突如開かれた二つの扉。
その先には、今まで人々が神話や伝説などでしか知らなかった神族の住む神界、魔族の住む魔界があった。
その扉が開かれた事により、人間界に大きな変化が訪れた。
開門と呼ばれる三つの世界が繋がったその日より、十年ほどの時が経った今、
神族や魔族も、ごく普通に受け入れられ、人間界で暮らしていた。
これは、そんな世界で起こった一つの物語……。



『とらフル』

プロローグ これから始まる時



私立風芽丘学園。
今、この学園の中庭で一人の男が大勢の女生徒に詰め寄られていた。
男の名前は高町恭也。
彼に詰め寄る生徒たちは皆、彼の非公式ファンクラブの子たちだった。
事の起こりは恭也が昼食を食べ終えた直後の事だった。
天気も良く、梅雨入り前の五月晴れとあって、恭也は中庭で昼食を取ったのだが、そこへ現れたのが件のFCたち。
恭也と共に昼食を取っていた妹や友達も巻き込み、その前で一つの質問をしたのだった。
その質問とは、「誰か好きな人がいるのか?」というものだった。
その質問に、困ったように助けを求める恭也だったが、
彼に密かに好意を抱いていたその友達たちもそれに便乗し、詰め寄るという始末。
彼は自分に好意を寄せる者がいるなど露にも思っておらず、その質問も興味本位としか受け取らなかったが、
逃げ道を塞ぐように囲まれては、観念するしかなかったのであった。
覚悟を決めて想い人の名を口にしようとした所、突如聞きなれない声が中庭に響く。

「お父様」

その澄んだ美しい声の主へと、自然と全員の視線が移る。
そこには、魔族特有の尖った耳に腰まで届く長い髪。
全体的にお淑やかな雰囲気を纏った美少女が立っていた。
その容姿に図らずも、この場にいる者誰もが溜め息を吐いてじっとその少女を見詰める。
見詰められる視線に、もしくは沈黙に耐え切れなくなったのか、少女は身体をもじもじとさせた後、
思い切ったようにもう一度、同じ言葉を口にする。

「お会いしたかったです、お父様」

単語の意味は分かるのだが、それが何故、自分へと向けられているのか分からず、
恭也はただ無言のまま少女を見詰め返す。
じっと見詰められて嬉しそうな恥ずかしそうな顔を見せるものの、恭也から何のリアクションがない事に、
その瞳に不安の色が、表情に翳りが浮かぶ。
それから、ゆっくりと遠慮がちに口を開く。

「あの、どうかしましたか?」

「あ、ああ、いや何でも。それで、君のお父さんというのは?」

恭也は気を取り直すと、この学園にいる教師の娘さんだろうと考えてそう切り出す。

「えっ! ですから、お父様ですよね」

確認というよりも、事実を述べているといった感じの少女の言葉に恭也は混乱する。

「えっと、君のお父さんの名前は?」

「高町恭也ですけれど…。ひょっとして、違いましたか?
 だとしたら、本当に申し訳ございません。お母様から見せて頂いた絵に描かれていた方とそっくりだったので」

「あ、いや、高町恭也は俺だけれど」

「それでは、やはりお父様ですね!
 本当にお会いしたかったです」

会話がまた最初に戻ったような気がして軽く眩暈を覚える恭也に、忍が揶揄するように話し掛ける。

「恭也〜、本当に身に覚えがないの〜?
 恭也の名前も知っているみたいだけど、この子」

「あのな…。本当に身に覚え……」

呆れたように呟き、忍の言葉を否定しようとした恭也だったが、その言葉が途中で止まり、
忍たちから白い目で見られる。

「恭ちゃん、やっぱり身に覚えがあるんだね!」

「そ、そんな恭也さん…」

「師匠! もしそうなら、その態度はあんまりです」

「そうですよ、お師匠。見れば魔族の方らしいですし。
 お師匠に会うために、遠路はるばる来られた娘さんじゃないですか」

「いや、とりあえず落ち着け、お前ら。
 えっと、そう言えば名前をまだ聞いてなかったな」

「あ、はい! ネリネと申します」

「そうか。じゃあ、ネリネ、君は今、何歳なのかな?」

「私、ですか? 私は17になりますけれど」

ネリネと名乗った少女の言葉を聞き、恭也が美由希たちへと向き直る。

「もし、この子が俺の娘だとしたら、俺は2歳の時にこの子の母親と知り合っている事になるとは思わないか?」

「い、言われてみれば…」

恭也の言葉に納得する美由希たちだったが、そこへ新たな声が降ってくる。

「それがそうでもないんですよ、恭也さま」

新たな声の主はネリネよりも背が低く、こちらもまた魔族特有の耳をしており、どことなく顔立ちがネリネに似ている。
ネリネの妹とも思える女性はネリネの横へと立つと、恭也へと微笑み掛ける。
その女性を見て、恭也が驚いたような声を上げる。

「セ、セージ!?」

「はい、そうですよ恭也さま。それとも、あたし以外の誰かに見えますか?」

「いや…。でも、どうしてここに?」

「それは、色々と理由があるんですけどね。
 とりあえず、その一つはネリネちゃんと会わせるためですね」

「ネリネと?」

「そうですよ」

楽しそうに笑うセージの横で、ネリネは少し不安そうな顔をセージへと向ける。

「あの、お母様」

『お母様!!?』

恭也も含め、その場に居た者全員が信じられないものを見たというように大声で叫ぶ。
今までにも言われて来たけれど、その反応にセージは少し膨れる。

「何か可笑しいですか! 他の方は兎も角、恭也さままで!
 どうせ、あたしは成長してませんよ!」

「あ、いや、それはそのすまない。とは言え、本当にあの頃と殆ど変わって……」

何かを言いかけていた恭也は、セージに睨まれて口を閉ざす。
それから話を逸らすようにネリネを改めて見る。

「そうか、セージの娘か。……って、セージの!?」

納得したのも束の間、驚いた顔でセージを見た後、恭也は溜め息を吐く。

「まあ、そうだな。よくよく考えてみたら、セージのような女性を男が放っておくはずもないか」

落ち込む恭也の言葉が聞こえたのか、セージは恭也の前に立つと人差し指を立てて怒り出す。

「恭也さま! 今の言葉は流石に聞き捨てになりませんよ!
 あたしの事をそんな風に見てたんですか!
 あたしが恭也さま以外の人と、そういう関係になると思っているんですか!
 あたしは恭也さま以外の人とは、その……経験はないです!」

あまりの剣幕で怒鳴るセージの言葉に、恭也はネリネを一度見てからセージへと尋ねる。

「じゃ、じゃあ、この子は」

「正真正銘、恭也さまと私の子です!
 ネリネちゃんから、お父様って呼ばれませんでしたか?
 今まで話だけで会ったこともないお父さんに会えるっていうんで、
 ネリネちゃんは昨日からずっとソワソワしてたんですよ。
 最初にお父様って呼びたいからって、あたしは少し遅れて来たというのに…」

「いや、確かにそう呼ばれたが。
 だが、普通に考えて、自分と大して年の変わらない女の子にいきなりお父様と呼ばれて納得すると思うか?」

「…そ、それはまあ、確かにそういう場合もありますね」

「いや、こっちの反応の方が寧ろ普通だろう」

「と、兎に角、ネリネちゃんはあの時に出来た子供なんです」

誤魔化すように言ったセージに、恭也はようやく納得したように頷く。
それを見て、それまで黙っていたネリネがおずおずと恭也の前へとやって来る。

「お父様」

「始めましてだな、ネリネ」

「あ、はい!」

ようやく貰えた言葉にネリネは嬉しそうに微笑む。
その横でセージも嬉しそうにしている。
そんな家族の団欒とも言える場面に、忍が無粋にも割って入る。

「え〜っと、納得した所で悪いんだけれど、私たちは完全に置いてけぼり?」

「ああ、そうだったな。さて、どう説明するか…」

恭也は少し考えた後、ゆっくりと語り出す。

「ゴールデンウィークの初日、忍の家に行ったのは覚えているか?」

「うん。勿論よ」

周りからの嫉妬の視線も気にせず、忍はにっこりと微笑みながら頷く。

「その時に、お前がヨーロッパの親戚から貰ったという鏡を俺に見せたのは?」

「勿論、覚えているわよ! 何たって、魔界の一品だって言うじゃない。
 これは恭也たちにも見せてあげようと思ったのよね。
 ああ、そう言えばあの時、美由希ちゃんと那美が転びそうになってあたふたしてたわね〜。
 結局、鏡を巻き込む形でこけたんだけど」

「ああ。その所為で、俺が…」

「そうそう。そしたら急に光が部屋いっぱいに満ちて、目を開けたら恭也の姿が何処にも見えなかったのよね。
 悪戯でもするために隠れたのかと思って、私たちはお茶にしたんだったわ」

「……少しは心配しろよ」

「いや、だって悪戯だと思ったんだもん。
 現に、2、30分ぐらいで戻ってきたじゃない」

忍の言葉に言うだけ無駄と思ったのか、恭也は話を進めることにする。

「あの時、確かに30分ほどだったかもしれないが、俺は一ヶ月以上の時間を過ごしていたんだ。
 それも、過去の魔界でな。約十八年前の」

恭也の言葉に驚いた忍は、ようやく納得がいったとばかりにしきりに頷く。

「だから、あの鏡を人目の触れない所へとやるように言ったのね」

「ああ。実際は、あの鏡はかなりの魔力がないと発動しないらしいんだがな」

「あれ? じゃあ、何であの時は発動したの?」

「さあな。だが、またいつ発動するのか分からない以上、あれは隠しておく方が良い」

「まあ、私も地下の倉庫に入れてから、今言われるまで忘れてらぐらいだから、別に良いけれどね。
 じゃあ、何? その過去に行った時にセージさんと知り合ったって事?」

忍の言葉に恭也は頷き、その横でセージも頷く。
その辺の事情までは知らなかったネリネが、初めて聞く話を興味深そうに聞いていた。
納得のいったらしい忍たちをひとまず置き、恭也はセージへと改めて向き直る。

「俺にとっては数ヶ月ぶりだが、セージにしてみたら約20年ぶりなんだな」

「そうですよ」

「どうしてもっと早くに来ようとしなかったんだ」

「出来たら、すぐに行ってますよ。開門によって人間界と繋がった時にすぐに。
 でも、その時の恭也さまはまだ、あたしたちの事は知らないわけですから」

「そうだったな。でも、またこうして会えて嬉しいよ」

「あたしだって嬉しいですよ。ずっとずっと会いたかったんですよ。
 でも、恭也さまから聞いていた時間軸を通り過ぎるまではと…」

恭也にとっては数ヶ月ぶりの、セージにとっては約20年ぶりとなる再開に水を差すのも悪いと思ったのだろう、
忍たちにより、全員がこの場から立ち去っていた。
そんな親友の行動を感じて感謝しつつ、恭也はセージをそっと抱き寄せる。
セージも恥ずかしそうに頬を染めつつも、久しぶりの抱擁に嬉しそうに身を任せる。

「これからはずっと一緒に居られるのか?」

「はい。魔王様から許可も頂きました」

「そうか、フォーベシイには今度、礼を言っておかないとな」

「多分、私と恭の仲じゃないか、とか仰られるでしょうけれどね」

「確かに、あいつらしいな」

言いながらセージの髪に手を置き、そっと掬うように撫でる。
目を細めて恭也の胸に顔を埋めていたセージだったが、不意に不安そうな瞳で恭也を見上げる。

「恭也さま、あたしは15歳程年上になってしまいましたけれど、構わないんですか」

「そんな事を気にするな。セージはセージだろう。それに…」

「むー、成長してないって言いたいんですね!
 これでも、少しは成長しているんですからね」

「そうか。それじゃあ、それは後でたっぷりと見せてもらうとしよう」

「…恭也さまのえっち」

「何がだ? 俺は別に変な事は言ってないぞ。
 今は抱きしめていたいから、向き合うのは後にしようって事だぞ。
 その時にゆっくりとセージを見ようとしただけで。で、セージは何を考えたんだ?」

「っっ。う、も、もう知りません」

拗ねて恭也の胸を何度も叩くセージに、恭也は苦笑を漏らす。

「わ、悪かったって。許してくれ」

「知りません! あんな事を言う恭也さまには、絶対に見せてあげませんからね。
 どうも、見たくないみたいですし」

「そんな事はないって。本当に。俺が悪かったから、機嫌を直してくれ」

「…本当に反省してますか」

「ああ」

「だったら、許してあげます」

そう言って微笑むセージにつられるように、恭也も笑みを浮かべる。
セージの髪に触れていた手がゆっくりと降りて来て、首筋から頬へと至る。
セージはゆっくりと瞼を閉じ、少し顎を上げるようにして何かを待つ。
恭也はそんなセージへとそっと顔を近づけると、自身もまた目を閉じ、その唇にそっと触れる。
口付けをする二人の横で、完全に忘れられているネリネは顔を紅くしつつも、
下手に動いて二人の邪魔をする訳にもいかず、ネリネはただただ早く時間が過ぎるのを待つのだった。



ようやくネリネの存在に気が付いた二人は、どこかばつが悪そうな顔になる。
そんな二人へとネリネは優しく微笑む。

「お父様もお母様も大変仲が良いんですね」

本当に嬉しそうにそう告げるネリネに二人は返答に困り、恭也は誤魔化すように口を開く。

「そう言えば、こっちに来た理由が他にもあるみたいな事を言ってたな」

「あ、そうなんですよ。聞いてくださいよ、恭也さま。
 昔、ネリネちゃんが一度だけ人間界に来たことがあったんですけれどね」

「そうなのか?」

「はい。魔王様に連れて行って頂いて」

恭也の問いに頷くネリネの頬は、何故か赤くなっており、恭也はセージへと続きを求める。
それに応えてセージは続ける。

「実は、その時に出会った男の子の事を…」

「お、お母様」

セージの言葉に顔を真っ赤にするネリネを見て、鈍感の恭也も事情を察する。
ようやく会えた娘が既に大きく成長しており、その上そんな話まで聞かされて恭也は複雑な顔付きになる。
そんな恭也の胸中をはっきりと理解しているセージは、恭也の腕に自分の腕を絡ませる。

「ほら、拗ねないでくださいよ。恭也さまにはあたしがいるじゃないですか」

「別に拗ねてはいないぞ。まあ、ちょっと複雑ではあるがな」

またしても二人の世界へと入りそうになる恭也たちに苦笑をしつつ、ネリネは恭也の逆の腕を取る。

「お父様、私だってちゃんと居ますよ。
 その、稟さまに対するのとは違いますけれど、一番好きな男性はお父様ですから」

ネリネの言葉に恭也は嬉しそうな顔を見せると、その頭を撫でようとするが腕が塞がっていて出来なかった。
苦笑を漏らす恭也へ、セージが楽しそうに告げる。

「そういう訳で、ネリネちゃんは人間界のその男の子がいる学校へと転入する事になったんです」

「そうなのか」

「ええ。魔王様の力添えもあって、同じクラスですよ。
 神王様の娘さんも同じ子に会うために転入するみたいですけれどね。
 リアさまの娘さんなんですよ」

「へー。で、その子は何年生なんだ」

「ネリネちゃんと同じ二年生ですね」

「何処の学校なんだ」

「それが、ここからは結構、遠い所なんです。
 だから、恭也さまには…」

「分かった。俺も転入しよう」

「「えっ!? 良いんですか?」」

どう説得しようかと考えていたセージとネリネは、同時に驚いたように尋ね返す。
そんな二人に笑みを返しつつ、

「どうせ、フォーベシイの事だから、手筈は済ませているんだろう」

「その通りです」

「……お父様。でも、本当に…」

「ああ、当たり前だろう。娘のためなんだから。
 それに、俺もセージと一緒に居たいしな」

「恭也さま」

恭也の言葉に感動するセージと、二人の仲の良さを微笑ましく見守るネリネ。
それぞれに反応を見せる二人の女性に腕を取られつつ、恭也もまた幸せそうな笑みを浮かべる。
こうして、その数日後、恭也たちはとある街に引越しをしていた。
親子共に、懐かしい人との再会と新たなる出会いが待っている街に。






→→ 続く →→







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