、お見知りおきください」

「あ、これはどうもご丁寧に…」

「それでは簡単に説明をさせて頂きますね」

互いに頭を下げ合った後、月詠は口を開く。

「こちらにおわすお方こそ、世界に名だたる御剣財閥の次期当主、御剣冥夜様でございます」

『み、御剣財閥!?』

月詠の言葉に教室から驚きの声が上がる中、恭也は小さく眉を動かすだけだった。
あまりにも小さな変化だったため、月詠は気付かずに話を続ける。
その内容は御剣財閥が手掛けている業務や子会社の説明から始まり、終いには製品に関する説明へと移って行く。
その途中で恭也は腹が空いている事を思い出し、冥夜へと顔を近づけて小声で話し掛ける。

「…冥夜」

「う、うむ。な、何だ」

平然を装っているが、横目で恭也の様子を窺い、至近距離にある恭也の顔に赤面して視線を逸らす。
それでも、恭也に呼ばれて近づかれた為か、顔を遠ざけるような事はしなかった。
そんな冥夜の様子に気付かず、恭也はその耳元で小さく続ける。

「あれ、長くなりそうか」

「…そうだな。月詠のあれが始まると少なくとももう暫くは続くだろうな」

「所で、俺は昼を食べたいんだが…」

既に武は知らん顔を決め込んで純夏と共に自分の席で弁当を突っついている。
忍も持参していたアセロラジュースのパックにストローを突き刺し、美味しそうに飲み始めている。

「む、それはすまない。ここは私は何とかする故、そなたは食堂で食事を取ってくるが良い」

「おまえはどうするんだ」

「おまえ…、おまえ…」

「いや、いい加減に慣れてくれ」

「んんっ、努力しよう。私の事は別に気にしなくても良い」

「そうもいかないだろう。あのシェフたちを帰したという事は、冥夜も昼はないんだろうしな。
 …今の時間なら混んではいないだろう。よし、行くぞ、冥夜」

恭也は時間を確認し、昼休みも半分以上過ぎている事を知ると、冥夜の手を掴んで食堂へと向かう。
このまま放っておくと、冥夜は昼を抜く事になりそうだし、
何よりもここで話し合っている時間そのものが勿体無いと。

廊下へと出た恭也は、すぐ横を顔を俯かせて歩く冥夜に話し掛ける。

「冥夜はまだ食堂の位置も知らないだろうからな。案内ついでだ。
 どうかしたのか」

「…いや、その、そなたはこういうのは慣れているやもしれんが、私はそのどうも慣れていなくてな」

「何を言って…、す、すまない」

そこまで言って、冥夜の目が繋がれた手に行っていると気付き、恭也も顔を若干赤くしてその手を離す。
小さく名残惜しそうな声を出す冥夜に、恭也は少し早口で捲くし立てる。

「別に俺だってこういう事をしょっちゅうしている訳ではいぞ。
 それに、慣れてなんかいない。さっきのは夢中だったから」

「いや、そなたが謝る事ではない。寧ろ、私は嬉しかったぞ。
 それに、こういった事に慣れていないと聞いて安心した」

手を触ったぐらいで恥ずかしがるのに、そうはっきりと照れもなく言い切る冥夜に、恭也は小さな笑みを零す。

「何故、そこで笑う。私は何かおかしな事を言ったのか」

「いや、そうじゃないよ。本当に何でもないから気にするな。
 それよりも、ほら。あそこが食堂だ」

「ほう、あの建物がそうなのか。して、どうすれば良いのだ」

「まずは食券を…」

食堂の利用法を実演しながらして見せると、冥夜は興味深そうに真似をしようとする。

「恭也、カードはどこに入れれば良い」

「…まあ、予想していたがな。これを使え」

何となくこうなるんじゃないかと思っていた恭也は、予め財布から出しておいた千円札を投入する。
身近に居るもう一人のお嬢様は、かなり庶民的なのでこういう所は問題ないのだが。
礼を言う冥夜だったが、ボタンに書かれたメニューを見て首を捻る。
何に悩んでいるのかすぐに分かった恭也は、簡単にそのメニューの説明をしてやる。
この後も色々と説明をしながら、二人は空いていた席で何とか昼食を取り終える。

「恭也、本当に助かった。そなたに感謝を」

「大げさだな」

冥夜の言葉に笑いながらも礼を受け取った二人へ、丁度、廊下に出てきた千鶴が声を掛ける。

「良かった。二人とも戻ってきたのね」

「どうしたんだ、委員長」

「どうもこうも、もうすぐ授業が始まるんだから、あれを何とかしてよ」

言って千鶴が指差す先には、未だに説明を得意げにしている月詠と、
弁当箱を抱えて教室の隅でいじける美由希の姿があったとか。






つづく







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