『とらフル』






#2 神王にも魔王にも凡人にもなれる男誕生





二年のとあるクラスの教室の扉が開け放たれる。
開け放った人物、担任にして世界史担当である紅薔薇撫子は、そのままつかつかと教壇の前まで歩く。
教壇に手を置いてクラス内を見渡すと、その浮き足立った様子から転入生の事が知られている事を悟る。
そして、その情報源であろう少年を一瞥すると、やや疲れたようにそっと溜め息を零す。

「どうやら既に知っているみたいだが、今から転入生を紹介する」

その言葉と共に、教室中が一層騒がしくなる。
それを教壇を叩いて静まらせると、撫子は低い声を上げる。

「言っておくが、下手に手を出すんじゃないぞ。
 何せ、相手はお偉いさんの娘さんに神界、魔界の両界に影響力を持つ人物の娘さんなんだからな」

撫子はそう言いながら、その視線をクラス中ではなく、とある一点のみに向けて言う

「あのー、紅女史? どうして、俺様の方を向いているんでしょうか」

その視線の先、先程一瞥された眼鏡を掛けた少年が手を上げて発言する。
それを撫子はあっさりと断言するように切って捨てる。

「決まっているだろう、緑葉。お前には特に注意しろと言っているんだ。
 少なくとも、ある一人の娘に手を出した時点でお前の首が飛ぶぞ。
 これは比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味だからな。まして、冗談でもない」

「分かりました。つまり、本気なら問題ないんでしょう。
 それと、ばれないようにやれと」

緑葉と呼ばれた少年が不適な笑みを見せてそう言うと、撫子は呆れたように溜め息を吐く。

「麻弓、しっかり括りつけておくように」

「了解っ♪」

「って、何をするんだ麻弓。というか、そのロープは何処から出した。
 や、やめろー!」

「んふふふふ♪ 往生際が悪いのですよ、緑葉くん」

「せ、せめて亀甲縛りで…」

「変態ですよ! 変態がいるのです」

「う、うわぁぁー。じょ、冗談に決まっているだろう。って、や、やめ……」

その騒ぎを綺麗に見なかった事にして、撫子は廊下にいる三人の娘へと声を掛ける。
それに応えて教室の扉が開く。
同時、男子生徒数人がクラッカーを鳴らし、盛大に出迎える。

「おう! 中々面白いクラスじゃねーか」

「本当だね、神ちゃん。こんなに歓迎してもらえるなんて嬉しい限りだよ」

「二人とも、それは少し違うと思うぞ」

神王と魔王の後ろから教室へと入りながら、恭也は冷静に二人へと告げる。
一方、綺麗な女の子三人が転入してくるという情報だったにも関わらず、
入ってきた三人に男子から落胆の声が漏れる。
逆に、女子からは最後に入ってきた恭也を見て歓声が上がる。
それらの反応を気にも止めず、三人はぐるりと教室を見渡す。

「で、誰なんだ?」

気になるのか、恭也が魔王や神王へと尋ねる。
魔王がすっと腕を持ち上げ、一人の少年を指差す。

「彼だよ」

魔王に指差されて驚いた顔を見せる少年へと恭也の視線が飛ぶ。

「まあ、ネリネが自分で決めた事なら、俺は何も言わないが。
 その、彼はどういった人物なんだ」

「そう心配すんな、恭の字。人柄は間違いないって」

「そうそう。その辺は私と神ちゃんが保証するよ。
 まあ、うちのプリムラちゃんが勝つ事になるだろうから、恭くんの心配も杞憂に終わるよ」

「おいおい、まー坊。流石にそれは聞き捨てならねえな。
 稟殿の心を奪うのはうちのシアに決まっているだろう。
 何せ、親の俺が言うのもなんだが、あいつは良い女性に育っているんだ」

「何を言うんだい。
 うちのプリムラちゃんの可愛らしさと言ったら、それはもう魔界、いや、三界一なんだよ」

「おいおい、ネリネだって捨てたもんじゃないと思うぞ。
 長い間会えなかったのに、ちゃんと俺を認めてくれるぐらい優しいんだ。
 それに、器量もセージに似て良い」

三人の親による娘自慢が始まる中、呆然となるクラスの中で一人の少女が手を上げる。

「あの…」

「どうした、芙蓉」

「それで肝心の転入生の子たちは…」

そう呟いた時、教室の扉が開き一人の少女が飛び込んでくる。
少女は声高らかに娘の自慢、悪く言えばプライベートな部分まで喋り出した神王へと椅子を振り下ろす。
椅子による脳天殴打により沈黙した神王の隣に立つと、少女は怒りも顕にする。

「もう、お父さん恥ずかしいからやめてよね!」

言って静止した少女は視線が自分に向いている事に気付き、乾いた笑みを浮かべて誤魔化す。
それを切っ掛けにして、撫子が残る二人にも声を掛ける。
こうしてようやく揃った本当の転入生を見て、男子たちが復活したように騒ぎ立てる。

「リシアンサスと申します。長いのでシアと呼んでください」

「高町ネリネと申します。リンと呼んでください」

「プリムラ」

三人の自己紹介が終わる頃には、神王も復活しており豪快な笑い声を上げる。

「俺の名前はユーストマ。まあ、神王なんてのもやってるが、好きに呼んでくれ」

「私はフォーベシイ。魔王なんていうものもやらせてもらっているよ」

「高町恭也です」


何故か娘に続けて自己紹介を始める三人に、撫子は頭を押さえる。
そこへ、芙蓉楓が再び手を上げて質問する。

「撫子先生。今、そちらの方たちが神王、魔王って」

「ああ、そういう事だ。こちらにおられる方は、それぞれ神界を統べる神王様と、魔界を統べる魔王様だ。
 つまり、シアとプリムラは神界、魔界のプリンセスって事だ。
 分かったか、緑葉。くれぐれも最初に言った事を」

騒然とする教室で最も危険人物だと思われる男へと放った言葉は、しかし、届く事がなかった。
いつの間にかロープから抜け出した緑葉は、いつの間にか三人の前に立っていた。
そして、親しげにその中の一人、ネリネの肩を抱くように腕を伸ばし、ネリネはそれを困ったように見ている。
と、その腕がネリネに触れる直前に止まる。

「……出来れば何故こうなったのか、という説明を頂けると俺様としては嬉しいんですが」

表面上は至って冷静に、しかし、付き合いの長いものなら、緑葉がかなり緊張している事が分かる顔で、
自分の背後に立つ恭也へと疑問をぶつける。
出来る限り、喉を震わせないように気を付けながら。
その緑葉の喉元数ミリ、本当に触れるか触れないかの僅かな隙間のみを残して、
鈍く光を反射する刃が添えられていた。
緑葉はちらりとその刀身を見て、これが真剣である事を見抜く。
同時に、さっき喋ることによって多少動いたであろう喉に合せ、
その距離が全く変わらないように同じように小さく刃を動かすこの人物の恐ろしいほどの腕も。
恐怖を覚える緑葉に、恭也は淡々と言葉を投げる。

「理由が知りたいか? 本当に分からないのか?」

その逆に淡々とした声に緑葉の喉が鳴る。
上下に動いた喉は、しかし、同じように動いた刃に当たる事無く未だにかすり傷一つ付いていない。
その状況に教室中がいつしか静まりかえる中、撫子の静かな声が響く。

「緑葉、私は最初に言ったよな。首が飛ぶ、と。
 冗談でも揶揄でもないと」

「き、聞いたような気がします」

言って緑葉は、伸ばしていた手を静かに下ろす。
それでも、喉もとの刃が引く事はなく、恭也から言葉が投げられる。

「ネリネは既に心に決めた人が居るんだ。
 余計なちょっかいは止めてもらおうか」

その恭也の言葉に、ネリネが顔を紅くしつつも恭也を注意する。

「お父様、その方も悪気があってした訳ではないのですから、もうその辺で」

「むっ。ネリネがそう言うのなら」

言ってようやく緑葉の喉元から刃がのけられる。
恭也は先程神王から貰ったばかりの刀を鞘へと納める。
ほっと胸を撫で下ろしながら助かったと呟く緑葉へ、稟が冷たく言い放つ。

「自業自得だ」

「何を! 綺麗な女性が居るのに声を掛けないのは、逆に失礼だろう」

「その所為で、さっきみたいな目にあったんだろう」

「あ、あれは偶々だ。今度は上手くや……」

緑葉へと向けて殺気が放たれるのを稟は感じ、冷たく緑葉を突き放つ。

「で、今度はなんだ?」

「ま、まあ、今はホームルームの時間だから、この辺にしておこうか」

席へと戻る樹と入れ替わるように、転入生三人とその親三人が稟の元へとやって来る。

「という訳で、娘を宜しく頼むぜ稟殿」

「宜しく頼むよ、稟ちゃん」

「宜しく頼む、稟」

「えっと、意味が良く分からないんですが」

突然の出来事に首を傾げるものの、転入してきたばかりの三人とは昨日会っていた事もあり、
初めましてではないな、と考えて何というか少し考える。
だが、稟が挨拶するよりも早く、先に神王が口を開く。

「まあ、簡単に言やあ、稟殿はここに居る三人の娘全員に好意を持たれているってこったぁ。
 で、どうだ、稟殿。うちの娘を選んでくれたら、神界の権力を使い放題だぜ」

「あ、ずるいよ神ちゃん。
 それを言うのなら、プリムラちゃんを選んでくれたら、魔界の権力を使い放題だよ」

「お前らずるいぞ。うちは特に何かあるって訳でもないが、ネリネは本当にいい子だぞ」

自分の娘を推薦する親に、三人の娘は顔を見合わせて苦笑を見せる。
一方の稟は意味が分からずに混乱するが、今までの内容を聞けば結果は一つしかない。
だが、男共の殺気混じりの視線を受けつつ、稟はそれが自分の思い違いでありますようにと思わず祈る。
しかし、それを否定するかのように麻弓がソレを口にする。

「つまり、皆が皆土見くんの事が好きで、それでわざわざバーベナに転入してきたと」

その言葉にネリネ達は顔を紅くして俯き、それが事実だと行動で示す。
と、楓がふらりと倒れる。
それを麻弓が支える。

「わぁぁー! 楓、しっかりして。傷は浅いよ!」

そんなやり取りを眺めつつ、稟は何故自分なのかを訪ねる。
曰く、三人と稟は昔、別々の場所で一度だけ会っていたという。
しかし、稟はその事をはっきりとは思い出すことが出来なかった。
だが、その言葉を聞いたとき、ぼんやりとだがそんな風景が浮かんできて、それが事実だと悟る。

「って、だからってこんな突然…」

「まあ、別に急に選んでくれと言っている訳じゃない。
 ただ、この三人の気持ちがただの憧れや中途半端なものじゃない事を知ってくれれば良いんだ。
 その上で、普通にこの子たちと接して、誰を選ぶのかは君の自由だから。
 そこまで俺たちは強制するつもりはない。勿論、この三人以外の子が選ばれる可能性もあるのだから」

恭也の言葉に稟はようやく落ち着き、ふと恭也の顔を見る。
ネリネがお父様と呼んでいたが、こうして見ると自分と大して変わらないように見える。
しかも、相手は人族であるのは間違いない。
そんな疑問が浮かび知らず見詰める形となる稟だったが、撫子の纏めに入る声で我に返る。

「ほら、まだホームルームは終わってないぞ。
 さっさと席に着け。シアたち三人は後ろの空いている席に座って。
 で、あなた方は早急に学校から出て行ってください。関係者以外は学園内は立ち入り禁止です」

「おいおい、先生様よ、俺たちは保護者だぜ」

「だとしても、今日は授業参観でも三者面談でもないんです。
 教室にいつまでも居られると、はっきり言って迷惑です」

「まあ、仕方ないよ神ちゃん。ここは大人しく立ち去ろう」

魔王の言葉に神王も頷く。
それを見てようやくほっと肩の荷が下りたように小さく息を吐くが、ふと気付く。

「えっと、高町さん」

「「はい」」

恭也とネリネが揃って返答するのに一瞬だけ困った顔を見せるが、すぐに言い直す。

「恭也、あなたまでどうしてここに」

学園の生徒であると同時に保護者でもある恭也に対する口調に悩みつつ告げる撫子に、恭也は苦笑を見せる。

「別に無理して丁寧に話す必要はありませんよ。
 俺の方が年下の上に、生徒なんですから」

「んんっ、そうか。それは助かる。
 で、どうしてここにいる。恭也のクラスは三年だろう。担任は何をしているんだ」

「ちょっと無理を言ってこちらへと先に来させてもらいました。
 この後、ちゃんと教室の方へ行きますから」

「なら良い」

本当に良いのかどうかは兎も角、ここに来てしまっている以上、他に言いようがなかった。
そのやり取りを見ていた稟が不思議そうに恭也を見上げる。

「ここの生徒って、ネリネさんの…」

「稟様、ネリネで構いません」

「えっと、ネリネの父親なんですよね」

横から入った声に訂正して言い直す稟に、恭也は頷く。

「ああ。実の娘だよ。まあ、その辺りは色々あるんだが、あまり気にしないでくれ。
 それと、俺の事は恭也で良い。年も殆ど変わらないからな。俺は三年だ」

「分かりました。恭也先輩。って事は、一こ上ですか」

「いや、一年ほど休学した時期があるから、二こ上だな」

「って事は、ネリネとも」

「ああ。二歳違いの娘だ。まあ、さっきも言ったがこの辺りは色々あったんだ」

これ以上は詮索する気もないのか、稟はそれで納得する。
恭也はネリネの頭を一度撫でると、教室を出て行く。
ようやく保護者の居なくなった教室で、しかし既に時間が残り少なくなってきており、
撫子は連絡事項だけ告げるとさっさと教室を去る。
その後、転校生の恒例事項である質問を僅かな時間でもしようと三人の少女の周りに男子生徒が集まる。
ネリネの所には、女子生徒も何人か集まっており、恭也に関する質問が飛び交っていた。
そんな騒動を少し離れた所でぼんやりと頬杖をついて見ていた稟の元へと楓がやって来る。

「稟くん、何か疲れてますね」

「まあな。昨日、紅女史に励まされた意味がようやく分かったよ」

溜め息を吐きながらそう言う稟へと、止めを刺すかのように麻弓が楽しげに口元を歪めて近づく。

「神王にも魔王にも、そしてただの凡人にもなれる男、土見稟の苦難の日々がこうして始まるのでした」

「って、勝手なナレーションをいれるな麻弓」

「本当にそう思う? ただでさえ、楓との事でやっかまれているのに、あんな美少女が現れて、
 それも三人もが同時に土見くんを想っているらしいじゃない。
 それを踏まえて、もう一度聞きますですよ。
 本当に平穏な毎日が送れると思うのですか?」

その麻弓の質問に、稟は何も言わずに顔を顰めると机に突っ伏すのだった。






→→ 続く →→







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