『incomprehensible ex libris』
第七章
イギリスは大英図書館、ここは知識を求め訪れる人々にその門を広く開けている世界有数の図書館である。
最も知識の探求のためだけでなく、ただ純粋に物書物を求める者にも等しくその門を開いている。
だが、この図書館の奥深くには決して表に出る事のない書物も眠っている。
もちろんその事を知るのは関係者の極一部のみで、一般の人々には知られていないが。
そんな人知れずに存在する大英図書館の裏の顔とでも呼ぶべき部署を取り仕切っている一人の男、ジョーカーの部屋。
そこに今二人の女性がいた。
一人はジョーカーの向かいの椅子に腰掛け、もう一人は紅茶の入ったカップを二人の前に置きその場を去ろうとする。
それをジョーカーが呼び止める。
「ああ、ウェンディ君。君もここにいてくれ」
「えっ、私も・・・ですか?」
ウェンディと呼ばれた褐色の肌にメイド服を着込んだ少女は驚きの顔でジョーカーを見る。
それもそのはずで、彼女は大英図書館裏の顔、特殊工作部の一員ではあるがまだスタッフ見習である。
今回の様に任務について話をする時はその場にいる事はない。それを今回はジョーカーが引き止めたのである。
「ええ、そうです。アネットくんの横の席にでも座りなさい」
「は、はい」
ウェンディはおずおずとアネットの横に座る。
「何?ジョーカー。今回の任務はそんなに難しい訳?私以外にもサポートがいるって言ってたけど」
アネットは見習いまで使うのかと言外にほのめかして訊ねる。
そんなアネットの言葉にジョーカーは重々しく頷くと、口を開き始める。
「正直、分かりません。今回の任務は本当に分からない事が多いんですよ。
だから、今回は実行部隊にザ・ペーパーとアネット、そしてドレイクの三人であたってもらいます。
ウェンディ君は私のサポートとして色々とやってもらう事になります。それ以外にも様々な人間が動いています。
そう、例えば・・・・・・軍とかね」
「軍ですって!一体、何なのよ、今回の任務って」
「それを今から説明する所なんですが」
そこで一旦、言葉を区切ると紅茶を一口含み、唇を潤してから話し出す。
「まず、軍は軍の思惑があって動くみたいですから気にする必要はありません。私たちは私たちに必要な事をするだけです。
で、その必要な事ですが・・・。簡単に言えばある一冊の本を見つけてここに持ってくることです」
「はぁー?たったそれだけの事で何で軍が動くのよ」
「さあ。私は軍の人間ではないので、そこまでは分かりかねますね。ただ、先程も申した通り軍には軍の考えがあるんでしょう」
「・・・・・・その言葉を信じろと」
アネットは右耳のピアスを触りながらジョーカーを睨みつける。
が、睨みつけられた当人はいたって平然と紅茶を啜る。
「・・・・・・まあ、いいわ。私は私のなすべき事するだけだわ。で、軍と私たちがやりあう事になる可能性ってあるの?」
「それはありません。軍の思惑はどうあれ、この件に関しては我が大英図書館の行動が最も優先されますから」
「それが判ればいいわ。で、肝心の本ってどんな物なの」
「それが分かりません」
「・・・どういう事?それともあなた特有の冗談かしら?」
「冗談でも何でもないですよ。本当に文字通り分からないんです。
本のタイトルも大きさも。そして、形さえもね。ただ分かっていることはただ一つなのです。
それは、確かにその本が存在するという事のみ」
「・・・・・・その話が本当だとしたら、馬鹿げているわ。そんな訳の分からない物をどうやって探すのよ。
いいえ、もし見つけたとしても、それがその本なのかも分からないじゃない」
「そうです。だからこそ、ザ・ペーパーが最も適任なのです。いえ!ザ・ペーパー以外には無理でしょう」
「幾らザ・ペーパーでもそれは無理なんじゃないの?存在自体が怪しいわ。
そもそも、どうしてそんな本が存在していると分かったの?」
「存在自体はかなり昔から伝わっていたんですよ。それと、何度かその存在が噂された事がありました。
古い事例を挙げると、そう紀元前に遡ります。
紀元前約4世紀頃、ピリッポス二世が死の際に彼の息子に渡したと言われています。
13世紀初めではアジアの遊牧民族が手にし、その後16世紀半ばには日本の当時、尾張と呼ばれていた場所で見られています。
その後、18世紀後半にはコルシカ島出身の軍事の天才と言われた男が手にしていたとも。
最近の方になると、欧州の絵描きが後にドイツで手にしていたとも言われています。
ただ、全てが噂でしかないのですけどね。
ただ、彼らに共通しているのは、本を所持している間、彼らはその勢力を拡大しているのです。
そして、その本が手元から無くなると時を同じくして、彼らは衰退の一途を辿っています」
そこまで話すとジョーカーは一息吐く。そして、熱くなっていた口調を元に戻すと再び語りだす。
「我々はその本が何らかの魔導書ではないかと考えています。
そして、その文字も形も存在する時代と場所によって変化していると。だけど、彼女、ザ・ペーパーならそれが分かるはずです。
いや、彼女にしか分からないでしょう。何故なら彼女はあらゆる紙に愛されているからです。
迷える子羊が神の元へと集うように、彼女が必要とすれば紙は必ず彼女の元へと来るでしょう。
正に紙に選ばれし者なのですから、彼女は」
「ふーん。で、私は何をサポートするの?探し物ってあんまり得意じゃないのよねー」
「もちろん、あなたにサポートを頼むのにはそれなりの理由があるからです。
一つはその本、我々はこの本をアイネルの書と呼んでいますが」
「アイネル?」
「ええ、『incomprehensible ex libris』、ラテン語で不可解な蔵書です。これの頭文字を取ってInelです。
兎に角、このアイネルの書がどこかの遺跡にある場合です。
この場合、トレジャーハンターとしてのあなたの知識と経験が必要になるからです。
そして、もう一つ。すんなり手に入れられない場合ですね。この場合、あなたのエージェントとしての力が必要です」
「正直に言いなさいよ。妨害が入る可能性があるんでしょ。じゃなきゃサポートが二人もつく筈ないでしょ」
「ええ。その可能性が最も高いと思っていますよ。だからこそ、あなたたちにこの任務を任せるんですよ」
「で、敵となる存在は分かっているの?」
「それは不明です。そもそも本当にそんな連中がいるのかも分かりませんからね。あくまでも可能性が高いというだけです。
ただ、本当にアイネルの書を手にした者に栄華が約束されるというのなら、
それこそ、こぞって求める輩がいても可笑しくはないでしょ」
「成る程ね。私たちはその可能性の為の予防策って事ね」
「そうです。では、お願いしますよ」
「分かったわ。で、ザ・ペーパーとの顔合わせはいいの?」
「そうですね、ウェンディ君。彼女を読子の所へと案内してあげてください」
「は、はい分かりました」
ジョーカーの言葉にウェンディは慌てて立ち上がると返事をする。
が、人差し指を立てこめかみ付近に当てると首を傾げる。
「でも、どこにいるんですか?」
「そうですね・・・、この時間ならジギー博士の所での用事も終わっているでしょうから・・・・・・。
多分、あそこですね」
「あそこ・・・?ああ、あそこですか。分かりました。ではアネットさん付いて来て下さい」
ウェンディは先に部屋の入り口まで歩くとドアを開けながらアネットに声をかける。
アネットもそれに頷き、席を立つ。二人はドアを出ると入り口の所で立ち止まり、中にいるジョーカーの方を見る。
ジョーカーはそんな二人に軽く頷くと、重々しく口を開く。
「現時刻を持って、我々大英図書館特殊工作部はアイネルの書に関する任務を開始する。・・・以上です」
「はい!」
その言葉にウェンディは返事を返し、アネットはただ頷く。
そして二人はドアを閉めるとウェンディを先頭に読子の待つ場所へと向って歩き出す。
大英図書館、その広い建物内にある閲覧場所。
その奥の方の席に膨大な量の本が積み重なり置かれている。一見すると整理前の本を一時的に置いてあるようにも見えるが、
その積み重なった本の隙間から、時折動く影のような物が見え隠れする。
少し近づいてみて見るとその影が腕で、たまに横に動いているのが分かる。
その腕が動く度に、ページをめくる微かな音が聞こえてくる。
もっと近づいて見ると、多くの積み重なった本に囲まれ、一人の女性が物凄い速さで本を読んでいるんだと分かるだろう。
その本を読む女性──読子は本に集中するあまり、自分に近づいてくる者たちに気付かないでいた。
「彼女がザ・ペーパー?」
「ええ、そうです」
読子に近づきながら、アネットはウェンディに訊ねる。
「正直、そんなに凄腕のエージェントとは思えないわね」
「ははは。私も初めて会ったときはそう思いましたよ。ただの本好きな女性じゃないのかと」
「思った、って事は今は違うのね」
「うーん、どうでしょ。よく分かりません。でも、あれが読子さんなんだとは思います。
上手く言えませんけど、ああいう所も全て含めて読子さんなんですよ。
そして、そういう読子さんだからこそ、歴代でも最強のザ・ペーパーなんだと思います」
「ふーん。分かるような分からないような答えね」
「すいません」
「別に謝る事じゃないわよ。
これから一緒に行動する事になるんだから、彼女がどういう人間かは私自身が接してみて確かめればいい事よ」
そう言うとアネットは読子の横に立ち、声をかける。
「こんにちわ、読子。私はアネット。アネット=バートランよ」
アネットの呼びかけに読子は気付かず、ただ黙々と手にした本を読み漁る。
アネットは少し困った顔をしてウェンディを見る。それを受けてウェンディは小さく溜め息を吐くと、
「読子さん、読子さん。読子さんってば」
読子の方を揺すりながら名前を呼ぶ。
「わ、わわわ。あわわわわ〜」
揺すられた読子はそのまま机の上に突っ伏す。その時に肘が横に詰まれた本に当たり、突っ伏した読子の頭の上に落ちてくる。
その衝撃で積んでいた本が全て崩れ、読子の頭上へと降りそそぎ本の山が出来上がる。
「う〜う〜。ってウェンディさん?何をするんですか〜」
何とか本の山から顔を出し、ずれた眼鏡を両手で直しながらウェンディに講義の声を上げる。
ウェンディは読子の講義を聞き流すとアネットを改めて紹介する。
「読子さん。こちらは今回の任務を決行するにあたって読子さんをサポートしてくださる・・・」
「アネット=バートランよ。アネットでいいわ」
と、右手を差し出す。初め、ぼーと見ていた読子は慌てて右手を差し出し握手を交わす。
「私は読子です。読子=リードマン。私の事も読子でいいですよ、アネットさん」
「ええ、よろしくね読子。所で私たちはこれからどうしたら良いのかしら?」
その質問は読子、ウェンディ両方に投げられる。
「えーと、私は何も聞いていないですけど。読子さんは何か聞いてます?」
「ええ聞いてますよ。とりあえずは、何もありません。ただこうやって情報が入ってくるまで待機だそうです」
「待機・・・?」
「はい。今回のアイネルの書に関して言えば、分からない事が多いんですよ。
というよりも分かっている事がないと言った方が良いかも」
「ええ、そのあたりの事は聞いたわ。でも待機って」
「だから待機なんですよ。だってその所在地すら分かっていませんから」
「えっ!そうなの?せめてどこかの国にあるとかは分かってるんじゃないの?」
「いいえ、全く分かっていませんよ。だから、それらしい情報が見つかり次第、現地へ向うんです」
「・・・・・・何か途方もない任務ね」
「そうですか〜?私はわくわくしてますよ」
読子の言葉の真意が分からず首を傾げるアネットに読子はにへらと頬を緩ませるとどこか上気した表情で言葉を続ける。
「だって、未だかつて誰も見た事のない本なんですよ〜。凄いじゃないですか、楽しみですね〜。はぁ〜(ハート)」
読子は艶かしい声をあげ身体を両手で抱くとくねくねとくねらせる。
それを少し引いた所で見詰めるアネットとウェンディ。
「彼女、大丈夫なの?」
「は、はい。いつもの事ですから」
「そ、そう」
アネットは胸に去来した不安を無理矢理押し込むと、未だ悦に入っている読子に声をかける。
「読子、読子!」
「は、はい!なんですか?アネットさん」
「いや、何と言われても・・・。と、とりあえず私たちは待機って事で良いのね」
「そうですよ。あ、でもあまり遠くには行かないで下さいね。いつ連絡がくるか分からないですから」
「分かってるわよ。でも一日中こんな所にいれないでしょ。少しぐらい出かけるのは良いんでしょ」
「はい、それは構わないと思いますけど・・・。でも、ここなら一日中いても飽きませんよ」
「・・・・・・私は遠慮しておくわ。そりゃ本を読むのは嫌いじゃないけど、あなたみたいに好きって訳でもないしね」
「は、はぁ」
「じゃあ、私は部屋に戻ってるわ」
「あ、私はジョーカーさんの所に行ってきます」
「そうですか。じゃあ、私はここで続きを読んでいますので、何かあったらお願いします」
そう言うと二人は読子と分かれ、その場を離れる。
「ああー!」
背後で読子が声を上げ、二人は後ろを振り向く。が、
「本が倒れてる〜。まずは積みなおさないといけないじゃないですかー」
続く読子の言葉に再び前を向くと聞こえない振りをして歩いて行く。
「彼女はかなり本好きね」
「そうですね。でも読子さんの場合、本が好きというよりも私たちが呼吸するのと同じ感覚なんですよ、きっと。
そこに本があれば読むのが当たり前みたいな。もちろん本好きも確かですけどね。それもかなり熱烈に」
「そうみたいね」
そう言って軽く微笑みながら、背後をちらりと盗み見る。
そこには崩れた本を大事そうに抱えながら丁寧に積み上げている読子の姿が窺えた。
<to be continued.>
<あとがき>
久々にR.O.D編ですよ〜。
美姫 「うーん。何か謎だらけね」
まあな。
美姫 「そういえば、今回言ってた歴史上の人物って・・・。なんかぼかしまくってるわね」
まあ、分かる人には分かるだろう。
美姫 「答えの発表は?」
うーん、どうしようかな。別にしてもしなくてもいいと思うんだが。
美姫 「まあ、確かにいいかしら。それより次はどっちになるの?」
次からは再び海鳴へ戻ります。うーんと風校の事件の解決まではずっと海鳴かな?
美姫 「まあ、絶対ではないけどってやつね」
そういう事。さて、次にとりかかるか。
美姫 「じゃあ、また次回でね」