『incomprehensible ex libris』
第一章
「は〜くしょんっ」
東京神田神保町。
この街の賑やかな書店街から、やや南に下った所にあるかなり古びた四階建て雑居ビルの屋上から、そのクシャミは聞こえてきた。
今、この辺りを通る人はいないが、もしいたとしたら不思議に思うだろう。
この建物に、人が住んでいるという事実に。それぐらい、生活感の全くないビルである。
入り口の扉は開いたままになっており、そこには本の入った段ボール箱が幾つも置かれている。
窓から見ることができるビルの中身は、夥しい量の書物と段ボール箱で埋め尽くされている。
このビルの屋上には、プレハブのペナントハウスが建っており、先程、クシャミをした人物はそこにいた。
「う〜ん。やっぱり秋になって大分、冷え込んできました。新聞紙1枚だと少しつらいですかね」
入り口からは、その人物が何処にいるのか判らない。
この部屋もまた他の部屋同様、本によって埋まっている。
よく見ると所々、空白の空間があり、部屋の奥に向かっている。
これはこの部屋で唯一、人が通れる獣道みたいなものなのであろう。
そして、その先にあるベッドの上で新聞紙にくるまった女性がいた。
年のころは20代前半、黒髪のロングヘアーは手入れをしていないのか、ぼさぼさのままで黒い太縁の眼鏡を掛けている。
「でも、広告欄の所は文字が多くて他の所よりも温かいはずですから。あ、それとも、2枚にすれば。
う〜ん、だめです。さすがに3日間も寝むらないと、頭が上手く働きません。とりあえず、今日はこのまま寝ましょう」
言って、横になり新聞紙を体に掛ける。
「お休みなさいー」
そして、目を閉じ睡魔に身を委ね様としたその時、勢いよく扉が開けられる。
「ふぁー、先生ですかー。私は今から寝ますんで、また明日にでも来てくださいぃぃ」
この家に勝手に上がり込んでくるのは、彼女の元教え子で、現役の小説家、菫川ねねね、一人しかいない。
その為、今回もまた、ねねねが来たんだろうと適当に返答する。
しかし、そこにいたのはねねねではなく、褐色の肌をメイド服で包んだ少女であった。
その少女は、苦労しながら読子の側まで行き着くと、その姿には不釣り合いなぐらい真面目な顔をして読子に告げる
「“ザ・ペーパー”。ミスター・ジェントルメン直々の招集がかかりました。私と共に、大英図書館に同行してください!」
「ふぇー、先生じゃないんですか」
読子は、眠い眼をおっくうそうに開け、側に立つメイドを見上げる。
「メイドさん・・・?って、ウェンディさんじゃないですか。どうしたんですか」
「・・・はぁっ、読子さん。任務ですので、至急、大英図書館まで来てください」
ウェンディは少しあきれた顔をして、再度、任務を告げる。
「え〜〜〜。また、任務ですか。私、ついさっき任務を終えて帰ってきたんですよ。
今から、寝むるところだったんですけど」
「そんな事を言われましても。ミスター・ジェントルメン直々の招集ですから。
それに、それだけ読子さんが信頼されているって事じゃないですか」
「今、私は信頼よりも睡眠時間が欲しいです。明日じゃダメなんですか?」
「そんな事言わずに、一緒に来てくださいよ〜。じゃないと、私がジョーカーさんにお仕置きされちゃいます」
「そんな事しないと思いますよ」
「いーえ、します。あの人なら、表情一つ変えずにやります。
きっと、私はロープでぐるぐる巻きにされた上に、木の枝に逆さ吊りにされるんです。
そして、色んな人たちに見られる中、鳥たちにつつかれ、風雨にさらされ、子供たちには石を投げられて、
人知れず、この世を儚んで消えていくんです〜〜〜〜〜」
「ウ、ウェンディさん、落ち着いて下さい。
色んな人に見られている時点で、人知れずというのはおかしい気もしますが、とりあえず落ち着いて下さい」
「はぁはぁはー。お願いします、読子さん。私と一緒に来てください。でないと、でないと私・・・うぅぅぅ」
両手で読子の手を取り、涙目になりながら、ウェンディはお願いする。
「わ、わかりました。行きます、行きますから落ち着いて下さい」
「ほ、本当ですかっ。ありがとうございます。では、早速行きましょう」
そのまま、ウェンディは読子を引きずって歩き出す。
「わ、わわわっ。そんなに引っ張らないで下さい〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
ビルの屋上から見上げる空は雲一つなく、とても綺麗なものだったが、
その空にあまり相応しいとは言えない読子の声が響き渡った。
◇◇◇◇◇
「はぁぁぁ、はっ」
「はっ」
深夜、木々に囲まれた山の中から男性と女性の掛け声と、何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
あたりには、その二人以外に人影は全くなく、闇に包まれている。
この二人はお互い、両手に刀よりやや短い刃物、俗に言う小太刀を握りしめ対峙している。
どちらもまだ、20歳になっていないであろう。
しばらく、その状態でにらみ合っていたが、不意に女性の方が動き出す。
その動きはとても滑らかで、思わず見惚れてしまうくらい洗練されていた。
右手に持った小太刀で、男性 高町恭也 に斬りかかる。
恭也はそれをバックステップでかわし、斬りかかって来た女性 高町美由希 の腕を抱え込み、そのまま投げに行く。
美由希はその流れに逆らわずに、自らその体を投げ飛ばされる。
そして、空中で身を翻す間に、恭也に向けて牽制で飛刀を投げる。
恭也はそれを、左の小太刀で弾き、右手を美由希に向け、振り下ろす。
よく見ると、細い糸のような物が美由希に迫っていく。
これは鋼糸と呼ばれる特殊な糸で、二人が使う小太刀二刀御神流では、相手を拘束したり、相手の武器を絡め取るのに使われる。
美由希は左手の小太刀で、その鋼糸を切断する。
その間に恭也は美由希に向かい、地を蹴っていた。
その動きは先程の美由希よりも洗練されており、瞬く間に美由希との距離を詰める。
恭也は右手で腰に差していた小太刀を抜き、そのまま斬りつける。
美由希は、その小太刀を左手の小太刀で受け止め、右手で斬り返す。
しかし、その動きよりも速く恭也の左手が動いており、慌てて後ろへと跳ぶ。
恭也は、距離を縮めずにその場に踏みとどまり、お互いに距離を取る。
数瞬にらみ合い、再びお互いに距離を縮める為に相手に向かって駆け出す。
お互いに左右の小太刀による斬り合いをする。
時には弾き、時には避け、場合によっては蹴りまで飛び出している。
その動きはかなり速く、傍から見るとまるで剣を用いた舞を舞っているようである。
しかし徐々に、美由希の方が防御に回りだし、劣勢になってくる。
美由希が苦し紛れに繰り出した蹴りを、恭也は紙一重で避け、軸足を刈る。
そして、転んだ美由希の喉元へ小太刀を突きつける。
「これで、おまえは死んだ」
「うん」
「立てるか?」
恭也は美由希に手を貸して、立たせる。
「ありがとう、恭ちゃん」
「まだまだ、動きが甘いな。今日はもう遅いから、ここらへんにしておくか」
「うん」
二人そろって荷物をまとめ出す。
その時、恭也はなにかを感じ、手をとめる。
(なんだ、今のは)
「恭ちゃん、どうしたの?」
(気のせいか)
「いや、なんでもない」
「?」
美由希は不思議そうな顔をしながらも、納得したのか片付けを続ける。
(何か嫌な予感がするな。何事もなければ、いいのだが。)
恭也は、自分の中に生まれた不安を誤魔化すかのように片づけを始める。
「さて、帰るか」
「うん」
全ての荷物を片付け終わるころには、恭也も先ほどの件を忘れており、いつも通りに美由希と二人、帰路に着いた。
◇◇◇◇◇
ハヤク ココニ ワレハ ワレノナハ
光一つも差し込まない暗闇の中で、その声は響き渡る。
まるで、誰かを呼んでいるかの様なその声を聞く者は、ここには誰もいない・・・。
<to be continued.>
<あとがき>
incomprehensible ex libris 第一章、やっと書き終わりましたよ。
戦闘シーンといえる程の物ではないですが、あれは難しいですなぁ。
でも、これから先、戦闘シーンが出てくる事になるかもしれないので、もっともっと修行が必要ですな。
ではでは、また次回
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